2009年12月15日火曜日

CTをとると癌になる

無害な検査などない。特にX線をたくさんあてるCTなんて、当然、癌のリスクにつながる。もちろん、CTによる診断で得られる効用のほうがどう考えても大きい場合もあるが、そういった複雑な臨床的判断の全体像は、なかなか数字にはしにくい。統計というやつは、複雑に交錯する非線形な「ファジー」には、基本的には対応できないのだ。

日常にしても、医療現場にしても、常識が通じない社会。それがアメリカ式なのだ。インパクトファクターの高いジャーナルで取り上げられてはじめて、大騒ぎ。ハリウッドの追星と、一緒。

2009年12月8日火曜日

2009年12月4日金曜日

Babinski

Myelination? ???

2009年12月2日水曜日

AI

Acting Intern、インターン代行。メディカルスクール4年次の学生は、こう呼ばれる。そして事実上、インターンとして機能することになっている。学校によって、この建前の遵守度は違うようだが、Georgetownは臨床教育が厳しいので有名らしく、本当に、インターンのように、働かせられる。もちろん、免許はまだ取得していないので、オーダーなどはすべてシニアレジデントにcosignしてもらう。でも、書類や患者に対する説明や日々の雑多な医療行為など、特に力のあるシニアレジデントのチームにいると、監視下でうまく泳がせてもらえる。

ドイツから帰ってきて、AI初日。3年生気分の持ち越しで、受け持ち患者について「Do you want to put XXX on YYY?」とシニアに質問したら、「How should I know? You're his doctor!」だって。病院や病気の様子など一通り見えてきて、気を抜きたくなった瞬間に、もう一段と責任を取らせられる。医学教育というのは、そういうものらしい。



「I'm going to put XXX on YYY for ZZZ because AAA. 」といって、オーダーをサインしてもらうのが、正しい。その論理が間違っていれば、その時点で、「No, you should use BBB because CCC.」となる。

検査は鼻くそのようなもの...

今週は、小児科部長がチームの指導医。朝の教授回診で何を言い出すかと思ったら、

...穿る前に、出てきたものをどう処理するかの準備が必要です

だそうだ。まあ、まったく血液・腫瘍・感染症などまず関係のない、その点では健康な子が、誰かが気軽にオーダーした血算で白血球が高めで、どうしようかという相談だったのだが、「これでまたさらに根掘り葉掘り検査をはじめなければならなくなるでしょ」とのこと。



患者さんは通常、検査はよいものとばかり思っている。まあお金がかかるから、という心配を除いては。でも偽陽性や、検査に伴うリスクなどを考え合わせると、それはとんだ誤解である。必要のない検査は、ごく限られたスクリーニング検査を除いては、悪なのである。必要悪ではあっても、よいものでは、決してない。まったく侵襲性のない医療行為というのは存在しないわけで、極端な話、たとえば、病院に一歩踏み入れた瞬間から、感染リスクがなどが始まるのだ。

2009年11月15日日曜日

嵐の前?

3ヶ月のドイツでの研究員生活を終え、また病棟に。思うところはいろいろあって書ききれないのですが、とりあえずは来夏の卒業に向けて、ラストスパートといったところでしょうか。研究も仕事がたくさんたまっていて、本当は病院どころではないのですが。

で明日の朝から始まる小児科病棟に備えて、今日は日曜の朝のroundsに参加してきた。

久しぶりの病院。つい半年前は口をついて出てきたいろいろな知識が、脳みその奥深くに眠ってしまっている。果たしてよみがえるか。そして4年次の病棟は、免許こそはないからオーダーはレジデントたちに署名はしてもらうけれども、それ以外はほとんどインターンと同等の仕事をすることが求められるので、果たして大丈夫であろうか。

忙しい中いろいろと考えたり悩んだりすることも多いはずなので、まあ、差し支えのない部分については現在進行形でこの場に日記することを、今月の、目標とします。

2009年9月25日金曜日

大教授

また例によってコーヒールームで大教授・所長と雑談。運良く医学部卒業後にアメリカでやった研究が大当たりして、31歳でC4(正教授)の職を手にしたのだそうだ。Habilitationもしないうちに、臨床研修も終えないうちに、異例の大抜擢であった。

「まあでも私は奇跡的にに運がよかったので、それをキャリアの参考にするのは無理というもの。君も、来年までにC4のオファーがなければ、研修して医師免許くらいとっといた方がいいかもしれんぞ、ワッハッハ。」でも、研究所に戻ってくるたびに、研究がますます、おもしろくてしょうがない。ボスとの関係、同僚との関係、プロジェクトの進展、どれも理想的に近いという、悩みどころだ。まあ、今考えてもしょうがないことではあるが。

2009年9月23日水曜日

2009年8月13日木曜日

近況

無事、Medical Schoolの3年(MD/PhD7年)は修了して、研究「実習」で3ヶ月、ドイツに来ています。

MS-3の最後の方はいろいろ考え事が多くて、ブログもほとんどしていませんでした。研修をするか、しないか。まあだいたい、案件はそこにつきるのですが、結論としては... 卒業後一年間はドイツで研究員の任期を果たしてのち、2011年の夏から1年間は研修をして、免許までは取得することになりそうです。その後は研究一筋のつもりですが、先々状況が変われば、また2年目以降の研修を継続すればいいようなわけです。

免許取得後はまたドイツに戻ってくるオプションが濃厚でしょうか。ドイツの国家試験をとってこっちで研究重視の臨床研修をしたりとか、そんなことまで含めて考えていると、本当に泥沼の考え事で、とにかく悶々とまとまらずにおりました。特にここ数ヶ月、なんだかいろいろな知識が一段と使いこなせるようになってきて、楽しくて楽しくて、それもあって臨床に関しても後ろ髪を引かれる思いが、ことを複雑にしているのだと思います。でも、一流の研究者と一流の上医の両方を目指して、「どちらも二流、あわせて1.5流」、みたいな典型的パターンには陥りたくないし、僕自身複数のことをこなす器用さはないのでとくに危険を感じます。

あと、この先アメリカの医療の崩壊は、今以上に極端な形で進んでいくことが、ほぼ間違いなさそうな世情です。病人の面倒をみるというのは、基本的には金にならない営み。でもアメリカではその「医療」が収益事業であるという倒錯が根強く、それが変わらない限りは、何も改善されない気がするのです。一例を挙げると、先進国はどこもおしなべて医療費の5%程度が事務諸経費に充てられていますが、アメリカでは医療費のなんと1/3が<保険会社の株主>やら、<宣伝広告費>やら、<保険申請の却下をすべく患者(顧客)のカルテの誤記事項などを監査する部署>やらに、消えていっているのです。現状ですら、アメリカで医療に携わることに関しては相当な責任だと感じます。研修中などであれば惨状を無視してもいられるのでしょうけれど、一端見えてしまった世界に目をつぶるのは、難しそうです。

まあ、ブランクの期間のブログについては、メモは残してあるので、ドイツにいる間に少しは遡って書けるかもしれません。

2009年7月15日水曜日

採血

アメリカの医師は、通常は採血など、しない。病院では看護婦や採血技師がやるし、診療所では検査部または外部の検査機関への斡旋となる。でも研修医の時には、夜中とかに看護婦がとれなかったりした場合に、呼ばれたりする。熟練看護婦ができない採血を普段練習していない研修医ができる、というのは、これは基本的にはクレージーである。

まあそれはそうと、研究の現場ではいろいろできた方がよいわけで、動物の採血をしなければならないこともあるだろうし、第一秋には「研修医研修(acting internship, sub-internship)」と称してほとんどインターンの仕事をする月が2ヶ月も入っているので、採血くらいは上手な方がよい。

で、昨日はクリニックの検査部で採血を練習させてもらった。採血なんてきっと、MS-2年生のころの5年前以来であろう。まあみな健康な人ばかりで簡単は簡単、暈人だから泰然自若のひとがほとんどなのだが、中にはこわいひとも。あと、ある人なんかは、ジョークだったのだが、こちらの緊張状態を見抜いてか「I'm carrying a gun, you know」といって笑っていた。まあでも、「projecting confidence」というのか、まあつまりは翻訳すると「はったり」とかいうやつだが、芝居はだいぶうまくなった気がする。

2009年7月13日月曜日

Shit

今日もまた直腸鏡、クローン病関連の痔瘻。結構派手な炎症というか肉芽腫というかで、覗いた大先生は聞こえるか聞こえないかの声でひとこと「shit」。まあ、「クソ」というわけだが、直腸鏡をのぞいているので、たしかにliterallyに「糞」である。つい、吹き出しそうになってしまった。患者が向こうを向いて伏せていたのが幸い。

2009年7月7日火曜日

直腸鏡

カルテを打ち込んでいたら、消化器内科医でもある大差先生が寄ってきて、「ちょっとおいで」と。クリニックの処置室に連れられていくと、「こちらDr. Takagaki、今日は彼が直腸検査をしますからね。」まあ、若干詐欺混じりだが、確かにドクターはドクターなので、間違いはない。

俯せになっている患者を尻目(?)に触診からはじめて、身振り手振りによってあっけなく、はじめての直腸検査ができてしまった。以前から不思議に思っていたのだが、確かにこれだったら19世紀技術で十分可能である。大腸ガンは出口直前に発生することも多いのだが、体感してみて初めて検査の意味がわかった気がする。医学というのはこういう小さな体験の積み重ねによって初めて、全体像が見えてくるものなのだろう。

で大差先生も時々横からのぞきながら、無事、正常な直腸が確認できたのだが、患者は結構派手な血便 x1の愁訴だったので、まだ奥に何かあると考えられる。「今週中にまた、スコープするからね」と。

スコープは上からも下からも何度か入れたことはあるのだが、また頭の中で復習しておかないと、いろいろ教えてくださる先生にも、患者さんにも申し訳ない。

2009年7月4日土曜日

家庭医療

家庭医療の外来実習、1ヶ月。制度的に家庭医療が専門科として設定されたのは1969年と最近であるが、本来、近代アメリカの医療の原点はこの家庭医療にある。つまり医学部卒業後1年間インターンとして研修し、その時点で一般医として産科・小児科・内科・ちょっとした外科など全般を行うべく、開業する。

