今日は給料日、寿司の日。
天気があまりに心地よいので、さっぱりと白のピノグリジオを頼んだ。すると寿司屋の若大将は、ボタンエビとさっと湯がいたアスパラの、ヒラメ煮凝り和えを出してくれた。ボタンエビのしっぽのところは素揚げ、身の部分は絶妙な具合の炙り。逸品であった。
で、そんなこんなで話していたのだが、こういう炙りなど、絶対に失敗しないのだそうだ。というのは、毎回、どうやればうまくいくかを考えながらやっていれば、たとえ失敗しても、次には絶対同じ轍は踏まない。その研鑽の繰り返しで流石に16年目にもなれば失敗はないそうだ。大阪で修行していた駆け出しの頃は、親方の目が怖かったという。
それで思ったのだが、最近、勉強がマンネリ化してはいないか、と。もちろん毎日違うことを勉強するのだが、勉強の姿勢自体に、思慮がないのではないか。で、考えずに何となくやっていると、たとえ失敗しても、次も次も同じ失敗を繰り返す?
上医というのは、オベンキョー職人のような面がある。研究者は輪をかけて、しかり。絶対に失敗のない知識吸収・ストーリーづくりを目指して、また意識を引き締めようと思う。
2009年6月1日月曜日
2009年3月22日日曜日
卵巣ガンと保険適用
一昨日は産婦人科の学生向けの特別講義で、地元の卵巣ガン患者団体のおばさんたちが3人、話をしにきた。いろいろな病院・医学部・一般人向けのセミナーを通して、卵巣ガンの初期症状(腹部の鼓張、膨満、尿意切迫・頻尿、食欲減退・満腹感、腹部・骨盤部の痛み)について教育して回っているのだそうだ。そして、それぞれ自分の診断にいたった経過を話してくださった。
あるおばさんは、理想的な診断だったという。症状を呈して医者にいったら、すぐに放射線科で検査を受けて、治療も2週間以内に開始できたという(このおばさんは連邦政府職員というから、まともな健康保険なのではあるが)。
もう一人のおばさんは、2年以上にもわたって家庭医に無視され続けて、ついにしびれを切らせて専門家にいったら、全身に転移したステージ4だったという。卵巣ガンなどと相関のあるCA-125という糖蛋白マーカーがあるのだが、診断時にはそれが正常値の50倍以上であったという。「私、インターネットで症状を調べていたんです。それで何度、家庭医にCA-125を測定してください、ってお願いしたことでしょう。でも、必要ない、きっとただの逆流症状ですよ、と無視され続けたんですわ。あなたたちは、患者のいうことにもうちょっと耳を傾けるようにしてくださいね。」
このおばさんがわかっていないのは、「CA-125は卵巣ガンのスクリーニングには有効でない」という「エビデンス」が存在していて、それを根拠にたいていの保険屋は、スクリーニング目的ではこの検査に全く支払いがない、ということなのだ。つまり、家庭医の医院でもしもこの患者にCA-125検査を行っていたら、家庭医には一銭も検査費が戻ってこない、つまり、医院にとっては完全なる赤字検査である、ということである。症状がどうであれ、保険屋には関係ない。たとえ検査結果がHH(very high,とても陽性)で、その後卵巣ガンであることが判明したとしても、保険屋には関係ない、100%医院持ちということになる。
つまり、「エビデンス」というのは聞こえはいいし、重要な概念ではあるが、同時に、保険屋のコストカットの手段という側面がぬぐえないのである。一線で「エビデンス」を蓄積している臨床家たちはもちろん、患者のためを思ってやっている。だが同時に、<evidence-based medicineという概念が唱えられ出したのは、アメリカにおいて健康保険が完全資本主義式に転換しつつあった時期と重なっている>という事実も、否めないのだ。
現場で「エビデンス」は、個々人のプロフェショナルとしての判断を奪う手段として、用いられかねないのだ。料理人と、マクドナルドのバイトとの間の距離は、かくして、狭まる。
あるおばさんは、理想的な診断だったという。症状を呈して医者にいったら、すぐに放射線科で検査を受けて、治療も2週間以内に開始できたという(このおばさんは連邦政府職員というから、まともな健康保険なのではあるが)。
もう一人のおばさんは、2年以上にもわたって家庭医に無視され続けて、ついにしびれを切らせて専門家にいったら、全身に転移したステージ4だったという。卵巣ガンなどと相関のあるCA-125という糖蛋白マーカーがあるのだが、診断時にはそれが正常値の50倍以上であったという。「私、インターネットで症状を調べていたんです。それで何度、家庭医にCA-125を測定してください、ってお願いしたことでしょう。でも、必要ない、きっとただの逆流症状ですよ、と無視され続けたんですわ。あなたたちは、患者のいうことにもうちょっと耳を傾けるようにしてくださいね。」
