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2010年4月2日金曜日

San Francisco実習(1)

先月一ヶ月は、サンフランシスコのUCSFで、小児消化器の実習を行ってきました。




アメリカの医学部の最終学年(4年)は、どこのメディカルスクールでも殆どが自由選択実習なので、全米のどこで行っても良い。直接の医療以外にも、教授のさえあれば研究とかだって出来る。たとえば居年末は研究「実習」と称して、3ヶ月間、ドイツにポスドクに戻った(もっとも単位は2か月分しか認定されなかったが)。

医学の実習に関していうと、アメリカの認定されたメディカルスクールならどこでも、出身校の学費さえ払っていれば、よそのどこの学校・病院でも実習が出来るというシステムが整っている。あるいは、アフリカや南米の低開発国に行って病院で働く同級生も、とても多い。

アメリカの場合は出身校に残るということが必ずしも、良いこととはされない。まあ生え抜きで、出身校で研修を行って、研修終了後10年以内に正教授、なんていうサラブレッドはどこにでもいるが、通常はどうしても、同じところにずっと居座って特にうだつがあがらない場合は即、他所に移る実力・気力がない、と見られがちだ。つまり、研修は他所に移るのが、普通なのである。

それだから、この4年目のElective実習は、研修のオーディション(試用)や研修先決定の材料のために使われる。人気の科や人気病院に応募する同級生は、場合によっては半年近くを他所の学校で行ったりする。あるいはたとえば西海岸出身で、あるいは配偶者が遠距離の場合は、その当地に出向いて4年目の殆どをその地ですごすことだって、可能である。

僕の場合は1年間またドイツで研究してからおそらく、2011年のマッチで小児科のインターンを探すことになるので、小児科インターンのポジションがあるUCSFでオーディションをした。小児科は通常3年の研修だが、1年目インターンだけのPrelimというポジションもある。通常は、Prelimというと一般内科、一般外科、あるいはtransitionalと呼ばれるスーパーローテーションみたいなのの三種類だけであるが、実を言うと小児科のprelimというポジションもあるのだ。まあ殆ど知られていないし、全米で毎年20ポジションだけではあるが。Prelimの一年間を終えると、医師免許が取れ、また、麻酔科・放射線科・神経内科などの後期研修に進む資格が、生じる。ただし、各課(内科・外科・小児科)の専門医資格は、ない。




まあいずれにしても、サンフランシスコはとても気に入ってもらって、とても居心地がよく、また勉強になった。今月は必修の救急実習で比較的暇なので、ぼちぼち、先月の思い出を書き残すこととする。

ACLS

ACLS合格。こんなのでいいのだろうか。理論的には、心肺停止の患者に対する高度医療を施行できる、という資格であるわけだが、実践的には、無理というもの。ペーパードライバーもよいところ。

2010年4月1日木曜日

ACLS

医療者向けの心肺蘇生。救急実習の一環で2日間の講習を受講。4年生は病院でも、監視下ではありながら自分で医療を施す立場に立つことを求められるし、卒業も間近。

2010年2月6日土曜日

チャイゴ

夕食を準備しながらふとラジオをつけたら、チャイコフスキーの5番。なぜだか、深く、心に響く。そういえば、学部卒業でアメリカに戻ってMD/PhD課程をはじめる準備をしていた2002年の春も、チャイコフスキを聴いていたような気がする。弦組曲とか。

深い雪の中から春が生まれ、新たな一歩を踏み出すときには、チャイコフスキーなんかが、ちょうどよいのかもしれない。なぜだかチャイコフスキーは雪の中から顔を出す蕗の薹のイメージである。

ブラームズはあまりに暗いし、ベイトーベンはあまりに超越している。モーッツアートは無邪気すぎるし、メンデルゾーンとかシューマンあたりはセンチすぎる。ワグナーにしたってマーラーにしたってああいうのは頑張りすぎで、気乗りしないときは疲れてしまう。ドボルジャークは泥臭すぎ。

来月は、サンフランシスコにてオーディション実習。6月あたりはボストンにいくかもしれない。で、7月からは晴れてドイチュにてHerr Doktor Doktor Takagaki。雪に降り篭められては入るが、春は近い。