で、今回の家庭医療実習は願い出て、去年の初冬に内科外来実習で一ヶ月配属になっていた暈関連のクリニックにまた置いてもらうことになった。残念ながら、前回主についていたお婆さん中イ左はアフガンに短期派遣されて留守だが、よく面倒をみてくださった指揮管大イ左などは「やあやあ、よくまた来てくれた。」と本当に嬉しそうに迎えてくださった。



で半年以上前とまったく同じ環境で患者さんと接していると、この1年間で、実にいろいろと身についていることがよく実感できる。

学生の実習形態としては、だいたい僕が最初に一通り患者の話を聞いて診察して、「まあ○○の感じです。では指導医を呼んできますね。おそらく、○○など、薬をお出しすることになると思いますよ。ちょっとお待ちください。」といって奥に下がる。そこで、一緒にやっている指導医に30秒程度の簡略なSOAPプレゼン、場合によってはプレゼンしなかった所見やプランの部分についてちょっとdiscussionしてから、また診察室に戻って場合によっては指導医が重要所見をとりなおし、二人で患者に説明しておしまい。

今回主につくことになっているおばさん指導委は、子育てのために退役してパートタイマーなのだが、そのこともあってか、実にのびのびと楽しそうに診療・教育を行う。たとえば、患者説明の段でいきなり話を振ってくる。「いろいろKentaと話し合った様子では、あなたはfibroid(子宮筋腫)のようですね。じゃあKenta、fibroidについてちょっと説明して差し上げて。」

そこで何のためらいもなく、病理・リスク因子・症状やnatural history・治療オプションについて、患者にわかりやすく話せるようになっている自分には、驚くばかりである。我ながら、関心。

constraining emergence

2009年6月23日火曜日

ビールとソーセージ

近所のスーパーでドイツ産のソーセージとドイツ産のヘフェヴァイツェン。まだ1ヶ月半、このあついワシントンで過ごさなければならないのだが、気持ちは早くもドイツでの3ヶ月の研究滞在しか頭にない。

10日間の夏休みだが、論文を読んだり物書きをしたり、毎日500-1000m泳いだり、もう絶好調である。苦しかった一年が終わって、一転してヨーロッパ流の悠々自適生活。

2009年6月21日日曜日

Third year修了

まあ正確に言うと、研究をしていた都合でまだ1ヶ月半、家庭医療と神経内科を回らなければならないのだが、まあ、外科を終えたわけで、Medical Schoolで一番大変な1年は終わったに等しい。久しぶりの休暇、10日間。一息つきながらTchaikovskyを聞いたり、積ん読になっていたいろいろな本をかじったり、ぶらぶら街を散歩して考えることしきり。

この半年で発見したこと:実をいうと、臨床は、嫌いではない。きっとそれなりの臨床家にも、なりうるような気はしてきた。でもそれ以上に、やっぱり研究の方が、好きである。研究のことを考えていない日々は、やはり、どこかで息苦しい。あと、現在のような高度専門化の元では、本質的に意味のある基礎研究と上質の医療を同時に行うことは、まず不可能といって差し支えない。少なくとも、僕には。

まあ卒後1年間の研修を経て免許だけは取ることになるだろう。その研修マッチの際の売り込みも考えなければならない。つまり、「1年きりのつもりのお客さんが、果たしてどれだけきちんと働くだろうか」という疑問に答えねばならないのだ。でもよく考えたら、この「臨床」という希有な体験があと、4年の研修前実習と、インターンの1年だけしか積めない、ということは、ある意味でその1年がより貴重であるという風にもとれる。その1年で、一生分の研究の糧を蓄え込まなければならない。そういう側面を提示できれば、研修プログラムもこちらの姿勢に納得を示さないとも、限らない。

Forgetting

Forgetting, not Memory
Fuzziness, not Rational Analyses

Schizophrenics are born in winter

2009年6月17日水曜日

...she passed at three o'clock...

夜、帰りがけに、一般外科ICU病棟にふらっと立ち寄った。別に強い目的意識があったわけでもないが、ある患者の容態が気になって。この患者は、産婦人科、移植外科、脳外科と3ローテーション・4ヶ月にわたって、間断的に受け持っていた。空っぽの部屋を指さしたら、看護婦さんが、「あら、3時にお亡くなりになったんですよ。」と。まあ、最後だけは静かに息を引き取ったとのこと。

でもいろいろな指導医の判断をみていると、体制に対する猜疑心というか、疑問が発展してきた。その成長も、この患者さんがきっかけ。結局医者というのは本当に患者のためを思っているのか、という点に尽きる。不幸にして、答えがNoであることが、あまりに多いのだ、特に外科医。

2009年6月13日土曜日

脳をみたい?

先日「脳をみてみたい」、とブログした。実際外科というのは、手術がおもしろいのが醍醐味なのである。でも逆に、これはある意味、患者の不幸を願っているともとれる。

それで念願かなって、昨日と今日の当直と、十二分に脳とおつきあいすることになった。Aneurysm clippingとintracranial hematomaの助手。

とりわけ2件目は、産婦人科、移植外科、脳外科と長いあいだfollowしてきた患者さんなので、さらに妙な気分。別にストーカーじゃないんですけれども、なんだか僕がローテーションするとその科の疾患に罹ってしまうような。よりにもよって僕が脳外科当直の休日に、緊急手術が必要になるとは。2月に産婦人科を回っていた頃から入院しているのだが、人のいい旦那さんとかわいい幼児を残して、瀕死状態である。硬膜をあけたら、raspberry jamのような黒いドロドロが押し出されるようにして顔をのぞかせる。白く浮いているのはいうまでもなく、血腫によって圧死した脳片である。

もちろん、重篤な疾患で入院した患者さんにとっては、経験豊富な医師がそこにいることはなにより重要である。だが、やはり、人の死が仕事かつ醍醐味であるというのは、ちょっとヤクザっぽいことは否めない。重病人がいなければ、医師は育たないし、経験も積めない。その点基礎研究は、研究費さえ稼げれば、誰の不幸をも願わずして、自分の重要と思う仕事を進めることができる。とても無責任な考え方ではあるが。

2009年6月12日金曜日

脳外科

6時から4時まで立ちっぱなし。7時間の大手術。まあ、おもしろいはおもしろいのだが、猿の脳とあまり変わらないので、感動が薄い。あと、これは人間的な働き方とはいえまい。膝の感覚は、とうに失せている。

もしも、血管外科とかだとそのうえ、放射線を日光のように浴びるから、きっと40,50にもなったらみんなリュウマチで体中の間接がガクガクなのだろう。

おもしろいはおもしろいし、上手にできたら気分もよいのだろうけれど、ある意味でルーチーン・ワークになってしまいかねない気がする。医学全般、その面があるのかもしれないが。

2009年6月10日水曜日

Myerson sign PD model sx

脳外科

天国のように暇だった眼科に次いで、今年最後のお題は脳外科二週間。専門外科では唯一、当直を課されている。初日は6時から開始。いきなり、3時近くまでぶっ通しのT12-L5 XLIF(歪んだ脊柱を固定する手術の一種)。しかも、定期的に写真を撮りながらの手術なので、術中の6時間くらいは重い鉛を着て、死にそうだった。

しかも、レジデントがいなくて、例によって1階級特進の第一助手。最近こういうことが多いのは、年度の終わりに向けて、レジデントたちが休みを取ったり、面倒くさいルーチン症例に消極的になっているためだろうか。隣の部屋でやっていた、巨大髄膜腫(頭蓋骨を食い破って、実に漫画のシンプソンみたいにあたまが隆起)は、やけににぎわっていたようだが、それを尻目に若い指導医と黙々とspinal surgery。せっかくの脳外科なのだから、ぼくも、脳を少しはみたいものだ。

まあ、整形外科でも脊柱は若干さわったので、pimpなども抜かりなく瞬時に合格。小さな穴からやる手術なのだが、脊椎の解剖も最近やっとだいたい頭に染みついてきたので、ほとんど何も見えなくても無事助手が務まった。

2009年6月6日土曜日

眼科

実に天国のように楽だった眼科。普段本業ではネズミの脳手術のために、眼科の器具を用いるため、それはそれでいろいろと参考になった。まだネズミの脳手術には導入していないが、使えそうな道具もいくつかあった。目玉の手術というと、一瞬、気持ち悪そうだが、実をいうと大したことなかった。病院を回っているともっともっとゾッとするようなことは、いくらだってある。

それにしても、普通の人間のような就業時間で給料はたくさん。Ophthalmologyが専門外科系マッチで大人気なのも、宜なるかな。意外と専門といってもルーチン・ワークが多いようだし、手先さえ器用ならあとはあまりチャレンジングな面は少ないかもしれない。だからみんな網膜チップとかいろいろ飛躍した技術に飛びつくのだろう、そうでもしないと飽きて飽きて頭が腐ってしまう気がする。

2009年6月5日金曜日

Field Promotion (2)

先日緑内障手術でレジデントがいないから、「じゃあちょっと手洗って手伝ってね。」と親切な女医さんの第一助手に入った。

本業でネズミの脳の手術をやっていて、その世界では多分誰にも負けない腕の自信があるのだが、目玉の手術はほとんど同じ感じだった。実体顕微鏡下で、使う道具もほとんど一緒。Ahmed valveという圧を逃す弁を横っちょに埋込する手術とかだったのだが、ちゃんと第一助手を務めることができたし、ほとんど指示を受けずに手術をスムーズに補佐できたから、先生もびっくりしていた。

でも眼科の手術は術野が狭いこともあって、このfield promotionがない限り、学生はほとんど手を洗わないみたいだ。結局2週間ローテして手を洗ったのは、この日の手術と、動眼筋2件、白内障ちょっと。オペに入ったって見学だと、便所に行ったりもあまり憚りないし、ポケットに忍ばせた論文(もちろん手術に関連するものだが)を読んだりもできるから、楽ちん楽ちん。

asthma and immunizations

herd statistics instead of individual

2009年6月3日水曜日

Alpha-Tango-Charlie-...

