2009年6月23日火曜日

ビールとソーセージ

近所のスーパーでドイツ産のソーセージとドイツ産のヘフェヴァイツェン。まだ1ヶ月半、このあついワシントンで過ごさなければならないのだが、気持ちは早くもドイツでの3ヶ月の研究滞在しか頭にない。

10日間の夏休みだが、論文を読んだり物書きをしたり、毎日500-1000m泳いだり、もう絶好調である。苦しかった一年が終わって、一転してヨーロッパ流の悠々自適生活。

2009年6月21日日曜日

Third year修了

まあ正確に言うと、研究をしていた都合でまだ1ヶ月半、家庭医療と神経内科を回らなければならないのだが、まあ、外科を終えたわけで、Medical Schoolで一番大変な1年は終わったに等しい。久しぶりの休暇、10日間。一息つきながらTchaikovskyを聞いたり、積ん読になっていたいろいろな本をかじったり、ぶらぶら街を散歩して考えることしきり。

この半年で発見したこと:実をいうと、臨床は、嫌いではない。きっとそれなりの臨床家にも、なりうるような気はしてきた。でもそれ以上に、やっぱり研究の方が、好きである。研究のことを考えていない日々は、やはり、どこかで息苦しい。あと、現在のような高度専門化の元では、本質的に意味のある基礎研究と上質の医療を同時に行うことは、まず不可能といって差し支えない。少なくとも、僕には。

まあ卒後1年間の研修を経て免許だけは取ることになるだろう。その研修マッチの際の売り込みも考えなければならない。つまり、「1年きりのつもりのお客さんが、果たしてどれだけきちんと働くだろうか」という疑問に答えねばならないのだ。でもよく考えたら、この「臨床」という希有な体験があと、4年の研修前実習と、インターンの1年だけしか積めない、ということは、ある意味でその1年がより貴重であるという風にもとれる。その1年で、一生分の研究の糧を蓄え込まなければならない。そういう側面を提示できれば、研修プログラムもこちらの姿勢に納得を示さないとも、限らない。

Forgetting

Forgetting, not Memory
Fuzziness, not Rational Analyses

Schizophrenics are born in winter

2009年6月17日水曜日

...she passed at three o'clock...

夜、帰りがけに、一般外科ICU病棟にふらっと立ち寄った。別に強い目的意識があったわけでもないが、ある患者の容態が気になって。この患者は、産婦人科、移植外科、脳外科と3ローテーション・4ヶ月にわたって、間断的に受け持っていた。空っぽの部屋を指さしたら、看護婦さんが、「あら、3時にお亡くなりになったんですよ。」と。まあ、最後だけは静かに息を引き取ったとのこと。

でもいろいろな指導医の判断をみていると、体制に対する猜疑心というか、疑問が発展してきた。その成長も、この患者さんがきっかけ。結局医者というのは本当に患者のためを思っているのか、という点に尽きる。不幸にして、答えがNoであることが、あまりに多いのだ、特に外科医。

2009年6月13日土曜日

脳をみたい?

先日「脳をみてみたい」、とブログした。実際外科というのは、手術がおもしろいのが醍醐味なのである。でも逆に、これはある意味、患者の不幸を願っているともとれる。

それで念願かなって、昨日と今日の当直と、十二分に脳とおつきあいすることになった。Aneurysm clippingとintracranial hematomaの助手。

とりわけ2件目は、産婦人科、移植外科、脳外科と長いあいだfollowしてきた患者さんなので、さらに妙な気分。別にストーカーじゃないんですけれども、なんだか僕がローテーションするとその科の疾患に罹ってしまうような。よりにもよって僕が脳外科当直の休日に、緊急手術が必要になるとは。2月に産婦人科を回っていた頃から入院しているのだが、人のいい旦那さんとかわいい幼児を残して、瀕死状態である。硬膜をあけたら、raspberry jamのような黒いドロドロが押し出されるようにして顔をのぞかせる。白く浮いているのはいうまでもなく、血腫によって圧死した脳片である。

もちろん、重篤な疾患で入院した患者さんにとっては、経験豊富な医師がそこにいることはなにより重要である。だが、やはり、人の死が仕事かつ醍醐味であるというのは、ちょっとヤクザっぽいことは否めない。重病人がいなければ、医師は育たないし、経験も積めない。その点基礎研究は、研究費さえ稼げれば、誰の不幸をも願わずして、自分の重要と思う仕事を進めることができる。とても無責任な考え方ではあるが。

2009年6月12日金曜日

脳外科

6時から4時まで立ちっぱなし。7時間の大手術。まあ、おもしろいはおもしろいのだが、猿の脳とあまり変わらないので、感動が薄い。あと、これは人間的な働き方とはいえまい。膝の感覚は、とうに失せている。

もしも、血管外科とかだとそのうえ、放射線を日光のように浴びるから、きっと40,50にもなったらみんなリュウマチで体中の間接がガクガクなのだろう。

おもしろいはおもしろいし、上手にできたら気分もよいのだろうけれど、ある意味でルーチーン・ワークになってしまいかねない気がする。医学全般、その面があるのかもしれないが。