2 weeks

アメリカの医師免許試験であるUSMLEは3段階に分かれている。Step 1 (メディカルスクール2年目), Step 2 (メディカルスクール4年目), Step 3 (研修一年目)。Step 2にはさらに、合格・不合格だけの実技の部(Step 2CS)が課せられているが、これは基本的にアメリカ人は落ちないので、廃止が検討されている (5年位前まで、この実技試験は外国医学部卒業者のみに課されていたものだが、その制度に戻そうという計画が検討されているのだ)。

で、このStep 1, 2, 3についてよく言われるのが、「2 months、2 weeks、2 #2 pencils」。#2 pencilとは、日本で言うとHBよりもちょっと硬めの、標準的な鉛筆硬度である。ようするに、最初のStep 1はメディカルスクール2年生の最後と夏休みを全部費やして、2ヶ月間勉強するが、Step 2は2週間、Step 3はまったく勉強せずに鉛筆を2本だけ用意する、という意味。もっとも筆記からコンピュータ試験に移行してだいぶ立つので、この「2 #2 pencils」という洒落も通じなくなってくるのではあろうけれども。

たいていの場合は研修マッチ時点では、Step 1のみの点数が出ている状態なので、Step 2の点数はあまり重要でない。逆に、Step 1が振るわなかった場合は、点数がマッチ前に出るように早めにStep 2を受けて、名誉挽回を目指す場合もあるが、その場合を除いては、先々よっぽど競争の激しいFellowshipに応募するつもりでもなければ、Step 2は合格さえすれば良いのである。だから2 weeks。そして、日々の労働で疲れきったインターンが受けるStep 3という最終段階は、鉛筆だけ。

いずれにしても、Step 2CKまで2週間をきった今、勉強しなければ、というところである。

2010年2月3日水曜日

Step 2CS 合格

とりあえず、Step 2CSに合格しました。手洗いを何度か忘れてしまったので、これは駄目かと、ひやひやものでしたが、まあ、Georgetownの100%合格率を汚さずにすみました。アメリカのまともな学校で医学教育を受けていたら落ちようのない試験だ、とはいいますが、まあ、嬉しいは嬉しい。

3段階ある国家試験の2段階目(の内の実技)。ここまでくると、1年間の研修をうけて3段階目、免許取得までは完了してしまいたいような気分になってくる。今は楽しくて研究にためになる脳波実習。スケジュール的にも楽なので、こういう気分になってくるのだろう。

2010年1月26日火曜日

He'll be an excellent doctor...

...と退院していった患者さんが言ったそうな。「私もそう思うわよ」と看護婦さん。

これで、5人目。

よっぽど芝居がうまいのかも知れない。

2009年12月2日水曜日

AI

Acting Intern、インターン代行。メディカルスクール4年次の学生は、こう呼ばれる。そして事実上、インターンとして機能することになっている。学校によって、この建前の遵守度は違うようだが、Georgetownは臨床教育が厳しいので有名らしく、本当に、インターンのように、働かせられる。もちろん、免許はまだ取得していないので、オーダーなどはすべてシニアレジデントにcosignしてもらう。でも、書類や患者に対する説明や日々の雑多な医療行為など、特に力のあるシニアレジデントのチームにいると、監視下でうまく泳がせてもらえる。

ドイツから帰ってきて、AI初日。3年生気分の持ち越しで、受け持ち患者について「Do you want to put XXX on YYY?」とシニアに質問したら、「How should I know? You're his doctor!」だって。病院や病気の様子など一通り見えてきて、気を抜きたくなった瞬間に、もう一段と責任を取らせられる。医学教育というのは、そういうものらしい。



「I'm going to put XXX on YYY for ZZZ because AAA. 」といって、オーダーをサインしてもらうのが、正しい。その論理が間違っていれば、その時点で、「No, you should use BBB because CCC.」となる。

2009年9月25日金曜日

大教授

また例によってコーヒールームで大教授・所長と雑談。運良く医学部卒業後にアメリカでやった研究が大当たりして、31歳でC4(正教授)の職を手にしたのだそうだ。Habilitationもしないうちに、臨床研修も終えないうちに、異例の大抜擢であった。

