2010年6月11日金曜日

今日のfortune cookie

借りているアパートで調理用具も殆どなく、外食が多い。アメリカ中華料理にはつき物の、食後のおみくじクッキー。とても意味のありそうなおみくじが立て続けに。

You accumulate property--use it wisely.
あなたはモノを貯めこみがちだ。それを上手く活用せよ
→本は買うだけでなく、読め?

Heroism is endurance for one moment more.
英雄とは、他人よりもほんの一瞬だけ長く、辛抱した人を言う
→やっぱり、1年目の研修くらいは終わらせておけ、ということか?

If you can't excel with talent, triumph with effort.
才能で届かないときは、努力で勝利を勝ち取れ
→まあ、頑張れということか?

2010年6月3日木曜日

MGH実習(1)古株回診

San Franciscoの実習について1回分しか書かないままに終わっているが、メモは残っているのでいずれ書き足すかもしれない。しかし、今月はBostonで、小児神経内科ある。Man's Greatest Hospitalと揶揄?されるMassachusetts General Hospital。しかし、Boston出身としては、しかも、幼いころは親の研究につきあわされてこの空気を吸って育っているので、なんとなく居心地が良い。San Franciscoのようにlaid backなのも良いが、Bostonのように皆が襟を正しているのも、あるていどsnobの素質さえあれば、悪くない。

Bostonの人は早口だという。まあ、その英語を話して育っているので、僕自身はそうとも感じないが。まあacademiaについていうと、若い世代と、年寄りとのはっきり別れる気がする。若い世代はみな、孔雀が羽根を広げるかのような虚勢で、時速120 kmでまくし立てるスタイルが、多い。こういう人、往々にして贅言が多い気もする。偉くなった年よりは、比較的普通のスピードだが、出来る人は言葉の選択が上手い。贅言をそぎ落とした、という感じだろうか。

で、2日目の午後は、発達学の先生で今は半引退・半開業の医師による回診だった。同じような古株の先生が4人そろって、若手は僕と小児神経内科のレジデント2人とで、回診。レジデントが選択した患者(既知の稀な遺伝疾患によって、非常に微妙だが神経症状を呈している女の子)のプレゼンを終えてから、みなで病棟へ。大先生が入念な診察を行ってから、また会議室で鑑別などのディスカッション。こんな小さなグループによるinformalな回診でも、New England Journalのケースレポートのようなディスカッションに発展するところ、やはり、この病院は懐が深い、と感嘆せざるを得ない。もちろん、大筋において、的確な診断が下されたことはいうまでもないが、答えをはじめから知っている方としては、この大先生たちの思考過程を観察するにつけ、研究片手間にやっていたのではやっぱりこの境地は難しいのではないか、と思ったりもする。

2010年5月28日金曜日

製薬ディナー

いけないとは思いつつ、お世話になっている脳波・癲癇の教授に誘われて製薬ディナーへ。一緒に研修をしたという友達の先生がバルチモアから降りてきて、新しい癲癇薬の売り込み。久しぶりにビフテキを食べたが、もう、そういう年齢でもないみたい。2口、3口までは良かったが、なにせ大きい。レンガのようなビフテキを食べ終わったころには、もう当分肉は食べたくない、という気分に。

2010年5月23日日曜日

卒業式



といっても、実を言うとまだ1ヶ月間の、ボストンでの実習が待っている。が、とりあえず、Georgetownとお別れも、あと一週間。8年間は、長かった。

2010年4月28日水曜日

Gas Passer

ついでにもうひとつ思いついたので。Gasをpassするというのは、放屁のことだが、麻酔科のことをこう呼ぶ。ガス麻酔のこと。

Chandelier sign

痛みで飛び上がって、シャンデリアに飛びつくくらいひどいのをいう。Classicallyには、PIDのcervical motion tendernessを指す。

2010年4月22日木曜日

amnestic shellfish poisoning

domoic acid

I need an intramuscular shot of penicillin...

