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2009年6月17日水曜日

...she passed at three o'clock...

夜、帰りがけに、一般外科ICU病棟にふらっと立ち寄った。別に強い目的意識があったわけでもないが、ある患者の容態が気になって。この患者は、産婦人科、移植外科、脳外科と3ローテーション・4ヶ月にわたって、間断的に受け持っていた。空っぽの部屋を指さしたら、看護婦さんが、「あら、3時にお亡くなりになったんですよ。」と。まあ、最後だけは静かに息を引き取ったとのこと。

でもいろいろな指導医の判断をみていると、体制に対する猜疑心というか、疑問が発展してきた。その成長も、この患者さんがきっかけ。結局医者というのは本当に患者のためを思っているのか、という点に尽きる。不幸にして、答えがNoであることが、あまりに多いのだ、特に外科医。

2009年6月13日土曜日

脳をみたい?

先日「脳をみてみたい」、とブログした。実際外科というのは、手術がおもしろいのが醍醐味なのである。でも逆に、これはある意味、患者の不幸を願っているともとれる。

それで念願かなって、昨日と今日の当直と、十二分に脳とおつきあいすることになった。Aneurysm clippingとintracranial hematomaの助手。

とりわけ2件目は、産婦人科、移植外科、脳外科と長いあいだfollowしてきた患者さんなので、さらに妙な気分。別にストーカーじゃないんですけれども、なんだか僕がローテーションするとその科の疾患に罹ってしまうような。よりにもよって僕が脳外科当直の休日に、緊急手術が必要になるとは。2月に産婦人科を回っていた頃から入院しているのだが、人のいい旦那さんとかわいい幼児を残して、瀕死状態である。硬膜をあけたら、raspberry jamのような黒いドロドロが押し出されるようにして顔をのぞかせる。白く浮いているのはいうまでもなく、血腫によって圧死した脳片である。

もちろん、重篤な疾患で入院した患者さんにとっては、経験豊富な医師がそこにいることはなにより重要である。だが、やはり、人の死が仕事かつ醍醐味であるというのは、ちょっとヤクザっぽいことは否めない。重病人がいなければ、医師は育たないし、経験も積めない。その点基礎研究は、研究費さえ稼げれば、誰の不幸をも願わずして、自分の重要と思う仕事を進めることができる。とても無責任な考え方ではあるが。

2009年6月12日金曜日

脳外科

6時から4時まで立ちっぱなし。7時間の大手術。まあ、おもしろいはおもしろいのだが、猿の脳とあまり変わらないので、感動が薄い。あと、これは人間的な働き方とはいえまい。膝の感覚は、とうに失せている。

もしも、血管外科とかだとそのうえ、放射線を日光のように浴びるから、きっと40,50にもなったらみんなリュウマチで体中の間接がガクガクなのだろう。

おもしろいはおもしろいし、上手にできたら気分もよいのだろうけれど、ある意味でルーチーン・ワークになってしまいかねない気がする。医学全般、その面があるのかもしれないが。

2009年6月10日水曜日

脳外科

天国のように暇だった眼科に次いで、今年最後のお題は脳外科二週間。専門外科では唯一、当直を課されている。初日は6時から開始。いきなり、3時近くまでぶっ通しのT12-L5 XLIF(歪んだ脊柱を固定する手術の一種)。しかも、定期的に写真を撮りながらの手術なので、術中の6時間くらいは重い鉛を着て、死にそうだった。

しかも、レジデントがいなくて、例によって1階級特進の第一助手。最近こういうことが多いのは、年度の終わりに向けて、レジデントたちが休みを取ったり、面倒くさいルーチン症例に消極的になっているためだろうか。隣の部屋でやっていた、巨大髄膜腫(頭蓋骨を食い破って、実に漫画のシンプソンみたいにあたまが隆起)は、やけににぎわっていたようだが、それを尻目に若い指導医と黙々とspinal surgery。せっかくの脳外科なのだから、ぼくも、脳を少しはみたいものだ。

まあ、整形外科でも脊柱は若干さわったので、pimpなども抜かりなく瞬時に合格。小さな穴からやる手術なのだが、脊椎の解剖も最近やっとだいたい頭に染みついてきたので、ほとんど何も見えなくても無事助手が務まった。