「まあでも私は奇跡的にに運がよかったので、それをキャリアの参考にするのは無理というもの。君も、来年までにC4のオファーがなければ、研修して医師免許くらいとっといた方がいいかもしれんぞ、ワッハッハ。」でも、研究所に戻ってくるたびに、研究がますます、おもしろくてしょうがない。ボスとの関係、同僚との関係、プロジェクトの進展、どれも理想的に近いという、悩みどころだ。まあ、今考えてもしょうがないことではあるが。

2009年8月13日木曜日

近況

無事、Medical Schoolの3年(MD/PhD7年)は修了して、研究「実習」で3ヶ月、ドイツに来ています。

MS-3の最後の方はいろいろ考え事が多くて、ブログもほとんどしていませんでした。研修をするか、しないか。まあだいたい、案件はそこにつきるのですが、結論としては... 卒業後一年間はドイツで研究員の任期を果たしてのち、2011年の夏から1年間は研修をして、免許までは取得することになりそうです。その後は研究一筋のつもりですが、先々状況が変われば、また2年目以降の研修を継続すればいいようなわけです。

免許取得後はまたドイツに戻ってくるオプションが濃厚でしょうか。ドイツの国家試験をとってこっちで研究重視の臨床研修をしたりとか、そんなことまで含めて考えていると、本当に泥沼の考え事で、とにかく悶々とまとまらずにおりました。特にここ数ヶ月、なんだかいろいろな知識が一段と使いこなせるようになってきて、楽しくて楽しくて、それもあって臨床に関しても後ろ髪を引かれる思いが、ことを複雑にしているのだと思います。でも、一流の研究者と一流の上医の両方を目指して、「どちらも二流、あわせて1.5流」、みたいな典型的パターンには陥りたくないし、僕自身複数のことをこなす器用さはないのでとくに危険を感じます。

あと、この先アメリカの医療の崩壊は、今以上に極端な形で進んでいくことが、ほぼ間違いなさそうな世情です。病人の面倒をみるというのは、基本的には金にならない営み。でもアメリカではその「医療」が収益事業であるという倒錯が根強く、それが変わらない限りは、何も改善されない気がするのです。一例を挙げると、先進国はどこもおしなべて医療費の5%程度が事務諸経費に充てられていますが、アメリカでは医療費のなんと1/3が<保険会社の株主>やら、<宣伝広告費>やら、<保険申請の却下をすべく患者(顧客)のカルテの誤記事項などを監査する部署>やらに、消えていっているのです。現状ですら、アメリカで医療に携わることに関しては相当な責任だと感じます。研修中などであれば惨状を無視してもいられるのでしょうけれど、一端見えてしまった世界に目をつぶるのは、難しそうです。

まあ、ブランクの期間のブログについては、メモは残してあるので、ドイツにいる間に少しは遡って書けるかもしれません。

2009年6月21日日曜日

Third year修了

まあ正確に言うと、研究をしていた都合でまだ1ヶ月半、家庭医療と神経内科を回らなければならないのだが、まあ、外科を終えたわけで、Medical Schoolで一番大変な1年は終わったに等しい。久しぶりの休暇、10日間。一息つきながらTchaikovskyを聞いたり、積ん読になっていたいろいろな本をかじったり、ぶらぶら街を散歩して考えることしきり。

この半年で発見したこと:実をいうと、臨床は、嫌いではない。きっとそれなりの臨床家にも、なりうるような気はしてきた。でもそれ以上に、やっぱり研究の方が、好きである。研究のことを考えていない日々は、やはり、どこかで息苦しい。あと、現在のような高度専門化の元では、本質的に意味のある基礎研究と上質の医療を同時に行うことは、まず不可能といって差し支えない。少なくとも、僕には。

まあ卒後1年間の研修を経て免許だけは取ることになるだろう。その研修マッチの際の売り込みも考えなければならない。つまり、「1年きりのつもりのお客さんが、果たしてどれだけきちんと働くだろうか」という疑問に答えねばならないのだ。でもよく考えたら、この「臨床」という希有な体験があと、4年の研修前実習と、インターンの1年だけしか積めない、ということは、ある意味でその1年がより貴重であるという風にもとれる。その1年で、一生分の研究の糧を蓄え込まなければならない。そういう側面を提示できれば、研修プログラムもこちらの姿勢に納得を示さないとも、限らない。

2009年6月13日土曜日

脳をみたい?