このおばさんがわかっていないのは、「CA-125は卵巣ガンのスクリーニングには有効でない」という「エビデンス」が存在していて、それを根拠にたいていの保険屋は、スクリーニング目的ではこの検査に全く支払いがない、ということなのだ。つまり、家庭医の医院でもしもこの患者にCA-125検査を行っていたら、家庭医には一銭も検査費が戻ってこない、つまり、医院にとっては完全なる赤字検査である、ということである。症状がどうであれ、保険屋には関係ない。たとえ検査結果がHH(very high,とても陽性)で、その後卵巣ガンであることが判明したとしても、保険屋には関係ない、100%医院持ちということになる。
つまり、「エビデンス」というのは聞こえはいいし、重要な概念ではあるが、同時に、保険屋のコストカットの手段という側面がぬぐえないのである。一線で「エビデンス」を蓄積している臨床家たちはもちろん、患者のためを思ってやっている。だが同時に、<evidence-based medicineという概念が唱えられ出したのは、アメリカにおいて健康保険が完全資本主義式に転換しつつあった時期と重なっている>という事実も、否めないのだ。
現場で「エビデンス」は、個々人のプロフェショナルとしての判断を奪う手段として、用いられかねないのだ。料理人と、マクドナルドのバイトとの間の距離は、かくして、狭まる。
2008年11月15日土曜日
I'm Pulling Out Now
今日はクリニックの産婦人科の診療看護婦(Nurse Practioner、限定された医療行為を行う資格を取得した正看護婦さん)について、pelvic examを習った。医学部2年生の時、模擬患者で練習させられたが、オバアサンの模擬患者と、本物の若い女性では、考えてみれば当然だが、天地の差だった。
まあそれはどうでもよいのだが、speculum(膣につっこんで開くやつ)を抜くときに、「OK Ma'am, Try to Relax, It's Over, I'm Pulling Out Now」とかいったらしい。その患者が終わってから、うん、あなたこういったでしょ、「I'm removing the speculum」とかいう感じの方がいいよ、と指摘された。
もちろん、pulling outというのは性的なovertoneがあるから、こう指摘されたのだが、やっぱり無意識に使ってしまう言葉というのは、難しい。あとで普段ついているpreceptorのオバチャン女医さんに話したら、「あら、私ももしかしたらそういっちゃっているかもしれないわ。なるほど確かに気をつけた方がいいわね。」だそうだ。ということは、やっぱり、難しいのだ。
まあそれはどうでもよいのだが、speculum(膣につっこんで開くやつ)を抜くときに、「OK Ma'am, Try to Relax, It's Over, I'm Pulling Out Now」とかいったらしい。その患者が終わってから、うん、あなたこういったでしょ、「I'm removing the speculum」とかいう感じの方がいいよ、と指摘された。
もちろん、pulling outというのは性的なovertoneがあるから、こう指摘されたのだが、やっぱり無意識に使ってしまう言葉というのは、難しい。あとで普段ついているpreceptorのオバチャン女医さんに話したら、「あら、私ももしかしたらそういっちゃっているかもしれないわ。なるほど確かに気をつけた方がいいわね。」だそうだ。ということは、やっぱり、難しいのだ。
2008年11月12日水曜日
帝王学
今月働いている外来クリニックのディレクターは消化器なのだが、管理職の合間、少人数ではあるがまだ患者さんを持っている。おもしろい患者さんがあると、「ちょっとケンタ」とかいって、普段ついて患者さんをみているお医者さんのところから、連行される。で、患者の前で冗談を言いながら口頭試問(いわゆるpimping)を交えて、いろいろ教えてくれる。
今日別れ際に一つ、どういう具合だか、帝王学を授かった。気に入ってもらっているのだが、毛並みがよいと勘違いされているのだか、どうして僕に対してそういう帝王学を授けてくださったのかははっきりしないのだが、でもいずれ研究室を統率もしたいので、ありがたい。で、大左がいうには、「下の人を褒めるときは、なるべく他人の前で。下の人をしかるときは、必ず、プライベートで。」
このディレクターはいろいろ勝手なことをしながらも、クリニックの若い丘率たちから老暈医たちまで、総じて慕われているようだ。それは指渾官という上下関係だけではなく、帝王学ができている、ということもあるのかもしれない。