退役軍人病院。アメリカの視力検査は通常アルファベットで行うのだが((Snellen chart; 上下左右ではなく)、患者さんがいきなり軍事・航空用語というか、無線用語というかで読み上げ始めた。退役軍人病院では時々こういう人がいるという。

2009年6月1日月曜日

オベンキョー職人

今日は給料日、寿司の日。

天気があまりに心地よいので、さっぱりと白のピノグリジオを頼んだ。すると寿司屋の若大将は、ボタンエビとさっと湯がいたアスパラの、ヒラメ煮凝り和えを出してくれた。ボタンエビのしっぽのところは素揚げ、身の部分は絶妙な具合の炙り。逸品であった。

で、そんなこんなで話していたのだが、こういう炙りなど、絶対に失敗しないのだそうだ。というのは、毎回、どうやればうまくいくかを考えながらやっていれば、たとえ失敗しても、次には絶対同じ轍は踏まない。その研鑽の繰り返しで流石に16年目にもなれば失敗はないそうだ。大阪で修行していた駆け出しの頃は、親方の目が怖かったという。

それで思ったのだが、最近、勉強がマンネリ化してはいないか、と。もちろん毎日違うことを勉強するのだが、勉強の姿勢自体に、思慮がないのではないか。で、考えずに何となくやっていると、たとえ失敗しても、次も次も同じ失敗を繰り返す?

上医というのは、オベンキョー職人のような面がある。研究者は輪をかけて、しかり。絶対に失敗のない知識吸収・ストーリーづくりを目指して、また意識を引き締めようと思う。

2009年5月29日金曜日

総力戦

Medical Schoolは総力戦である。病棟実習とは、いかに能力があるように見せかけることだが、それは、pimpingのような直接的な医学知識だけではない。ちょっとした雑談に、知性を感じさせなければならないというのは、アメリカ社会の知識階級全般にいえることだが、優等生集団たる病院社会においては、特に顕著である。

だが、科によって・指導医によっては、野球とか流行歌とか、そういうlow browな科だってある。僕自身全く興味がないので、一番困る。特に外科系。

かといって、この間は整形外科の手術の途中で突然、膝関節の力学に関するpimpingからザビエルの東方宣教に転じて、びっくりさせられたりもする。(その指導医カソリックで海軍医として横須賀にいたことがあって、そんな話から突然広がったのだが。)偶然、ザビエル来航の1549年も覚えていたし、キリシタン史については若干の知識があるので、実際に執刀しているレジデントを手伝いながらも5分ほどのミニ講義をして、ポイントアップ。膝のQ角などに関連したpimpingでちょっと苦戦していたのも、そんなこんなで歩行の物理学から逃れることができ、次の医学的話題に転じて名誉挽回。そんな感じで手術中ずっと絶え間なく指導医とやりとりしていたのだが、このバトルの横で黙々と執刀していたレジデントがあとでびっくりして「you did really well today」というほど、確かに目まぐるしかった。

現在は眼科。レジデントの回診を手伝ったあとで一緒に昼ご飯を食べていたら、結婚生活に関する雑談になって、そのレジデントがヨハネ・クリュソストモスという教父の結婚論について話し出したのだが、そのレジデントがエジプト系であることから、「おたくはコプト教ですか?」と話を進めることができた。まあここまでヒントが出れば当然図星なのだが、「ああそうなんだよ、いろいろよく知っているね」と、嬉しそうだった。そこから東方教会の話題に進んだのだが、以前知人から聞きかじった話などで話の腰を折らない程度には話題に参加できた。

ヨーロッパの知識階級では、こういう総力戦による人となりの判別はさらに熾烈であるのだが、晩夏にドイツに戻ると、今度は向こうの脳外科と共同研究をすることになっている。最近は少し時間もあるので、医学書や脳科学以外もまた少し読んで懐を広げたいような気分になってきた。

Euboxic medicine

Cover pictureWho has seen a blood sugar?--Reflections on medical education
Frank Davidoff

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患者のカルテの検査値欄(box)が正しく埋まっていて、すべて正常である状態を、euboxiaと揶揄する。Euthyroid-Hyperthyroid-Hypothyroidとか、そういう語法。Euboxic medicineとはつまり、検査値をすべて正常化することが最終目的の医療。

ところが検査値が正常でも、死んでしまうものは、死んでしまう。またそもそも検査値が異常である、というのは本来病態の指標にすぎないわけで、異常な検査値を無理矢理正常化させれば病態が改善する、という因果関係は必ずしも成立しない。

たとえば、カルシウムとリン濃度の積は、末期腎不全の予後を予想する「box」として、疫学的に確立されている。カルシウムとリンが両方高いと、末梢血管の石灰化が起きるというイメージ。ところがこれを元に、Ca x Pの値を下げ55以下に下げるよう治療せよ、というeuboxic medicine的な学会のguidelineがある。だが実をいうと血管内の石灰化は単純な2次沈殿反応ではないので、このCa x Pには実をいうと病理学的な根拠はなく、数値としてこの値を下げることは、輪をかけて意味がない。

医学は意外と、こんなことが多い。原因と結果をはき違えて、指標としての数字を正常化させることに意義を感じてしまったりする。「指標を正常化させることに意味があるかどうか」というのは、実をいうと「指標が有効であるかどうか」とは、全く別次元の問題なのではあるが。



最近、一般外科も終わって、ちょっとものを読んだりする時間がある。冒頭で紹介したエッセー集のなかでも印象に残るエッセーが、表題としてとられている「Who has seen a blood sugar?」。上記のeuboxic医療について考察したものだ。その中で、医学教育の本質を実に的確に捉えていると思ったのが、医学教育を<目には見えない概念についてのmental modelを形成する過程>と定義していることにある。解剖にしたって、生理にしたって、生化学や薬学にしたって、病理学にしたって、目には見えない抽象概念について膨大な図版や記号や実体験を用いて膨大な連想の網を形作る。これこそ、医学教育の本質であり、通過儀礼を受けていないものには、いくらインターネットで調べてもなかなか近づけない境地なのである。

だが一方でその落とし穴として、連想ゲームの記号を本物と勘違いしてしまう、それこそ、euboxic医療なのであろう。

2009年5月25日月曜日

Fraternity

整形外科の2週間はあっという間に過ぎてしまった。それにしても、体育会系というのか、Fraternityチックなのは、どこの国でも同じようなものかもしれない。しかも、膝などの人工関節や脊椎などの補強で、大収益事業。外来にしても病棟にしても、病院の一等地を閉めている。

まあおもしろいはおもしろいのだが、大工さんのような側面もあって、また違った医療の一種といえよう。また骨なんていうのは、相当力をかけても、ふつうは折れたりはしないのだというのがわかった。

2009年5月19日火曜日

卒業式

先週末は、上の学年の卒業式であった。不思議な気分である。

メディカルスクールに一緒に入学した同級生が卒業した2006年、卒業式に顔を出したが、さして不思議な気分であった記憶はない。その当時は博士のまっただ中で、他人の卒業式などかまっていられない、というのと、その時点ではまだ自らの卒業が全くイメージできなかった、というのが大きいのかもしれない。

しかし、今年は実に不思議な気分である。卒業式には参加しなかったが、何人か、卒業パーティーに行ってきた。でいよいよ最終学年であるという実感とともに、右も左もわからなかった1年前に比べ、病院の仕組みや将来もし仮に臨床に携わった場合のイメージなどがはっきりとつかめてきたこともあり、来年の夏あたりには医師として診療に携わる立場になりうるという実感が、沸々とわいてきた。その上、この先キャリアをどうしていこうか、ということも、またひとしきり考えなくもない。



まあ来年夏から1年間は、またドイツでの研究が決まっている。おそらく一番順当なのは、その後1年間だけ研修して免許取得、なのだろう。でも、実をいうと小児科とかだと、うまくやると2年で全研修を終了して小児科認定医、という抜け道があるのだ。ただ、2年もドイツを離れると、ドイツはいったん、完全に店じまいということになろう。いろいろと中長期的に実りのありそうなプロジェクトが仕込んであるので、悩みどころではある。1年だけの研修なら、片足を残しておける。

一方で、うまい具合にアメリカのいいところの小児科に足がかりを作ると、そこに居着くという可能性だって開けなくもない。小児科は研究が不足しているので、立場は比較的確保しやすいと考えられる。ただこの先、アメリカの研究は中長期的に凋落することが予想されるので、いくらいい病院でも、アメリカに足がかりを作ることの意味は、どれほどのものであろうか。基礎研究で世界的にいえば、免許さえ取っていれば、アメリカの認定医であろうがなかろうが、大勢に影響はない。また、仮に仮に、ドイツや日本で臨床に携わりたいとなっても、アメリカの認定医にどれほどの意味があるかは、疑問がある。



先日一瞬、MPH(公衆衛生の学位)をとったらどうだろうか、などと考えたりした。お金と時間とエネルギーさえあれば、オンラインでHopkinsとか結構いいところのMPHが取得できる。

表面的な理由はというと、
  1. 脳の医療で重要なのは対症療法よりは予防、脳の病気なんていうのは、いったんなってしまってからではどうにもならないものがほとんどである。肝臓とか腎臓とかのような単純な組織ではないから、ちょっと移植したり幹細胞を注射してあげれば機能が復活する、という希望は、皆無に近い。組織構造が複雑で細胞の種類も多いので、特異的に効く特効薬、というのもほとんどあり得ない。
  2. 脳科学というのは、工学系の人が多いが、実をいうと脳科学は生物学中の生物学であり、<複雑な脳細胞の「人口集団」を、精度・確度の低い実験方法で「調査」して、調査方法の問題をなるべくかいくぐりながら「統計」で無理矢理話をつける>という側面がある。その意味では、公衆衛生の学問観に学ぶべきところがあるような気がしてならない。
  3. MPHがあれば、たとえ認定医研修を終えていなくても、医学の世界で肩身が狭いようなことはないのではないか、という考え。

でも、これは一種の精神病理ともとれる。いつまでも卒業したくないモラトリアム症候群。あるいは、名前の後に学位をたくさん並べたいという、ナルシシズム。まあおそらく、大学院の学位は2つでもう十分。3つめなんてキチガイじみたことは、おそらくなかろう。

2009年5月18日月曜日

疲れ?