先日「脳をみてみたい」、とブログした。実際外科というのは、手術がおもしろいのが醍醐味なのである。でも逆に、これはある意味、患者の不幸を願っているともとれる。

それで念願かなって、昨日と今日の当直と、十二分に脳とおつきあいすることになった。Aneurysm clippingとintracranial hematomaの助手。

とりわけ2件目は、産婦人科、移植外科、脳外科と長いあいだfollowしてきた患者さんなので、さらに妙な気分。別にストーカーじゃないんですけれども、なんだか僕がローテーションするとその科の疾患に罹ってしまうような。よりにもよって僕が脳外科当直の休日に、緊急手術が必要になるとは。2月に産婦人科を回っていた頃から入院しているのだが、人のいい旦那さんとかわいい幼児を残して、瀕死状態である。硬膜をあけたら、raspberry jamのような黒いドロドロが押し出されるようにして顔をのぞかせる。白く浮いているのはいうまでもなく、血腫によって圧死した脳片である。

もちろん、重篤な疾患で入院した患者さんにとっては、経験豊富な医師がそこにいることはなにより重要である。だが、やはり、人の死が仕事かつ醍醐味であるというのは、ちょっとヤクザっぽいことは否めない。重病人がいなければ、医師は育たないし、経験も積めない。その点基礎研究は、研究費さえ稼げれば、誰の不幸をも願わずして、自分の重要と思う仕事を進めることができる。とても無責任な考え方ではあるが。

2009年5月19日火曜日

卒業式

先週末は、上の学年の卒業式であった。不思議な気分である。

メディカルスクールに一緒に入学した同級生が卒業した2006年、卒業式に顔を出したが、さして不思議な気分であった記憶はない。その当時は博士のまっただ中で、他人の卒業式などかまっていられない、というのと、その時点ではまだ自らの卒業が全くイメージできなかった、というのが大きいのかもしれない。

しかし、今年は実に不思議な気分である。卒業式には参加しなかったが、何人か、卒業パーティーに行ってきた。でいよいよ最終学年であるという実感とともに、右も左もわからなかった1年前に比べ、病院の仕組みや将来もし仮に臨床に携わった場合のイメージなどがはっきりとつかめてきたこともあり、来年の夏あたりには医師として診療に携わる立場になりうるという実感が、沸々とわいてきた。その上、この先キャリアをどうしていこうか、ということも、またひとしきり考えなくもない。



まあ来年夏から1年間は、またドイツでの研究が決まっている。おそらく一番順当なのは、その後1年間だけ研修して免許取得、なのだろう。でも、実をいうと小児科とかだと、うまくやると2年で全研修を終了して小児科認定医、という抜け道があるのだ。ただ、2年もドイツを離れると、ドイツはいったん、完全に店じまいということになろう。いろいろと中長期的に実りのありそうなプロジェクトが仕込んであるので、悩みどころではある。1年だけの研修なら、片足を残しておける。

一方で、うまい具合にアメリカのいいところの小児科に足がかりを作ると、そこに居着くという可能性だって開けなくもない。小児科は研究が不足しているので、立場は比較的確保しやすいと考えられる。ただこの先、アメリカの研究は中長期的に凋落することが予想されるので、いくらいい病院でも、アメリカに足がかりを作ることの意味は、どれほどのものであろうか。基礎研究で世界的にいえば、免許さえ取っていれば、アメリカの認定医であろうがなかろうが、大勢に影響はない。また、仮に仮に、ドイツや日本で臨床に携わりたいとなっても、アメリカの認定医にどれほどの意味があるかは、疑問がある。



先日一瞬、MPH(公衆衛生の学位)をとったらどうだろうか、などと考えたりした。お金と時間とエネルギーさえあれば、オンラインでHopkinsとか結構いいところのMPHが取得できる。