これが主訴。まあようするに、梅毒の治療を良くご存知の患者さん。

OK sir, please change into this gown. We'll have to examine the chancre first...などとはいってみるものの、本心は、(you need to zip up your fly...)。

救急も、しばらくやる分には、いろいろあって面白い。

2010年4月18日日曜日

Status Hispanicus

癲癇が続くこと(狭義では30分以上)を、Status epilepticusという。それに模して、ヒスパニック患者にみられる大げさな痛み反応をいうのが、表題の卑語。「アイ・ヤイ・ヤイ」症候群(これはスペイン語?の痛みの叫び声)とも呼ばれる。

まあstereotypeではあるのだが、一般に、ヒスパニックの患者は痛覚の閾値が低いとされる。経験の限りでは、一理くらいはありそうだ。もちろん、それで例えばヒスパニック患者の急性腹症に対して多寡をくくるのは愚かかつ危険なのだが。脳神経科学的にいって、この現象、どこまでがorganic(たとえば痛覚レセプタの遺伝型)なのか、どこまでがpsychosocioculturalなのかは、おそらく明らかではないと思われる。いずれにしても、今日の救急部は、アイアイアイが響き渡っていた。

まあ、痛みの問診は基礎中の基礎でPQRST(P:provocative/palliative factors憎悪・緩和、Q:quality、R:region/radiation部位・広がり、S:severity、T:timing)など教科書的なやり方はいろいろあるが、結局はどうやらパタン認識で、腹膜っぽいとか、心筋梗塞っぽいとか、胆嚢っぽいとか、そのパタンによって問診と、それを書き留めるキーワードも少しずつ調整して使い分けるのがコツのようだ。すべてについてPQRSTなんていう人はいない。

中でもseverityとかについては、問診してもあまり意味がないようだ。というのも、通常は、0(無痛)~10(一生で一番ひどい痛み)、という数字を訊いたりするが、10といって平気な顔をして座っている患者もあれば、腎臓結石の閉塞性腎盂炎で冷や汗をたらしながら4とか言う人だっていた。とくに、オピオイドが好きになってしまった患者さんとかは、そこらへんを上手く操作しようとしたりもする。まあ、「5から9の間を、行ったりきたりする」、とか、「先週はずっと5くらいだったのに今日から突然10ですよ」とか、痛みの持続性・トラジェクトリを知る上では、使えるのかもしれない。

2010年4月17日土曜日

Open your mouth and say ahhh....

というのを一晩に10回以上やっていたら、風邪の一つや二つ、ひくに決まっている...
小児科は都合3ヶ月、咳きひとつなく健康で終わったのに。

Do you feel safe here...

ときたら普通はdomestic violenceの問診だが、schizophreniaの場合は、違う。

...don't you think they[FBI]'ll find you here? なんて、煽っちゃいけないのですが。

カリフォルニアからわざわざ首都まで飛んできたという明らかに裕福なおばちゃん。FBIに追跡されているらしい。あと、明日はカリフォルニアの上員議員と、面会するのだという。主訴は腹痛。マリオットホテルの陰謀で、毒を盛られたのだそうだ。だから、今朝、ハイアットに移ったのだとか。

まあ、クレジットカードに敵なし、というやつだろう。貧乏人が分裂病になったら、とたんにホームレスなのに。それにしても、救急は、いろいろと面白い。

2010年4月9日金曜日

急性腎不全

未明の救急。ホームレスの、frequent flyer (救急部の常連さん)。この足のくささ、さすがに、生まれてはじめて。想像を絶する。廊下からすでに、においが充満している。1年は靴下を替えていまい。シュードモナスの壊死で足全体が腐っているのにも顔負けの臭さ。しかも、アンモニアの濃厚溶液と硫化水素を足したような、卒倒してしまいそうなこの臭い。

こんな臭くては、鑑別も診察も適当になってしまう...