下着の前後はき違え。先週なんて、左右違う革靴で病院に出てしまった(幸いどちらも茶色でほとんど違わないので、気づいた人は1人だけ)。あと1ヶ月で短い夏休みだが、長い1年の疲れ、待ちきれない感じでもある。

2009年5月16日土曜日

He has no idea what he's doing...

移植臓器の採取というのは、実に不思議な現場である。

まず時間帯。日中に家族への告知などが行われるため、臓器の採取は通常、夜間~深夜にずれ込む。

そして顔ぶれ。臓器は患者ごとに優先順位により割り振られるので、基本的には臓器の当たった患者が治療を受けている病院が、臓器採取現場に出向く。通常は一献体あたり、肝臓、腎臓、と場合によって肺・心臓・膵臓・腸管などが、別々の患者に移植されるから、脳死者の出た病院には、一帯の移植センターから、複数の移植チームが集合するのだ。

そして手順。要するに、脳死者の血流を一気に冷たい細胞内溶液のような組成の環流液で置換して、一気に体をシャットダウンする。実験動物の血流を固定液で環流する手順と、ほとんど代わりがないので、最初の採取に出向いたときなどは、妙に既視感があった。対象がヒトである(ヒトであった?)という違いを除いては。あと、固定液による筋硬直が起きないので、術野だけに注目していて心臓などのモニターに注意を払わないと、何が起きたのか、にわかにはわからない。



先日の採取は、ニューヨークの有名病院から心臓を取りに来ていた。ほかの臓器チームは移植フェローや勤務医が来ているというのに、その有名病院だけ、何年目だかわからないレジデントが来た。しかも、移植なんて普通、医学生はオマケの見学retractorなのだが、そのニューヨークのチーム、なんと医学生が前立ちで心臓を摘出しようというのだ。その時点からして回りは不審な眼差しなのだし、しかもその研修医、いかにも手際が悪い。全く何をすべきかわかってはいるようだが、いかにも見ていて手慣れない。

で、回りの眼差しを感じ始めたら、そのレジデント、緊張してきたみたいでさらに手が震え出す。挙げ句の果てに、うちの移植フェローが肝臓の準備と環流の準備を全て終えても、まだなにやら心膜だかと格闘している。(心臓は解剖学的には比較的独立している。また心臓外科はスピードが特に重要なので、普通心臓をさわる人は上手で速い。だから肝臓よりも心臓の方が手こずるなんてことは、通常、あり得ない。)

で環流の準備が全て整った時点で、「待ってくれ」と言い出す。どうやら、ニューヨークの病院で、臓器受け入れ患者の準備ができていないらしい。確かに心臓は虚血時間に一番弱いので(4時間とか?)、特に飛行機で来ていたりするとそこら辺の手はずは最重要である。が、ここまできて、回りは「こいつ何者ぞ」という不審感があるし、回りの年長者に対して緊張感からか虚勢を張って、空回りをしている。

しかも、時は朝の4時半。環流時間を5時半まで待ってくれ、というのだが、ほかの人たちにだって都合はある。ただでさえ朝の通常オペは中止だというのに、勝手な準備不足で1時間も何もせずに待てというのは、あまりに理不尽。しかも、ワシントンのラッシュを、全く考慮に入れていない。5時にこの病院を出たら、郊外の空港には間違いなく6時前につける。6時にてたら、どう転んでも7時半どころの騒ぎではない。交通渋滞の中で、せっかくの心臓が死んでしまうこと必死である。このラッシュ事情を、一番年長のコージネーターの移植医が説明するも、レジデント君、飲み込みが悪い。全ては自分の思い通りに行くのだという先入観がある様子。

まあとにかく、採取は無事終わった。心臓から最初に採取するのだが、そのニューヨークの心臓チームがオペを出て臓器の採取の危急な局面が終わるや、すぐに他のチームから、ボソッ、ボソッと、とんでもない悪口雑言が漏れ出したことは、いうまでもない。

2009年5月10日日曜日

This is so past my bedtime...

やっと一般外科の2ヶ月が終了。次は専門外科で、整形、眼科、脳外を回ることになっている。整形はオペ中のpimpが激しくて大変だというから、筋肉の解剖や神経を復習しないといけない。脳外は専門とも微妙に関係しているので恥ずかしい思いはしたくないし、侮れない。

とはいえ、昨日土曜日は仲間内で打ち上げバーベキュー。23:00頃になると外科を回っていた面々はだんだん眠くなってきて、ダウン。だってふつう、04:00とかに起きるんだしストレスも大変だから、みんな夜は21:00ころに寝る生活に、なっているのだ。日曜の今日は、勉強どころではない、二日酔い。まあお茶を飲みながら、ぼちぼち掃除など。

ただ日曜だというのに、明日の大教授回診に備えて、整形ローテーション学生4人で、15:00に病棟で待ち合わせということになっている。整形の入院患者すべてについて、学生の誰かがプレゼンしなければならないのだという。しかも、メモは禁止、全暗記。知りもしない患者の血液検査の結果を暗記するなんて、ちょっとクレージーだが、まあ、これも何かしらの意味で教育的なのだろう。内科でも全暗記のプレゼンを要求する指導医がいたが、それは検査の数が馬鹿にならないので、まあ整形なら、まだまだましだということに、しましょうか。

2009年5月7日木曜日

NPO since midnight

手術前の患者さんは絶食。患者さんの手術が午後に延びてしまって、「おなかすいた」と訴えることがある。

でも、外科を回っている医学生というのも、忙しく駆け回っていてずっと絶食だったりする。たとえば今日なんかは寝坊して、コーヒー一杯で病院に出て回診前の準備をして、そのまま朝の8時からずっと手術に入っていた。生体腎移植のドナー側摘出で本当は昼くらいには終わる予定だったのが、内臓脂肪が大変だったのと、以前の婦人科関連の手術の影響でadhesionがすごく、結局午後4時まで続いてしまった。

まあ、何も食べていなくても、意外と平気なものだ。

2009年5月4日月曜日

胆石

小腸移植の最後に、「ああそうだ」という感じでcholecystectomyをした。

移植外科の指導医が主にやったのだが、明らかにcholecystectomyは久しぶりと見えて、しかもこのattendingは途中でフラストレーションをためてしまうような人なので、最後はやけっぱちの乱暴。動脈をligateする前に胆嚢を肝臓からはがし始めるものだから、出血が中々止まらず、さらにフラストレーション(胆嚢は静脈がなく、proximal liverにdrainするわけ)。あまりよく見えないところにやけくそのように自動クリップをたくさん放り込む。そんなに乱暴にやって、間違えてright hepaticとか結んじゃったりしやしないか、と冷や冷やもの。ああでも、そうしたら、切り取ればいいのかな。あるいは今度は、肝移植すればいいだけか?冗談じゃない。

まあ確かに、小腸の血管anastomosesに気を遣ってあまりretractしなかったからfieldが今ひとつ、というのもあるのだろうけれども、それならそれで移植前に胆嚢をやればいいようなもの。こういう計画性のなさとフラストレーションによる乱暴さは、名人とはとてもいえない。そういえばこの指導医は、bedside mannerも最悪である。

まあでも、指導医が勝手にtemper tantrumを起こしている横で、じっくりと皿に取り出された胆嚢標本と胆石をいじくり回すことができたのは、良かった。確かに、堅いし、形状もNetter図譜の通りだ。割ると、何とか割れないこともないが、総じて、小動物の糞を黄緑色のmucoid油に浸したような触感。夜中に関連病院で行った小腸harvestから10時間近くほとんど立ちっぱなしだったので、最後のclosureのあたりとかあまり覚えていないが、胆石だけは、一生忘れまい。

2009年5月3日日曜日

Pimpee道の極意

だいぶ、pimpを受けるのも上手くなってきた。今日の休日回診では、指導医とのKabuki danceが我ながら上手く壺にはまったので、日記す。(アメリカでは型に嵌った所作を、Kabuki danceと呼ぶ)。



中年女性、総胆管嚢胞摘出後2年目(現在ローテーションしている移植外科は、部長先生がhepatobiliaryも時々やっている。)原因不明の1ヶ月にわたる右下腹部痛で、緩急はあるものの全体的に徐々に悪化しており、時として下痢を伴う。CTは盲腸から上行結腸に渡って、炎症反応陽性。白血球など、ちょっと高め。IBDの類については、スコープ含め陰性と診断されたばかりである。PSHはappendectomyだけ。

そこでいろいろな鑑別のdiscussionとなった。(ちなみに今日のattendingは移植外科で唯一、真人間。人がいいルイジアナのおっちゃんで、やたら外科史についてpimpするのが大好き。)

指導医
「Can a patient get appendicitis after appendectomy?」
(このleading questionの答えは当然「yes」なのだが、そう答えればいい、というものではない。指導医の意図は、appendectomy後でも場合によっては取り残しの部分中心に感染する可能性はある、という点を強調したいのだ。簡単に「yes」といってしまっては、pimpの腰を折ってしまう。)

K
「I would think that's HIGHLY unlikely.」
(↑このあたりがpimpee道の極意。正しい答えでありながら、指導医の意図を汲んでpimpの流れを阻まない。)

指導医
「Well, it does actually happen. I had a patient once... (一頻り、思い出話). OK, then what do you call inflammation of the cecum independent of the appendix?」
(↑Pimpの流れには起承転結があるのだが、思い出話だけではうまく一連の話がまとまらないので、最後に切り返し。)

K
「typhlitis」(運良くすぐ答えが口をついてでてきた)

指導医
「Good. And how would you treat?」

K
「Well, she isn't acute or immunosuppressed, we could just try her on some Flagyl.」
(↑きちんと、移植外科医なりの結びにつなげられるよう、誘導してあげなければならない。)

指導医
「OK, that's a reasonable thought. But you raise a good point, typhlitis is a serious problem in immunosuppressed... 云々」

There are only two kinds of medical students...