表面的な理由はというと、
  1. 脳の医療で重要なのは対症療法よりは予防、脳の病気なんていうのは、いったんなってしまってからではどうにもならないものがほとんどである。肝臓とか腎臓とかのような単純な組織ではないから、ちょっと移植したり幹細胞を注射してあげれば機能が復活する、という希望は、皆無に近い。組織構造が複雑で細胞の種類も多いので、特異的に効く特効薬、というのもほとんどあり得ない。
  2. 脳科学というのは、工学系の人が多いが、実をいうと脳科学は生物学中の生物学であり、<複雑な脳細胞の「人口集団」を、精度・確度の低い実験方法で「調査」して、調査方法の問題をなるべくかいくぐりながら「統計」で無理矢理話をつける>という側面がある。その意味では、公衆衛生の学問観に学ぶべきところがあるような気がしてならない。
  3. MPHがあれば、たとえ認定医研修を終えていなくても、医学の世界で肩身が狭いようなことはないのではないか、という考え。

でも、これは一種の精神病理ともとれる。いつまでも卒業したくないモラトリアム症候群。あるいは、名前の後に学位をたくさん並べたいという、ナルシシズム。まあおそらく、大学院の学位は2つでもう十分。3つめなんてキチガイじみたことは、おそらくなかろう。

2009年4月15日水曜日

葛藤

「Kenta, you're going to be a really good doctor.」

もう3週間も一緒に働いている超熟練のオペ看護婦さん。細かいことに実に細かく気が回る人で、人当たりもよいので、患者さんには大人気。ルールには厳しく、この人のオペ室では患者の取り違えとか、機械の体内への置き忘れなどは当然のこと、些細な器具の整備不良なども絶対に起こりえない。でいつもの通り、麻酔から覚めつつある患者さんの世話を手伝っていたら、↑のように、いわれた。

直接のきっかけは、患者さんの足に機械を取り付ける前に一言、「足に○○をつけますよ」と一言声を掛けただけなのだが。曰く、「もっとずっと慣れたレジデントでもね、寝覚めの意識が朦朧としている患者さんにもきちんと声をかけられる人は、ほとんどいないですよ」だそうだ。まあ、種を明かせば、その看護婦さんのスタイルをまねている部分は多分にあるのだが。

でも、もう3週間もあのオペ室で働いているので、総合評価も含んでいるというのはまあ、間違いない。そのオペ看、必要とあれば容赦なく厳しい人で、右に左に愛想を振りまくような人ではない。しかもきっと30年以上にわたるキャリアで、想像を絶する人数の指導医・研修医・学生を見てきている人である。優秀な看護師ほど、医師~学生をよく見ているし、見る目は厳しい。そういう人にある程度評価されると、言葉の重みというかありがたみというか、付随する責任感が段違いである。「でも、実をいうと研究が本命なんですぅ~。ボク、doctorにはならないんですぅ~」なんて、口が裂けても、いえない。

今週でこのローテーションも終わりだと知るや、「あら先生、Kentaはこのローテーション、不可ということにしましょう、そしたらずっとうちに引き留められますわ。」などと、指導医と冗談を交わす。ありがたいというか、騙しているようで申し訳ない。実をいうと医学生は仮の姿、心は研究室から一歩も出ていないのに。

帰りの車中、頭の中で繰り返し考えたが、研究をきちんとやることと臨床をきちんとやることとは、やっぱり僕には、同時に両立できるキャリアではない。そしてそろそろ最終選択を迫られる時限だが、やっぱり、研究が、本命だ。長年の教育と、数え切れない人たちの教え・努力・好意を踏みにじったうえでも、研究が、本命だ。

2009年4月14日火曜日

クラス会

夜7時、例によってクラス会。同級生は皆来年度の前半のスケジュールで大変だ。7月から11月くらいまでの間に、志望科におけるGeorgetownでのAI(インターン実習、事実上インターンの代行)や志望先でのオーディション実習を詰め込まなければならない。あと、Step 2のCSも、12月31日までに受験することが義務づけられている(追試処分になっても卒業までに修了できるように)。担当の教授からの説明や事務の説明があった。