で、「アルコール禁断症状と連鎖球菌による咽頭炎」と決め付けていたら、Chem-7をみてビックリ仰天。相当ひどい急性腎不全のBUN/Creatである。Kも6。一応とっておいてあったEKGは、特にこれといって何もなかったから、まあよかったようなもので。ホームレスのアル中、精神疾患も多いからと思っていたのだが、会話があまり普通に成り立たないのは、腎不全によるAMSもあったのかもしれない。もしも白人の知識階級の患者さんがこういう症状で入ってきたら、間違いなく腎不全が鑑別の上位であったろう。

どおりで、「朝からだるくて吐き気がする」というわけだ。朝からもう、半日以上も飲んでいないというから、てっきり、それによるものとばかり思い込んでいた。振戦なども相当ひどく、すぐにベンゾをあげたらまあ納まったから、それも、あったにはあったのだろう。でも、何故朝からずっと飲んでいないのか、ということまでは、頭が回らなかった。まあ、腎不全でお酒が飲めなくて、それで禁断症状、という話の運びなのだろう。

さっさと内科ICU送り。きっと緊急透析。

2010年4月4日日曜日

He's not ready yet

指導医: can you see that new guy in #12?
学生: yes sir
...
学生: Mr. Smith, Mr. Smith! Do you know where you are?
酔っ払い: (唸るだけ)
...
指導医: OK, give me the story.
学生: He's a drunk guy, BBA (brought by ambulance), vitals normal, no known head trauma, no lacerations. He's muttering incoherently, not ready yet.
指導医: OK. Check him again before the end of shift.



酔っ払いはたいてい、3,4時間寝て、良いがさめたころに、帰ってゆく。
救急の日々。

2010年4月2日金曜日

San Francisco実習(1)

先月一ヶ月は、サンフランシスコのUCSFで、小児消化器の実習を行ってきました。




アメリカの医学部の最終学年(4年)は、どこのメディカルスクールでも殆どが自由選択実習なので、全米のどこで行っても良い。直接の医療以外にも、教授のさえあれば研究とかだって出来る。たとえば居年末は研究「実習」と称して、3ヶ月間、ドイツにポスドクに戻った(もっとも単位は2か月分しか認定されなかったが)。

医学の実習に関していうと、アメリカの認定されたメディカルスクールならどこでも、出身校の学費さえ払っていれば、よそのどこの学校・病院でも実習が出来るというシステムが整っている。あるいは、アフリカや南米の低開発国に行って病院で働く同級生も、とても多い。

アメリカの場合は出身校に残るということが必ずしも、良いこととはされない。まあ生え抜きで、出身校で研修を行って、研修終了後10年以内に正教授、なんていうサラブレッドはどこにでもいるが、通常はどうしても、同じところにずっと居座って特にうだつがあがらない場合は即、他所に移る実力・気力がない、と見られがちだ。つまり、研修は他所に移るのが、普通なのである。

それだから、この4年目のElective実習は、研修のオーディション(試用)や研修先決定の材料のために使われる。人気の科や人気病院に応募する同級生は、場合によっては半年近くを他所の学校で行ったりする。あるいはたとえば西海岸出身で、あるいは配偶者が遠距離の場合は、その当地に出向いて4年目の殆どをその地ですごすことだって、可能である。

僕の場合は1年間またドイツで研究してからおそらく、2011年のマッチで小児科のインターンを探すことになるので、小児科インターンのポジションがあるUCSFでオーディションをした。小児科は通常3年の研修だが、1年目インターンだけのPrelimというポジションもある。通常は、Prelimというと一般内科、一般外科、あるいはtransitionalと呼ばれるスーパーローテーションみたいなのの三種類だけであるが、実を言うと小児科のprelimというポジションもあるのだ。まあ殆ど知られていないし、全米で毎年20ポジションだけではあるが。Prelimの一年間を終えると、医師免許が取れ、また、麻酔科・放射線科・神経内科などの後期研修に進む資格が、生じる。ただし、各課(内科・外科・小児科)の専門医資格は、ない。




まあいずれにしても、サンフランシスコはとても気に入ってもらって、とても居心地がよく、また勉強になった。今月は必修の救急実習で比較的暇なので、ぼちぼち、先月の思い出を書き残すこととする。

ACLS

ACLS合格。こんなのでいいのだろうか。理論的には、心肺停止の患者に対する高度医療を施行できる、という資格であるわけだが、実践的には、無理というもの。ペーパードライバーもよいところ。

2010年4月1日木曜日

ACLS

医療者向けの心肺蘇生。救急実習の一環で2日間の講習を受講。4年生は病院でも、監視下ではありながら自分で医療を施す立場に立つことを求められるし、卒業も間近。

2010年2月6日土曜日

チャイゴ

夕食を準備しながらふとラジオをつけたら、チャイコフスキーの5番。なぜだか、深く、心に響く。そういえば、学部卒業でアメリカに戻ってMD/PhD課程をはじめる準備をしていた2002年の春も、チャイコフスキを聴いていたような気がする。弦組曲とか。