...those who write it down, and those who forget.

といわれて面白かったのを、メモ帳をみながら、思い出した。



このブログも、読み返すと、いろいろな体験が鮮明によみがえってくる。人生というのは、じっくり味わっているつもりでも、意外とあっさり忘却してしまうものなのだ。それを知っていたのだろう、Cro-Magnon人の洞窟壁画の昔から、ヒトは、日記/ブログを記してきた。

Peppermint Oil

薬局から送られて来るので、自動的に患者の処方薬リストを印刷すると、含まれてしまう、peppermint oil。どんな民間療法かと思ったら、単に、とても臭い病室の、におい消し。

2009年5月2日土曜日

Splatterの一日

一昨日は、朝6時に病院に行って、翌日の午後2時に帰るまで、3回、スプラッターの被害に遭ってしまった。

1回目はJackson-Pratt(術後の切開創から滲出液などを吸引する、drainの一種)の抜去時。インターンから抜くようにいわれた際、「飛び散らないようにしっかりガーゼで押さえるのを、忘れないようにね」と注意されていたのを、もう何度もやっているものだからハイハイと聞き流して油断していた。Scrubsと白衣に血潮が飛んで(血というよりはserosanguinousなのだが、その方が意外と色は鮮やか)、朝っぱらから着替え。あとで、インターンに会って報告したら「だからいわんこっちゃない」とばかりに笑われた。まあ、二度と同じ間違いは繰り返さないだろう。

2回目は臓器採取のドナー。大動脈カテーテル挿入の際に、派手に飛んだのに当たってしまった。心臓チーム2人肝臓チーム3人の計5人目、患者の一番足下の方に立っていたのだが、小腸を横に押さえていたので顔がちょっと中央の方に出ていて、運悪くそこまで飛んだ。マスクから首筋までスプラッタ、ガウンの正面は結構派手に染まった。しかも採取先の病院のORは安っぽいガウンしかおいておらず、しかもオペ看護婦が不慣れで首筋を緩くしめられたもので、首筋は直接当たってしまった。まあとりあえず、オペ看護婦にアルコール綿で拭いてもらって、続行。この病院はオペに全面face shield入りのマスクがおいていなかったので、もしももう少し派手に飛んでいたら、マスクを超えて鼻や眼鏡にも飛ぶところだった。

まあ臓器提供のドナーというのはいろいろ検査を受けていて、HIVとかウイルス肝炎はないし、別にこちらも傷口はないので全く心配ないのだが、それにしてもこういうときに、伊達めがねをしていてよかった、と思うのだ。術後着替えていたら、首筋からscrubsの中を、胸まで滴っていたようだ。疲労のあまり(当直中の未明であった)あまり気にはならなかったが、今から思うとあまり気持ちの良いようなものではない。まあ、丁寧に拭き取った。きっと、ラットのスプラッタに当たりすぎていて、感覚が麻痺しているのだろう。あと、解剖実習の時にはマスクとかちゃんとしないから、飛散した肉片が口に入ったこともあった。あれはさすがに気持ち悪かった。

3回目は採取した臓器の移植。朝の7時で、24時間仮眠だけで走り回っているのでもうフラフラ。よけたのに、完全にはよけきれなかった。門脈の再吻合の際にガウンの正面に当たってしまった。まあこれは、大学病院のちゃんとしたガウンで装備していたし、あたったのは胸より下のガウンだけだったので、たいしたことはない。でも、HIV患者だから、怖いといえば怖い。門脈というのは静脈のくせに、結構、血が入っていたりする。

He's in to bump his transplant status...

臓器移植が通常の高度医療の一環に組み込まれている現在、移植臓器不足はとても深刻で、多くの患者が臓器待ちの状態で死亡している。

移植臓器は、生体移植をのぞいては、全国ネットワークを通して提供されている。ドナーがお亡くなりになると、全国ネットワークの登録リストで、優先順位・待ち時間に応じて各臓器が割り振られ、臓器が当たった患者の移植チームが、車や飛行機などに乗って、死亡病院に出向いて臓器を回収する。(全国は何エリアかに分けられており、ワシントンDCの場合は通常、東海岸の中部に限られる)

そこで、移植リストの優先順位を高めようと、いろいろな画策が行われるわけだ。

たとえば、現行の小児肝臓移植リスト基準では、事実上、輸血を受けると、一番高いグレードに格上げされる。そこで、移植リスト対策の輸血入院が、全国で行われているのだそうだ。フェローによると、次の移植基準委員会できっとこのloopholeは改正されるだろうとの話だが、人間は必死になると、いろいろな抜け道を思いつくものだ。

2009年4月30日木曜日

生体腎移植

クランプを外すと、パッと生き返るのは、感動的だ。

で、今日はback tableを手伝いながら、移植臓器の保存液についてpimpされたが、脳研究の生切片の実験をたくさんやっていた頃に色々と調べてあったので、ばっちりであった。もっとも脳科学の生切片は生きていることよりは記録しやすいことが優先なので、最初の1時間くらいで選択的に弱い細胞を殺して、都合のいい切片に作り替えることが、むしろ溶液組成などの目的ではないかと思われる節がある。

いきながらえてもらわないと困る人体の臓器には、細胞内のイオン組成に擬した氷冷液を用いる。で、高カリウムなので、体循環に戻してやったときに注意が必要だ。

2009年4月29日水曜日

移植外科の精神病理

移植外科はなぜ、おかしい人が多いか。フェローによると、46時中当直・呼び出しで働きづめの移植外科フェロー生活の中で、多くの医者が精神病理を来すらしい。たしかに、科の移植外科医たちをみると、それぞれに様々な精神病理を呈している。

2009年4月27日月曜日

アルデンテと茹ですぎ

今日は移植小腸の拒絶疑い患者を、緊急内視鏡に連れて行った。拒絶の病理グレードによって、どこまで強力な免疫抑制を行うかが、決まってくる。

システムの都合上、生検を緊急に確実に読みたいとなると、物理的に人がいて標本を病理部に直接搬送すると1~2時間、削れたりする。午後だったりすると、この1~2時間が大きな違いをもたらしかねない。たとえ緊急標本でも、搬送や事務のいろいろなステージで遅れが生じうるのだ。だから、病棟チームがついて行って、内視鏡からとれた標本を物理的に病理の鼻の下に突きつけることになった、こういうscut(使いっ走り)の局面で、医学生がもっとも有用なのである。

でこの患者さんは大腸が狭窄していて、結局小児用の内視鏡を使うことになった。小児スコープの方が直径が若干だが小さい、では、成人もなぜ、小児スコープを使わないのか?画像などもそう違わないようだし、お尻から入れるものは小さいに越したことはない。

で、消化器内科の先生に聞いたら、太い方が操作が楽なのだそうだ。アルデンテとノビノビの茹ですぎのちがいなのだ、という。人によっては成人もすべて、小児スコープを入れる人も、いるらしい。

2009年4月25日土曜日

When I get a new kidney...

わかっていない。新しい腎臓を入れたって、別に振り出しに戻るわけではないことを。うまく臓器が機能したとして、腎臓病と免疫抑制とをすり替えたに過ぎない。寿命は延びても、また20歳に戻るわけではないのですよ。本来の平均寿命に戻るわけですら、ない。

生体肝移植

意外と、技術的には、たいしたことなさそうだ。結構原始的な手術であった。まあ、ネズミを相手にやっているときとは違い、失敗は許されないわけだろうけれども。

でも実際に切っている人たちよりは、コーディネーターとか、オペ看護婦とか、病棟で術後管理を取り仕切っているフェローとか、裏方の方がよっぽど大変なのではないかという気すらする。

しかし、子供に身を供する母親、というのは、そういうものなのだろう。

2009年4月22日水曜日

The Unit

「The Unit」。

病院を回り始めた頃、これがICU(集中治療病棟)のことであることに気づくのに、しばらくかかった。一般病棟は通常「floor」や「ward」と呼ばれる。

移植外科にいると、外科ICUにも患者が多い。「I'm going to the unit」という台詞もよく聞かれる。あと、「さっきunitにいったらcodeをやっていて、...」「誰が死んだの?死ぬの?」なんていう会話も。そう、心肺蘇生なんていうのは、半分死んだようなものなのだ。

2009年4月21日火曜日

子供の選択権

CFなどの病気だと、子供をいかにして治療に対して前向きな精神状態にするかが、子供のhappinessだけではなく、生存にも響いてくる。だから、子供にも子供なりの選択権を与えなければならない。その際、「Do you want this treatment?」という感じではなく、「Do you want to go to this hospital or that hospital for your treatment?」とか、「Do you want to go on Monday, or Tuesday?」とか、選択肢をうまく絞り込むことが重要だという。

つまり、寒い日に子供に上着を着せるのに、「青いジャンパーがいい?それとも緑色のにする?」といった感じでだまし込むのと、同じ手筋。「いやだ、ジャンパーなんて着ない!」という選択肢を、与えないのだ。

2009年4月20日月曜日

臓器採取

先ほど(21:05)、臓器ドナーがPhiladelphiaにて生じた(お亡くなり)との通報がポケベルに入った。22時集合で採取にいくという。一緒に移植外科を回っているPhiladelphia出身の女の子と電話で相談の上、彼女が遠足で行ってくることになった。おそらくヘリコプター。いきたい気もするが、彼女の実家だし、とてもいきたがっているので譲ることにした。