2009年3月26日木曜日

内科説明会

今日は内科研修、内科・小児科研修、内科初期研修希望者を対象とした説明会が開かれた。内科の諸先生方と内科にマッチしたばかりの4年生たちとが、3年生を対象にこの先一年間のマッチまでの課程やポイントを説明。明日産婦人科の試験なので、ざっとメモだけ。
  • オーディション... 内科の場合は基本的に不要、場合によっては負に働く。でも、研修先の素顔をみておくという意味で有意義である、インタビューの日はよいところしか見せてはくれない
  • そろそろCV履歴書やpersonal statementのテーマを考え出した方がよい
  • 内科研修部長、学生教育部長などとよく相談して、応募先を決める(reachとsafety滑り止めの両方を含めてバランスよく)
  • program coordinator(事務の人)がとても重要。内科研修のprogram coordinatorもこの説明会に参加していて、彼らの立場からみた攻略法を説明。だいたい、program coordinatorと密に連絡を取って愛想よくしておくと、印象に残っていて、そのつもりがなくても事務の際にどうしても丁寧に扱うことになりますよ、だそうだ。逆にprogram coordinatorに対してあまり失礼はないように、それがあると×がつくそうだ。ま、当然といえば当然の話だが。
  • どうしてもいきたいプログラムで11月末くらいまでにインタビューをもらえなかったら、まずはprogram coordinatorに直接、強い希望を伝える。それでもだめなら、研修部長・教育部長に電話を入れてもらう。もしもあまり無理のない範囲の志望先だと、これでだいたいインタビューがもらえることが多い。(GeorgetownならGeorgetownの学生は何人までインタビュー、という枠がだいたい決まっていて、それでインタビューがもらえないことがほとんどなので、そういう意味でこの学校からの推薦電話一本がきいたりするのだという)今年も何人か、この手段で手に入れたインタビュー先にマッチしたという。
  • Personal statement... 必ず教育部長か研修部長に下書きを直してもらうこと。
  • 推薦状... 有名な先生よりは、直接指導下で臨床をした先生、そして心のこもった人柄が伝わる推薦状を書いてくれる先生を選ぶこと。書き慣れていない先生は選ばない方がよい。推薦状の先生を選ぶ前に一言、教育部長・研修部長に依頼リストを見てもらうと、やめておいた方がよい、手紙の下手糞な先生を指摘してくれるそうだ。
  • マッチした同窓生に連絡して、プログラムの短所長所を調べる
どの科もそのようであるが、内科の先生方も、内科に進みたい学生の面倒をじつに事細かにみてくれるつもりらしい。こうして、うちの学校のマッチ実績が保たれているのだろう。

2009年3月18日水曜日

面談

そろそろ、来年度の4年次away electiveの出願をしなくてはならない。(アメリカ国内のメディカルスクールに在学している場合、通常出願費100ドル程度の実費で、よその学校での1ヶ月単位の病院研修が可能だ。まあ、出願して採用されればの話ではあるが。過誤保険などは通常、出身校の保険を適応、外国からの場合は、相互利益がないだけではなく、この過誤保険もネックとなるようだ。マッチ前のオーディションとして、将来働きたい研修病院で行うことが(特に競争の激しい病院や研修課では)通常である。

そのほか、臨床キャリアプランの落としどころがだいたい見えてきたので、それも含めて、病棟で親切に面倒をみていただいた小児科の教授と面談することにした。この先生の旦那さんは実を言うと、著名な理論脳科学者でもある。



で、awayの出願は、各メディカルスクールの在学生のローテーションがあらかた固まる4月後半あたりが、山場なのだ。在学生のローテーションを確保してから、よその学生で、穴を埋める。

実際にawayをするのはいつかというと、通常、4年次の最初は自身の出身校で内科や志望科の4年次acting internship(subinternship)を1ヶ月やって経験を積み、晩夏から初秋にオーディションするというのが通常のスケジュール。面接シーズンの晩秋までにはだいたい皆、終える。僕は研究を1年間はさんで1年遅れのマッチとなるため、冬から春にかけて、そして同級生のマッチが決まったあとも、オーディションが可能である。



Audition awayを行うかどうかについては、賛否両論ある。面接ではある程度コントロールされた状況下で評価されるため、売り込みのうまい場合はオーディションなどしない方がよいような場合だってある。オーディションで1ヶ月いた場合など、ボロが出たり、あるいはたまたまチームが悪かったりして大失敗、なんていうことだってないとはいえない。