今日別れ際に一つ、どういう具合だか、帝王学を授かった。気に入ってもらっているのだが、毛並みがよいと勘違いされているのだか、どうして僕に対してそういう帝王学を授けてくださったのかははっきりしないのだが、でもいずれ研究室を統率もしたいので、ありがたい。で、大左がいうには、「下の人を褒めるときは、なるべく他人の前で。下の人をしかるときは、必ず、プライベートで。」
このディレクターはいろいろ勝手なことをしながらも、クリニックの若い丘率たちから老暈医たちまで、総じて慕われているようだ。それは指渾官という上下関係だけではなく、帝王学ができている、ということもあるのかもしれない。
2008年9月16日火曜日
納豆
納豆の朝食はおいしくて体にもよいが、ちょっと控えた方がよさそうだ。今日は一日中、朝の歯磨きにもかかわらず、口から枯草菌のにおいが。一生懸命ガムを噛んだり、うがいをしたりしていたのだが、口に納豆味ガムの感覚が残る。
2008年8月22日金曜日
病院インターネット
レジデントと話していて、Dubin
という、みんなが一度は読む心電図の教科書の話になった。このDubin氏、小児虐待だか猥褻だかで免許剥奪になった医者だというのは有名な噂だが、この噂の審議やいかに、という話題になった。
じゃあ、インターネットで調べようということになったのだが、レジデントは「molestation」とかそういうキーワードはまずいだろう、と「dubin child」を調べた。企業とかはよく、社員のインターネット利用を監視しているというが、病院のインターネットで変なのを調べてもやはりまずいのだろう。研究者とかは、そういう保身の態度はふつう全くないので、ちょっとカルチャーショック。病院という所は、研究室のような遊園地ではなく、本当の職場なんだな。
じゃあ、インターネットで調べようということになったのだが、レジデントは「molestation」とかそういうキーワードはまずいだろう、と「dubin child」を調べた。企業とかはよく、社員のインターネット利用を監視しているというが、病院のインターネットで変なのを調べてもやはりまずいのだろう。研究者とかは、そういう保身の態度はふつう全くないので、ちょっとカルチャーショック。病院という所は、研究室のような遊園地ではなく、本当の職場なんだな。
2008年8月20日水曜日
乳癌外来
今日は放射線科のMammography外来を見学。来週からは精神科で、見学ではなく実際に患者を受け持たなければならないという。せいぜいゆっくりしようと、今日もまたプールで30分ほど泳ぐ。
で、乳癌外来だが、先生はmammographを読みながら、時々診察室に出て行っては超音波。その超音波が実に上手で、世間話をしながら何気なく検査している。はじめはちょっと心配そうな患者も、これだったら安心できる感じ。でも、一緒に検査をしていたレジデントはどうしても、画面に集中してしまう。後で、「確かにはじめは集中しないと読めないけれどね、そういうときは患者さんに、『ちょっと集中して読みますけれども、心配しないでくださいね』ってちゃんといった方がいいよ。そうしないとしかめっつらをみて、心配しちゃうでしょ。」だって。うん、これはまさに接客業だ。
外科とか、普通の放射線科とか、病理とか、そういう変なところにでもいかない限り、患者とうまく世間話ができるのは重要でしょう。で男性相手だったらどうしても、野球とかアメフトの話ができた方がよい。といっても、どちらも興味はないし、そんなためにスポーツ面を読んだりするほど熱心でもない。恐ろしい高給取りの選手たちが球を投げるののどこがおもしろいのだか。
で、乳癌外来だが、先生はmammographを読みながら、時々診察室に出て行っては超音波。その超音波が実に上手で、世間話をしながら何気なく検査している。はじめはちょっと心配そうな患者も、これだったら安心できる感じ。でも、一緒に検査をしていたレジデントはどうしても、画面に集中してしまう。後で、「確かにはじめは集中しないと読めないけれどね、そういうときは患者さんに、『ちょっと集中して読みますけれども、心配しないでくださいね』ってちゃんといった方がいいよ。そうしないとしかめっつらをみて、心配しちゃうでしょ。」だって。うん、これはまさに接客業だ。
外科とか、普通の放射線科とか、病理とか、そういう変なところにでもいかない限り、患者とうまく世間話ができるのは重要でしょう。で男性相手だったらどうしても、野球とかアメフトの話ができた方がよい。といっても、どちらも興味はないし、そんなためにスポーツ面を読んだりするほど熱心でもない。恐ろしい高給取りの選手たちが球を投げるののどこがおもしろいのだか。