本当は火曜が講義の指定日なので、月曜は学生は当直をしてはならない、という決まりになっているのだが、まあ、こんな機会は滅多にないということで。彼女はおそらく未明に戻ってきて、朝方まで臓器移植手術に立ち会うことになるだろう。おみやげ話が楽しみだ。

早く生んじゃいたい

研修医 「What is her indication for induction of labor?」
医学生 「SOBP」

SOBとは通常、shortness of breath息切れの略である(娑婆ではson of a bitchの意)。だが産科の俗語ではSOBPはsick of being pregnant。体重は増えるし、吐き気やむくみなどもういやだ、早く生んじゃいたい、ということ。でも、産科にいたときにfull term/no risk factorsの分娩誘発に関連した子宮破裂の症例をみてしまった以上は、たいては大丈夫でも、必ずしも早ければ早いほうがよい、というものではない。

Pimping

Pimping。回診やオペ中の口頭試問を、こういう。アメリカにおける医学教育の中心は、実をいうと、このpimpingにあるといって、過言ではない。人望のあるアテンディング・レジデントは必ずpimpingが上手い。こちらの知識の上限をうまく評価して、そのすれすれ上の質問を出してくる。あと、上手なpimperは学習意欲をうまくそそるし、pimp後の説明によってうまくそのテーマの全体像をまとめてくる。つまり、有効なpimperは、pimpeeの2,3枚上手でなければならない。



Pimpする側の方策もあれば、pimpされる側の方策もある。考えついたものを3点ほど。

1. (初等編)余計なことはいわない、きかれたことだけ答える。余計なことをいうと、そこから発展してpimpingが仔細に突入する可能性がある。

2. (中等編)微妙に違う答えをいう。概要においては正しいが、仔細において不正確であったりあやふやだったりする答えは、pimpeeの知識を提示する役割を果たすと同時に、指導医の教えたい欲求も満たすので、とても好適である。

3. (高等編)自信のある方向にpimpを誘導するように、プレゼントする。あるいは、質問者がはっきりとは覚えていないけれどももっともらしいという印象を持つような答えをいう。



そして、たいていの人は「favorite pimp questions」があるから、周りの学生やレジデントときちんとコミュニケーションをとっていると、そこら辺が前ばらしでわかって、よい。これは必ずしもカンニングではない、つまり、その部分についてきちんと勉強するきっかけなので、pimp道の一環なのである。

あと、とても親切で教育熱心なレジデントから教わったのだが、全く知らないときの答えは、「I don't know, but I'll find out」だそうだ。

たとえば、「What pets does she have?」。これ、医学的知識ではないのだが、感染症関連の患者の、いやな人の常套pimp questionだったりする。まあ、微妙に関係がある可能性もないわけではないが、そんなこと10分以内に患者から聞き出せる、訳がない。そんなことをと聞いていたら、肝心の質問を逃してしまう。だから、正解は、「I don't know, but I'll find out」。



参考
http://gidiv.ucsf.edu/course/things/pimping.pdf

2009年4月19日日曜日

いやな人

まわっている関連病院の外科医たちは、とてもいい人がほとんどなのだが、一人だけ本当に「いやな人」がいる。レジデントたちもこの人のオペには入りたがらずに、人手不足の時などは第一助手が見つからなかったりしてチーフを悩ませる種になっている。

昨日は朝7:30から17:00まで、ずっとその人のオペに詰めていた。



副甲状腺を取り除いてからPTHを測って、という待ち時間があったため、いろいろと雑談することができた。あながちevilな人とはいえなさそう。その人は日本史・世界史にも造詣が深く、雑談していると悪い人ではなさそう。ただ、手術のセンスがあまりよくないだけだ。不器用、というのではない。センスがないだけ。思うに、手術がうまくいかないから、ストレスで「いやな人」になっているのかもしれない。典型的な外科体型で、きっとお酒もだいぶ飲み過ぎの顔色ではあるので、可哀想といえば可哀想。



あともう一つ効いたのが、向こうの質問に沿ってうまく博士をとっているということを知らせることができたということ。外科(医学全般?)というのは結構、弱肉強食の世界なので、弱みを見せるといやな人はつけ込んでくる。そういう人に限ってうまく強みをちらつかせると、簡単に引き下がってくる。そこら辺がつかめてきたので、「What do you want to do?」という定番の質問から、博士もちのDr.であることをあかす質問へとを誘導するパターンはもう、だいぶ慣れた。こういういやな人に使うことにしているが、今回は実にうまく罠にはまってくれた。

「What do you want to do?」
「I'm planning to do a peds prelim year.」(小児科初期研修)
「What do you want to do after that?」
「I'm interested in research, so I think I want to do that.」
 (↑ここらへんの言い方が肝心。ちょっと自信なさそうにもとれる言い回しをしなければならない。うまくやると、こんな感じ↓につながる。)
「Well, you're interested in research... do you have a PhD?」
 (↑いやな人としては、「おまえPhDがなくちゃ、研究してもしょうがないんじゃない?」とつなげるつもり)
「Yes Sir, I've survived that processs.」
 (↑年上の外科はたいてい、sir呼ばわりだが、ここの慇懃無礼具合も、重要。うまくやると、向こうはこちらがまだ下手に出ているということを了解しつつも、これは勝ち目がないと内心さとる。ここらへんの、相手を微妙に揺さぶる具合が重要。やりすぎて向こうが完全にバランスを崩してしまうと、どう進展するかわかったものじゃない。)



ほとんど甲状腺ばかりをやっているとても親切・上手な女医さん。もうこの人と15例ほどやっているし、だから学生なりにも甲状腺周りの外科解剖や術野(retraction)についてはもう頭に焼き付いている。その女医さんは相手が4,5年目のレジデントだと必ず前立ちのレジデントにやらせながらアシストの回って、重要なポイントを口頭でwalk throughするという形をとるため、その上手な人がどうやってtissue planeを見つけて、どこの部分を特に入念にやっているかの哲学もだいたい了解した。おそらく口頭試問されても手術を頭から詳細にdictateできると思う。で、たとえほとんどレジデントにやらせていても、その人の手術は何回やっても、どのレジデントとやっても、できが美しい。

で、上手な女医さんとの比較だから、「いやな人」には悪いが、「あぁ~、そこそこ、だめだめ」とか思いながら鉤引きというのか、retractしていた。ちょっと難しいところになるととたんに、前立ちのレジデントも完全にretractionに回して、自分で勝手にのめり込む。右に回ったり左に回ったりして、一生懸命になる。

「いやな人」は悪いけれども、へたくそ。事実、3週間いてすでに、この人の術後症を2例見てしまっている。首の血腫(甲状腺周りの手術ではこれが一番怖い)と、腹腔鏡手術のtrochar siteからとしか思えない、retroperitoneal bleed。宜なるかな。



一方の上手な女医さんは、何が起きても、事前のプランを変更したりすることは絶対にない。はじめは左にたって、対側に回ると右にたつ。第二助手は必ず女医さんと一緒に動いて、はじめは上に立ち、片側の上半分が終わったら下に回る。この立ち位置を変えることは絶対にない。そして、レジデントによってどこまでやらせるかというのも、事前に頭の中で計画しているようだ。「このレジデントにはここまでやらせる」と一端決めると、少々のことが起きても、淡々と指示を出すだけで、焦って手を出すような野暮なまねをすることは絶対にない。

2009年4月18日土曜日

放屁

腸管の中は位相幾何学的には「体外」にあたるが、その実、とても汚い。むしろ、体表よりも汚いくらいで、腸管免疫系が体の中でも発達著しいのには、訳があるのだ。

そんなわけで腸管の手術をしていると、穴が開くのが怖い。特に緊急手術だと、腸管に糞とかがたまっていたり、腸内フローラの除去療法も行われていなかったりするので、とくに穴が開いたり中身がこぼれたりすると、きっと腹腔内に感染を起こす。

で、昨日の8時間手術の間じゅう雑談していたのだが、アテンディングによるとそのむかし、いたずら好きのアテンディングがいて、手術中にオナラをしてみんなを困らせたらしい。腸管内のにおいがしたらあわてて穴がないか、探さなければならないのだ。

2009年4月17日金曜日

外科で一番難しいのは

「外科で一番難しいのは、手術に入るかどうかを決めることだ」

ちょっと変人だが、とても人のよいお爺さんアテンディング。コンサルトを回診していて、こんなことを宣った。大病院の入院患者は病気がとても重かったりする。で、外科コンサルトの要は、手術をすることを検討するのではなく、逆に、手術できない人を判別することなのだそうだ。このお爺さん、なぜだか気に入られてよく面倒をみてもらった。なんだかんだ、そういうところで運がよいらしい。

外科と研究は、実をいうと同じような気がする。肝心の勝負は、どこで勝負をかけるかによってだいたいすでに決まっている。そしていったんプロジェクトを始めたら博識とか実験の腕とかが絡んできて、いかにそのプロジェクトはそのプロジェクトなりにまとめ上げるか、腕の見せ所である。つまり、いったんオペに入ったら、あとは、それなりに決着までたどり着かなくてはならないのだ。

移植チーム

日曜当直で関連病院の外科チームを終え、月曜からはローテーションが変わって大学病院の移植チームへと。手術も病棟での患者管理もとても難しくて、学生はほとんど何もさせてもらえない反面、とてもamazingな手術をたくさんみられるという。臓器の摘出にも連れて行ってもらえるそうで、ドナーの病院によってはヘリコプターにのってフィラデルフィアまで行った学生もいるらしい。

楽しみである反面、学生2人で当直を分けなければならいらしく、つまり、2日に一編、当直となる。まあ、忙しくなければhome call(電話まち)をさせてくれるらしいのだが。当直ではない日も、朝はちょっと遅く6時くらいから、そして夜は20時くらいまで詰めているらしい。

この先1ヶ月、ちょっと心配だ。そもそもメディカルスクールのローテーションの何が一番堪えるか、というと、数週間単位でチーム・科を移らなければならないこと。毎月が4月の新学期のような気分であると、精神的につらい。