僕の場合はおそらく小児科のインターンという普段ないパターンの研修を行うことになりそうなので(小児科は通常、3年一貫教育である)、研修先も全国17カ所の24ポジションに限られる。ごく限られたポジションなので、教授からは、志望順位の高いところの中でなるべくたくさんオーディションをするように、アドバイスをいただいた。あと、君は、面接という限られた時間よりもじっくりと働きぶりをみてもらった方が有利なんじゃないかしら、と。一応、褒め言葉と受け止めておく。



さらに、今までの科での評価からは、「内気すぎる」というのと「もっと自信を持って」というのが何度も出てきたので、それらについても相談した。「自信」については、まあ、経験を積めばどんどん直るだろう、と。特に、希な鑑別もよいが、非常にコモンな鑑別と、あとは危険信号にきちんと対応するような訓練を積めば積むほど、自然に治るだろう、と。つまり、研究のような勉強の仕方だけじゃなくて、もっと実践的な対応もちゃんと経験を積むよう心がけると、楽になるのだと。確かに僕は、本を読めば人生万事解決すると思っている節があることは、否めない。

「内気」については、まあ、あまり無理はすることはないけれども、「これは自分の職業的な仮面だ」という側面を意識すると、気が楽なのではないか、と。まあ臨床の場では普段の生活ではとてもではないが口にできないようなことを訊くたり、とてもではないが他人にはできないような行為を平気で行うことになる。それらが自分の素ではないことをしっかり意識して、白衣と一緒にある人格もまとうような感じを頭のどこかで意識するといいよ、だって。

あとチーム内では、手の空いたときに進んで色々な人に話しかけて手伝うような積極性があると、周りの印象がだいぶ違うんじゃないかしら、だって。あまり黙々と働くのは、よくないようだ。

また、3年生はよっぽど忙しい場合や簡単な患者をのぞいては、すべてレジデントの監督の下であったり、レジデントが後で重要な所見は取り直したりすることになるので、臨床上の役割がだいぶredundantである。4年次のAIになると、そこらへんの責任も一段高まるので、その意味でも役割がはっきりして、自信を持って演技に臨める気も、する。

2009年2月9日月曜日

How many lives did #you# save today?

半ばやけっぱちにも聞こえるが、内科の外部病院のattendingいわく。

ビジネススクールにいった同級生とかと会ってね、毎週末ゴルフをしていて、優雅なナイトライフを送っていて、そんなライフスタイルとかが羨ましくなったら、一言訊くといいんだよ、
「俺は今日、3人の命を救った。お前は何人、救ったのかね?」

まあ、business school卒をうらやむ時代は、終わったのかもしれないが。

2009年1月28日水曜日

小児科preliminary year

研究が本命。でも、医師免許はいろいろな事情からあった方がよい。アメリカだと大学4年卒業してメディカルスクールさらに4年(研究医課程だと7,8年)だが、学位MDは別として、医師免許を取得するためには、さらに最低限1年間の研修が必要となる。つまりアメリカの医科大学院は、実質大学卒業後5年間の課程、ということになる。

研究などほかの方面に進む予定で免許だけ取りたい、という場合は通常、内科のpreliminary yearという一年間限りの研修(インターン)をやる。(一般内科医として認定を受けるためにはさらに2年、専門内科医として認定を受けるためにはその上さらに3年くらい研修が必要である)。まあ、外科のpreliminary yearや、いろいろな科をまわるtransitionalと呼ばれる一年もあるにはあるのだが。

で最近、小児科が楽しくてしょうがないし、他人とコミュニケーションをとるのが苦手な僕としては、内科より小児科の方が絶対に向いているような気がしてならない。また、科学的にも、小児科の方がおもしろい。というのは、何十年もの残渣がつもって起きる内科系の慢性病なんていうのは、一般的にいうと、そう簡単に実験系に落とし込むことはできない。癌みたいな大人と子供と両方起きる疾患だって、小児癌の方が総じて純粋な形で露見する。あと誤解を恐れずにはっきり言ってしまうと、大人までなかなか生き残れないような奇病だって、小児科なら世話をすることがある。そして、罪深い大人の騙し合いにも発展しかねない内科診療とは違い、少なくとも子供には、罪は、ない。