2009年6月10日水曜日

Myerson sign PD model sx

脳外科

天国のように暇だった眼科に次いで、今年最後のお題は脳外科二週間。専門外科では唯一、当直を課されている。初日は6時から開始。いきなり、3時近くまでぶっ通しのT12-L5 XLIF(歪んだ脊柱を固定する手術の一種)。しかも、定期的に写真を撮りながらの手術なので、術中の6時間くらいは重い鉛を着て、死にそうだった。

しかも、レジデントがいなくて、例によって1階級特進の第一助手。最近こういうことが多いのは、年度の終わりに向けて、レジデントたちが休みを取ったり、面倒くさいルーチン症例に消極的になっているためだろうか。隣の部屋でやっていた、巨大髄膜腫(頭蓋骨を食い破って、実に漫画のシンプソンみたいにあたまが隆起)は、やけににぎわっていたようだが、それを尻目に若い指導医と黙々とspinal surgery。せっかくの脳外科なのだから、ぼくも、脳を少しはみたいものだ。

まあ、整形外科でも脊柱は若干さわったので、pimpなども抜かりなく瞬時に合格。小さな穴からやる手術なのだが、脊椎の解剖も最近やっとだいたい頭に染みついてきたので、ほとんど何も見えなくても無事助手が務まった。

2009年6月6日土曜日

眼科

実に天国のように楽だった眼科。普段本業ではネズミの脳手術のために、眼科の器具を用いるため、それはそれでいろいろと参考になった。まだネズミの脳手術には導入していないが、使えそうな道具もいくつかあった。目玉の手術というと、一瞬、気持ち悪そうだが、実をいうと大したことなかった。病院を回っているともっともっとゾッとするようなことは、いくらだってある。

それにしても、普通の人間のような就業時間で給料はたくさん。Ophthalmologyが専門外科系マッチで大人気なのも、宜なるかな。意外と専門といってもルーチン・ワークが多いようだし、手先さえ器用ならあとはあまりチャレンジングな面は少ないかもしれない。だからみんな網膜チップとかいろいろ飛躍した技術に飛びつくのだろう、そうでもしないと飽きて飽きて頭が腐ってしまう気がする。

2009年6月5日金曜日

Field Promotion (2)

先日緑内障手術でレジデントがいないから、「じゃあちょっと手洗って手伝ってね。」と親切な女医さんの第一助手に入った。

本業でネズミの脳の手術をやっていて、その世界では多分誰にも負けない腕の自信があるのだが、目玉の手術はほとんど同じ感じだった。実体顕微鏡下で、使う道具もほとんど一緒。Ahmed valveという圧を逃す弁を横っちょに埋込する手術とかだったのだが、ちゃんと第一助手を務めることができたし、ほとんど指示を受けずに手術をスムーズに補佐できたから、先生もびっくりしていた。

でも眼科の手術は術野が狭いこともあって、このfield promotionがない限り、学生はほとんど手を洗わないみたいだ。結局2週間ローテして手を洗ったのは、この日の手術と、動眼筋2件、白内障ちょっと。オペに入ったって見学だと、便所に行ったりもあまり憚りないし、ポケットに忍ばせた論文(もちろん手術に関連するものだが)を読んだりもできるから、楽ちん楽ちん。

asthma and immunizations

herd statistics instead of individual

2009年6月3日水曜日

Alpha-Tango-Charlie-...

退役軍人病院。アメリカの視力検査は通常アルファベットで行うのだが((Snellen chart; 上下左右ではなく)、患者さんがいきなり軍事・航空用語というか、無線用語というかで読み上げ始めた。退役軍人病院では時々こういう人がいるという。

2009年6月1日月曜日

オベンキョー職人

今日は給料日、寿司の日。

天気があまりに心地よいので、さっぱりと白のピノグリジオを頼んだ。すると寿司屋の若大将は、ボタンエビとさっと湯がいたアスパラの、ヒラメ煮凝り和えを出してくれた。ボタンエビのしっぽのところは素揚げ、身の部分は絶妙な具合の炙り。逸品であった。

で、そんなこんなで話していたのだが、こういう炙りなど、絶対に失敗しないのだそうだ。というのは、毎回、どうやればうまくいくかを考えながらやっていれば、たとえ失敗しても、次には絶対同じ轍は踏まない。その研鑽の繰り返しで流石に16年目にもなれば失敗はないそうだ。大阪で修行していた駆け出しの頃は、親方の目が怖かったという。

それで思ったのだが、最近、勉強がマンネリ化してはいないか、と。もちろん毎日違うことを勉強するのだが、勉強の姿勢自体に、思慮がないのではないか。で、考えずに何となくやっていると、たとえ失敗しても、次も次も同じ失敗を繰り返す?

上医というのは、オベンキョー職人のような面がある。研究者は輪をかけて、しかり。絶対に失敗のない知識吸収・ストーリーづくりを目指して、また意識を引き締めようと思う。