2009年4月16日木曜日

Field Promotion

戦場で、特例の昇進。これを、field promotionという。外科では、危急に人手が必要となることが多いので、時々、これが起きる。

今日はシニアレジデントと指導医の難しい大腸再吻合に入ったのだが、途中で隣の部屋の気管切開周りがおかしいことになって、緊急にシニアが引き抜かれた。よって、30分だけ、第一助手というのか、前立ちというのか。まあ、あまり難しい部分ではなかったしとても親切な指導医だったので、どうということはなかったのだが。

それにしてもこの手術、一緒に回っている女の子と急遽交代して13:00すぎから、患者を入れるところから入ったのだが、終わったのは21:30。8時間たちっぱなしだった。しかも、体重が重い人で手術歴も多いのであけるのが大変。「waterskiing」というのか、Kocherみたいなので筋膜を体重をかけてひっぱたり、結構な運動であった。

手術とか解剖とかは、ハンバーガーみたいなものが食べたくなったりする。近所のおいしいハンバーガーやさんで並びながら、1時間足らず前に人の腸管を手にしていたことにはっと気づく。動く。そして、生ぬるい茹ですぎの伸びたうどんの感じでしょうか。

2009年4月15日水曜日

葛藤

「Kenta, you're going to be a really good doctor.」

もう3週間も一緒に働いている超熟練のオペ看護婦さん。細かいことに実に細かく気が回る人で、人当たりもよいので、患者さんには大人気。ルールには厳しく、この人のオペ室では患者の取り違えとか、機械の体内への置き忘れなどは当然のこと、些細な器具の整備不良なども絶対に起こりえない。でいつもの通り、麻酔から覚めつつある患者さんの世話を手伝っていたら、↑のように、いわれた。

直接のきっかけは、患者さんの足に機械を取り付ける前に一言、「足に○○をつけますよ」と一言声を掛けただけなのだが。曰く、「もっとずっと慣れたレジデントでもね、寝覚めの意識が朦朧としている患者さんにもきちんと声をかけられる人は、ほとんどいないですよ」だそうだ。まあ、種を明かせば、その看護婦さんのスタイルをまねている部分は多分にあるのだが。

でも、もう3週間もあのオペ室で働いているので、総合評価も含んでいるというのはまあ、間違いない。そのオペ看、必要とあれば容赦なく厳しい人で、右に左に愛想を振りまくような人ではない。しかもきっと30年以上にわたるキャリアで、想像を絶する人数の指導医・研修医・学生を見てきている人である。優秀な看護師ほど、医師~学生をよく見ているし、見る目は厳しい。そういう人にある程度評価されると、言葉の重みというかありがたみというか、付随する責任感が段違いである。「でも、実をいうと研究が本命なんですぅ~。ボク、doctorにはならないんですぅ~」なんて、口が裂けても、いえない。

今週でこのローテーションも終わりだと知るや、「あら先生、Kentaはこのローテーション、不可ということにしましょう、そしたらずっとうちに引き留められますわ。」などと、指導医と冗談を交わす。ありがたいというか、騙しているようで申し訳ない。実をいうと医学生は仮の姿、心は研究室から一歩も出ていないのに。

帰りの車中、頭の中で繰り返し考えたが、研究をきちんとやることと臨床をきちんとやることとは、やっぱり僕には、同時に両立できるキャリアではない。そしてそろそろ最終選択を迫られる時限だが、やっぱり、研究が、本命だ。長年の教育と、数え切れない人たちの教え・努力・好意を踏みにじったうえでも、研究が、本命だ。

たゞ水の泡にぞ

オバチャン、昨日は看護婦さんと冗談を交わしたり、歩きまわったりしていた。まあ、総じていうと健康ではないのだが、やっとリハビリ施設へと退院できるか、という感じだった。

昨晩容態が急変、ICUへ。CXRなど様子をうかがうと、何かの具合での吸引性肺炎に、相違ない。朝の回診では、もう何週間も面倒をみているチームの面々を見渡して、ほっと安堵の一息。ICUチームに引き渡したのだが、「またいつ病棟に戻ってくるの?」という感じのsocial consultであった。

夕方の回診。ICUのconsultをまわるも、その患者さんの部屋の前は素通り。綺麗に掃除されている。ずっと手術に入っていたので、知らなかった。

2009年4月14日火曜日

クラス会

夜7時、例によってクラス会。同級生は皆来年度の前半のスケジュールで大変だ。7月から11月くらいまでの間に、志望科におけるGeorgetownでのAI(インターン実習、事実上インターンの代行)や志望先でのオーディション実習を詰め込まなければならない。あと、Step 2のCSも、12月31日までに受験することが義務づけられている(追試処分になっても卒業までに修了できるように)。担当の教授からの説明や事務の説明があった。

茶色の靴下

人間的におもしろい人たちと手術に入ると、いろいろな話が聞ける。特に、ルーチーンな機械的作業の多い手術だと。で、隔日くらいで甲状腺に入っている先生は、病院の指導部でもあるので、いろいろな人生訓を教わっている。

で、病院のCEOを選ぶ際に、ある人は、靴下が茶色でスーツと合っていないから、という理由がメインではねられたそうだ。選考委員長の偉い先生が、そういうところ細かいのだ、という。そしていろいろな理由は後付けされるにせよ、決め手は靴下だったそうだ。

確かに、対外的イメージを保つ商売(経営・医者)には、そういうセンスは重要なのだろう。

こういうのはめんどうくさいので、早く、研究の場に戻りたい。

2009年4月11日土曜日

DC tap water

手術時の手洗い。一生懸命手を洗ってから、最後は、水道水で洗い流す... DCの水道水がどの程度きれいかは、不明だが。

まあ、そもそも、手は滅菌できないという前提で滅菌手袋をはめる訳なので、手洗いは儀式のようなものと考えればよいのだろう。食べる前の「いただきます」に類するものだ、と。

手洗いよりもアルコール消毒剤の方が有効性が高いという話だって、あるわけだが、かといって手洗いではなくアルコールを使う外科医はほとんどみない。OP看護婦やscrub techでは、アルコールを使う人も多いようだが。

2009年4月9日木曜日

Contraindications to digital rectal exam

直腸検査の禁忌事項は?
「You don't have a finger」
「The patient doesn't have an anus」

これ、外科医なりのジョークらしい。DREは絶対にやれ、と。

2009年4月6日月曜日

6SE syndrome

関連病院の6SE病棟(仮)。今やほとんどの大病院にある、デラックスホテル病室の病棟である。それとは知らずに回診前の準備(preround)でいったら、いきなり絨毯にシャンデリアである。ネクタイではなくscrubs(手術着)であるのが、恥ずかしい感じ。

まあ、医療なんていうのはこの国ではビジネスに過ぎないから、こういうのも必要である。貧乏な患者なんて、学生や研修医のトレーニング(つまり病院の評判の維持)には好適であっても、その効用以上の経済価値は、はっきり言って、ない。心カテとかinterventional radiologyとか、限られた高収益procedureが必要ない患者は、結構まともな健康保険の患者でも、赤字すれすれの入院だ。だって、保険屋がちゃんと請求額を病院に払わないのだから。だから、ホテルみたいな副収入源が必要である、そういう経済システムがしかれているのだ。



で、この病棟。あまりに快適すぎて、患者が長居してしまいすぎるのだそうだ。それを6SE(仮) syndromeと呼ぶらしい。

先月一般外科チームに入院していた患者なんかは、長居しすぎて、肺塞栓を起こしたという。今チームで持っているデラックスお客様患者様は、一生懸命退院させようとチーム一丸となってがんばっているのだが、なんやかんやいって、出て行かない。病院なんていくら居心地がよくたって、必要のない人にとっては百害あって一利なし、ということが、わからないらしい。

あと、金持ちの患者にはどうしても、医療チームの方がいいなりになるというのも、弊害だ。たとえば血栓防止のSCD (sequential compression device、ふくらはぎマッサージ風船のようなもの)を付けろとか、ふつうの患者には結構きつく言いつけるわけだが、そういう点でもお客様患者には逆に行き届かないことだってあろう。



貧乏人が長期入院すると、とたんにケース・マネージャなる人たちが出てきて朝から晩まで退院させろさせろと煩いのだが、この6SWでは、全く不要な入院でもうんともすんとも言わない。これこそ、アメリカという社会の真の姿である。

2009年4月5日日曜日

工学的な脳科学観・医学観

By a sort of comic and awful analogy, our current cognitive neurology and psychology resemble nothing so much as poor Dr P.! We need the concrete and real, as he did; and we fail to see this, as he failed to see it. Our cognitive sciences are themselves suffering from an agnosia essentially similar to Dr P.'s. Dr P. may therefore serve as a warning and parable--of what happens to a science which eschews the judgmental, the particular, the personal, and becomes entirely abstract and computational.
-----Oliver Sacks "The Man who Mistook his Wife for a Hat and Other Clinical Tales

理性主義はすべての分解産物を独立とみるが、実をいうとそうとは限らない。生き物なんていうのは往々にして、もっとグチャグチャに混ざったものである。医学には特に、ある疾患の「患者像」みたいな総体を大切にする伝統があったはずである。でもいまや、診断所見のOdds比などが、流行っていたりする。独立でない事象のOdds比をいくら掛け合わせても確度が高まるとは限らないのに。

脳という一番グチャグチャの臓器を相手にしている神経内科・精神科などには、まだ、この全体観を大切にする流れがかろうじて残っているのかもしれない。

2009年4月3日金曜日

Professional Retractor

今週はひたすら、レトラクタを引っ張っていた。一般外科のチームなのだがなぜか甲状腺が多く、今週は10症例くらいやったのではないだろうか。甲状腺は神経、動脈、静脈、気管、副甲状腺など、いろいろと重要な場所にあるが、首筋に傷が残るのであまり派手には開けない。でも、結構派手にひっぱっりながらやるので、気は抜けない。