だから、もしも科学者として生き残れなかったら、小児科だろうと思う。でなければ、老人科ないしは腫瘍内科。死にゆく人も総じて、原罪のみの原初の形に回帰する。



ちょっと調べたら、数は少ないが、小児科のpreliminary yearというのも、あるらしい。すると、小児科に暮らしながら免許が取得でき、先々臨床(小児科)に戻ろうということになっても都合がよい。ただし、全米でポジションの総数は20足らず。研究が盛んなような病院(大学)に限っていうと、片手に収まってしまう。

だから今日はうちの大学の小児科の研修部長に話を聞きに行った。で、今までの成績とか履歴を見せたら、たしかにポジションの数は少ないが、そのポジションを目指す人も少ないわけで、このままいけば十分可能性があるような回答だった。だから、これからは「what do you want to go into?」と聞かれたら、迷わず、「peds preliminary year」と答えることとしよう。珍しいコースなので話のネタにもなるし、すかさず研究医課程の特待生であることをさりげなくintroduceするきっかけでもある(10中8,9、MD/PhD課程の学生だとわかると、指導医でも研修医でも、皆リスペクトというか丁寧さが変わる)。あと、小児科は総じて病院の中では下にみられがちだが、内心どこかでは皆、尊敬している気もする。

だけれども、免許だけ取得して、何年か研究をした後にまた小児科の研修に戻ろうとすると、それはそれで大変らしい。小児科というのは基本的には、2年目からの研修というのがなく、3年一環の教育が主流なのだ。また研修中の人の流動も少ない科なのだそうだ。そのうえ、臨床にギャップがあることは、好まれないという。ギャップなく、というと研修の1年目からやり直す、という手もありそうだが、そうすると政府からの研修補助金が余計な1年分は出ないため、金銭的に受け入れてくれる病院は少なかろう、と研修部長はいう。

ただ研修を完了して認定医でなくても、政府機関や国際機関で働く場合は、免許の有無だけで全然待遇が違うそうだ。そういう可能性については、全く考えていなかったので、とても参考になった。

まあ、とても親切な方でいろいろ教えていただいたので、とても充実したmeetingであった。

2009年1月13日火曜日

欺瞞

病院の空気のどこが嫌か、といろいろ考えたのだが、一つには医者が尊大というか、take themselves too seriouslyしている度合いが平均して高いということ。確かに患者の病気はseriousだったりするのだが、それと向き合っているのは、まずは医者ではなくて患者なのである。

子供の病気と向き合う親御さんをみていると、真に病気と向き合う、ということのなんたるかが、特によくわかる気がする。それにひきかえ、医者は所詮は他人だし、深入りすれば深入りするほど、きっと自分がすり減っていく。特に「10分間診療」の時代には、そんなの、罷り通らないのかもしれないが、たとえ理想的な医療体制だったとしても、患者は一人ではないので、真正面からの体当たりは、本質的に、許されない。そこに人間として、心の溝というか、一種の欺瞞というかが生じる。でも、ここらへん、よくわからない。



さらにいえば、ある程度は尊大な面もなければ務まらない、というのもまさに正論かもしれない。いくら心の溝とか何とかいったって最終的には、人の裸をつつき回したり、とてもセンシチブな質問を何食わぬ顔して訊いたり、これは必要不可欠なのである。外科とかではさらに、治療目的の傷害に及ぶから、さらにこの傾向はひどいのかもしれない。

あるいは例えば今日なんか、糖尿の子とかもいるというのに病棟の朝食の配膳が何時間も遅れて、指導医が怒り心頭で電話していた。まあその指導医の怒りは、実をいうと芝居の面が強いし、この一件に関してはそうしないと事が運ばないという、アメリカの崩壊した医療・社会体制にも、問題があるのかもしれない。つまり、給食室の配膳係が、自分の仕事に誇りと責任を、持たない・持てない。いずれにせよ、看護婦さんがいくら電話しても、こないものはこない。指導医が電話をしたら、10分で、来た。このたぐいの話は、よく、ある。

だから、医者というのはある意味で尊大であることが、仕事の一環である気も、やっぱり、する。そこら辺、つくづく、よくわからない。