深い雪の中から春が生まれ、新たな一歩を踏み出すときには、チャイコフスキーなんかが、ちょうどよいのかもしれない。なぜだかチャイコフスキーは雪の中から顔を出す蕗の薹のイメージである。

ブラームズはあまりに暗いし、ベイトーベンはあまりに超越している。モーッツアートは無邪気すぎるし、メンデルゾーンとかシューマンあたりはセンチすぎる。ワグナーにしたってマーラーにしたってああいうのは頑張りすぎで、気乗りしないときは疲れてしまう。ドボルジャークは泥臭すぎ。

来月は、サンフランシスコにてオーディション実習。6月あたりはボストンにいくかもしれない。で、7月からは晴れてドイチュにてHerr Doktor Doktor Takagaki。雪に降り篭められては入るが、春は近い。

2 weeks

アメリカの医師免許試験であるUSMLEは3段階に分かれている。Step 1 (メディカルスクール2年目), Step 2 (メディカルスクール4年目), Step 3 (研修一年目)。Step 2にはさらに、合格・不合格だけの実技の部(Step 2CS)が課せられているが、これは基本的にアメリカ人は落ちないので、廃止が検討されている (5年位前まで、この実技試験は外国医学部卒業者のみに課されていたものだが、その制度に戻そうという計画が検討されているのだ)。

で、このStep 1, 2, 3についてよく言われるのが、「2 months、2 weeks、2 #2 pencils」。#2 pencilとは、日本で言うとHBよりもちょっと硬めの、標準的な鉛筆硬度である。ようするに、最初のStep 1はメディカルスクール2年生の最後と夏休みを全部費やして、2ヶ月間勉強するが、Step 2は2週間、Step 3はまったく勉強せずに鉛筆を2本だけ用意する、という意味。もっとも筆記からコンピュータ試験に移行してだいぶ立つので、この「2 #2 pencils」という洒落も通じなくなってくるのではあろうけれども。

たいていの場合は研修マッチ時点では、Step 1のみの点数が出ている状態なので、Step 2の点数はあまり重要でない。逆に、Step 1が振るわなかった場合は、点数がマッチ前に出るように早めにStep 2を受けて、名誉挽回を目指す場合もあるが、その場合を除いては、先々よっぽど競争の激しいFellowshipに応募するつもりでもなければ、Step 2は合格さえすれば良いのである。だから2 weeks。そして、日々の労働で疲れきったインターンが受けるStep 3という最終段階は、鉛筆だけ。

いずれにしても、Step 2CKまで2週間をきった今、勉強しなければ、というところである。

大雪

現在、大雪が降っている真っ最中。この地域にしては、19世紀以来の、大雪だという。夜中の12時を回っているが、3時間おきくらいに雪かきをしないと、あさって以降、降篭められて大変。ということで、ラーメンをすすりながら夜更かしである。幸い、医学部なんかにいると、30過ぎてもこういう働き方が出来るよう、鍛えられるのだ。

ところで昨日、嵐に備えて買い物に行ったのだが、レジは行列行列。でも、買っているものがおかしい。青果類、肉類・乳製品のケースは空っぽ。でも水とか缶詰とかは殆ど誰も手を出していない。そんなのには目もくれず、みんな頑張って、アイスクリームとかを買いだめていたりする。

災害時には水と保存食。水道管でも破裂したら、とか、そういう発想は起きないらしい。あるいは物流が一週間くらい、滞ったらどうしよう、とか。雪の重みで停電でも起きたらどうしよう、とか。道などわからないような、自動車も埋もれるような大雪で、水道管にしたって電線にしたって、そう簡単には修理できるわけがない。

なのに、「ゆ~きやこんこん、仕事も休みだし家に篭ってテレビでも見ていよう♪」、という発想らしい。家に篭っていたらステーキも食べたいし、アイスクリームも食べたい。頭悪いというか、もう、文明も衰退の兆しだ。本当に何か起きたときが、思いやられる。

2010年2月4日木曜日