2008年8月18日月曜日
ニンニク(II)
以前も書いたが、ニンニクが好きで好きでしょうがない。
週末、買い物ついでに、Washington DCのタイ人たちが一番おいしいというThai Squareで、ニンニク風味の豚肉炒めを食べた。この店、安いけれども、いつもおいしい本格派である。米帝国の首都は世界中の人が一時的に暮らす妙な都市だから、こうした手頃で小さな本格派各国料理が多い。各国出身者を捕まえて尋ねると、大抵、おいしいのにありつける。
それはそうと、盛りつけがあまりに多くて一人では食べきれないものだから、doggie bag 1 を頼んで、半分持ち帰った。そこまではよいのだが、それをそのまま今日の弁当にしたのは、ちょっとまずかったかもしれない。容器のふたが緩かったこともあって、朝のカンファレンス中、鞄の中からニンニク臭が部屋中に立ちこめてしまった。昼はちょっと時間があったので、晴天の中庭で人目(人鼻?)を気にせず食べたが、その後、ガムで口直しをするのも一苦労であった。
1.ドギーバッグ... 米国の中級以下のレストランで食べた場合、食べきれなかった料理を使い捨て容器に詰めてもらって持ち帰る。これをdoggie bagというのだが、実際は犬にやるのではなくて、ふつうは、人が食べる。
週末、買い物ついでに、Washington DCのタイ人たちが一番おいしいというThai Squareで、ニンニク風味の豚肉炒めを食べた。この店、安いけれども、いつもおいしい本格派である。米帝国の首都は世界中の人が一時的に暮らす妙な都市だから、こうした手頃で小さな本格派各国料理が多い。各国出身者を捕まえて尋ねると、大抵、おいしいのにありつける。
それはそうと、盛りつけがあまりに多くて一人では食べきれないものだから、doggie bag 1 を頼んで、半分持ち帰った。そこまではよいのだが、それをそのまま今日の弁当にしたのは、ちょっとまずかったかもしれない。容器のふたが緩かったこともあって、朝のカンファレンス中、鞄の中からニンニク臭が部屋中に立ちこめてしまった。昼はちょっと時間があったので、晴天の中庭で人目(人鼻?)を気にせず食べたが、その後、ガムで口直しをするのも一苦労であった。
1.ドギーバッグ... 米国の中級以下のレストランで食べた場合、食べきれなかった料理を使い捨て容器に詰めてもらって持ち帰る。これをdoggie bagというのだが、実際は犬にやるのではなくて、ふつうは、人が食べる。
2008年8月7日木曜日
2007年5月9日水曜日
Ich bin noch kein Doktor
http://www.ifn-magdeburg.de/en/organization/events/index.jsp
日本の医学部で学部生でも「先生」とよぶのの一種と考えるべきか、当方での学歴詐称はありません。ま、み・こ・み、ということにしておこう。
| Time: | Monday, May 14, 2007 |
| Conference room: | 625 |
| Host: | Frank Ohl |
| Speaker: | Dr. Kentaroh Takagaki School of Medicine, Georgetown University Washington D.C. |
| Title: | Crossmodal Propagation of Sensory-Evoked and Spontaneous Activity in the Rat Neocortex |
| Link: | http://www.georgetown.edu/users/kt62 |
日本の医学部で学部生でも「先生」とよぶのの一種と考えるべきか、当方での学歴詐称はありません。ま、み・こ・み、ということにしておこう。
2007年4月6日金曜日
ニンニクチャーハン
私は不幸にして、ニンニクが大好きだ。ニンニクたっぷりのチャーハンなど、手間がかからないし、根拠もなく身体によい気もするので、最高である。今日はとくに豪勢にニンニクを使用した。
ところで。
病院に出るにあたって身だしなみは整えられても、ニンニク臭が体中から滲み出すのは止められない。料理した手や口腔もさることながら、頭部の毛穴がニンニク畑に。病院に出るときは、究極のサービス業に従事するものとして、ニンニクは自粛すべきだ。
失敗、失敗。
ところで。
病院に出るにあたって身だしなみは整えられても、ニンニク臭が体中から滲み出すのは止められない。料理した手や口腔もさることながら、頭部の毛穴がニンニク畑に。病院に出るときは、究極のサービス業に従事するものとして、ニンニクは自粛すべきだ。
失敗、失敗。
登録:
投稿 (Atom)