だから、retractionが便利なわけで、甲状腺があると必ず、チームの学生2人のうちどちらかがscrub inしろということになる。まあ、見物だけでなくてなにかしら役割を果たせるのはよいが、今日なんか3例もやって、3件目は昼食後でもあり引っ張りながら目が閉じないようにがんばるので精一杯だった。今日の3例は、もう5症例以上scrub inしているattendingなので、いわれる前にどこに動いてどう引っ張ればよいかが完全に読める。楽といえば楽ではあるのだが、逆に緊張感が薄れて眠い。転移性の主要でリンパ節などを取り始めたりすると、丁寧な指導医だと簡単にすぐ4,5時間立ちっぱなし。変な姿勢で引っ張ったりするから、肩がこる。

明日の朝の回診で術後の経過を5年目レジデントに報告することになるのが、最後に縫合しながらいくら考えても、誰がpapillaryで誰がmedullaryで、とか、ぐちゃぐちゃになって、患者さんの顔すら浮かばなくなってきた。しかも明日(土曜)の休日当直は5年目シニアと、口腔外科(歯医者さん)の2年目レジデントと、僕だけ。結構、働かなきゃならなさそうだ。シニアが6:30に始めるというから、明日は4:00前から一人で回診の準備を始めないと、間に合わなさそうだ。歯医者さんは遠くに住んでいるので、きっと6:00近くにくるだろう。今日(金曜)は症例があまりに多かったので、明日の朝、気が重い。まだ夜8時だが、もう寝た方がよいかもしれない。

2009年4月2日木曜日

A complication of OB/GYN

回診中、4年目レジデントが、「産婦人科関連の手術は、SOB(小腸閉塞)を一番引き起こしやすいんだよね」と教育。すかさず、5年目レジデント曰く、「それは、産婦人科手術の副作用ではなく、産婦人科の副作用だよ」と。

たしかに産婦人科の手術はsterilityがとても難しかったりするのだろうが、いや、産婦人科医がいけないんだ、という。外科では、産婦人科を外科と見なしていない節が、時々みられる。

2009年3月31日火曜日

AMF YOYO

カルテには、決して書かないのだが。患者にわからない隠語がいろいろとある。
Adios my friend, you're on your own...
あばよ、アミーゴ、勝手にして頂戴

2009年3月30日月曜日

十一戒

第十一戒、「汝、重力に逆らって回診するなかれ Thou shalt not round against gravity.」
ようするに、一番高層階の患者から初めて、階段を下りながら回診せよ、というもの。あるいは、2 floors up, 3 floors downという人もあった。登りなら2階分までなら歩く。下りなら3階分までなら歩く。

一方で、階段をまったく苦としない人もいる。

患者が分散しがちな大病院にいると、運動不足には、ならない。

2009年3月29日日曜日

postoperative ileus

acute in vitro preps of ENS???

当直室

周産期病棟で待機しながら本を読んでいたら、コクリ、コクリ。するとちょうど部長先生がとおりかかって、「眠いときは、当直室に行ってらっしゃい、そのためにあるんだよ」とやさしく注意してくださった。ああ、優しい人柄の良好な人たちの科で、よかった。明日から外科だが、総じてmalignantな人が多いという。より時間も厳しいので、疲れて居眠りせぬよう、心して望まないと。

それにしても、研究室が、恋しい。いつ寝ようが、いつ働こうが、結果さえ出していれば、勝手。

2009年3月28日土曜日

疫学は難しい

今日はDiGeorge症候群についてちょっと勉強していたのだが、疾患のpresentationが多様なので、人口あたり1/6000とか、そういう数字はどの程度信頼してよいものなのだろうか。あと、50-80%は心臓の臓器形成異常があるというのだが、その数字にしたって、心臓がおかしいと堕胎とか、顕在性の奇形が軽い場合は診断前の死亡もきっと増えるので、この数字にしたって、解釈は難しい。

産婦人科終了

とりあえず、色々と体験を積みました。試験自体は結構難しかった... というのも、大抵妊婦で出血とか、月経過多・無月経・月経困難とか、問題のシナリオがだんだん混じってきて、頭の中が意味不明に。まあ、病棟では結構ちゃんとがんばったし不可はたぶんなかろうと思うのだが。

2009年3月26日木曜日

内科説明会

今日は内科研修、内科・小児科研修、内科初期研修希望者を対象とした説明会が開かれた。内科の諸先生方と内科にマッチしたばかりの4年生たちとが、3年生を対象にこの先一年間のマッチまでの課程やポイントを説明。明日産婦人科の試験なので、ざっとメモだけ。
  • オーディション... 内科の場合は基本的に不要、場合によっては負に働く。でも、研修先の素顔をみておくという意味で有意義である、インタビューの日はよいところしか見せてはくれない
  • そろそろCV履歴書やpersonal statementのテーマを考え出した方がよい
  • 内科研修部長、学生教育部長などとよく相談して、応募先を決める(reachとsafety滑り止めの両方を含めてバランスよく)
  • program coordinator(事務の人)がとても重要。内科研修のprogram coordinatorもこの説明会に参加していて、彼らの立場からみた攻略法を説明。だいたい、program coordinatorと密に連絡を取って愛想よくしておくと、印象に残っていて、そのつもりがなくても事務の際にどうしても丁寧に扱うことになりますよ、だそうだ。逆にprogram coordinatorに対してあまり失礼はないように、それがあると×がつくそうだ。ま、当然といえば当然の話だが。
  • どうしてもいきたいプログラムで11月末くらいまでにインタビューをもらえなかったら、まずはprogram coordinatorに直接、強い希望を伝える。それでもだめなら、研修部長・教育部長に電話を入れてもらう。もしもあまり無理のない範囲の志望先だと、これでだいたいインタビューがもらえることが多い。(GeorgetownならGeorgetownの学生は何人までインタビュー、という枠がだいたい決まっていて、それでインタビューがもらえないことがほとんどなので、そういう意味でこの学校からの推薦電話一本がきいたりするのだという)今年も何人か、この手段で手に入れたインタビュー先にマッチしたという。
  • Personal statement... 必ず教育部長か研修部長に下書きを直してもらうこと。
  • 推薦状... 有名な先生よりは、直接指導下で臨床をした先生、そして心のこもった人柄が伝わる推薦状を書いてくれる先生を選ぶこと。書き慣れていない先生は選ばない方がよい。推薦状の先生を選ぶ前に一言、教育部長・研修部長に依頼リストを見てもらうと、やめておいた方がよい、手紙の下手糞な先生を指摘してくれるそうだ。
  • マッチした同窓生に連絡して、プログラムの短所長所を調べる
どの科もそのようであるが、内科の先生方も、内科に進みたい学生の面倒をじつに事細かにみてくれるつもりらしい。こうして、うちの学校のマッチ実績が保たれているのだろう。

Fetal swallowing

Mainly during active sleep states

男性患者

産科の腫瘍チーム(Gyn-Onc)を回っていると、一般病棟なので、男性患者がいる。周産期病棟とか産科一般がずっと続いていたので、妙に新鮮だ。

で、普通のプレゼンテーションの最初は必ず 「XXX is a YY year old male/female with...」と始まるのだが、産科だとこのfemaleというのを割愛して、場合によってはG5P3023とかなんとか、出産歴をいれる。来週からは一般外科なので、また通常のプレゼンテーションに戻さないといけない。

2009年3月22日日曜日

卵巣ガンと保険適用

一昨日は産婦人科の学生向けの特別講義で、地元の卵巣ガン患者団体のおばさんたちが3人、話をしにきた。いろいろな病院・医学部・一般人向けのセミナーを通して、卵巣ガンの初期症状(腹部の鼓張、膨満、尿意切迫・頻尿、食欲減退・満腹感、腹部・骨盤部の痛み)について教育して回っているのだそうだ。そして、それぞれ自分の診断にいたった経過を話してくださった。



あるおばさんは、理想的な診断だったという。症状を呈して医者にいったら、すぐに放射線科で検査を受けて、治療も2週間以内に開始できたという(このおばさんは連邦政府職員というから、まともな健康保険なのではあるが)。



もう一人のおばさんは、2年以上にもわたって家庭医に無視され続けて、ついにしびれを切らせて専門家にいったら、全身に転移したステージ4だったという。卵巣ガンなどと相関のあるCA-125という糖蛋白マーカーがあるのだが、診断時にはそれが正常値の50倍以上であったという。「私、インターネットで症状を調べていたんです。それで何度、家庭医にCA-125を測定してください、ってお願いしたことでしょう。でも、必要ない、きっとただの逆流症状ですよ、と無視され続けたんですわ。あなたたちは、患者のいうことにもうちょっと耳を傾けるようにしてくださいね。」

このおばさんがわかっていないのは、「CA-125は卵巣ガンのスクリーニングには有効でない」という「エビデンス」が存在していて、それを根拠にたいていの保険屋は、スクリーニング目的ではこの検査に全く支払いがない、ということなのだ。つまり、家庭医の医院でもしもこの患者にCA-125検査を行っていたら、家庭医には一銭も検査費が戻ってこない、つまり、医院にとっては完全なる赤字検査である、ということである。症状がどうであれ、保険屋には関係ない。たとえ検査結果がHH(very high,とても陽性)で、その後卵巣ガンであることが判明したとしても、保険屋には関係ない、100%医院持ちということになる。



つまり、「エビデンス」というのは聞こえはいいし、重要な概念ではあるが、同時に、保険屋のコストカットの手段という側面がぬぐえないのである。一線で「エビデンス」を蓄積している臨床家たちはもちろん、患者のためを思ってやっている。だが同時に、<evidence-based medicineという概念が唱えられ出したのは、アメリカにおいて健康保険が完全資本主義式に転換しつつあった時期と重なっている>という事実も、否めないのだ。

現場で「エビデンス」は、個々人のプロフェショナルとしての判断を奪う手段として、用いられかねないのだ。料理人と、マクドナルドのバイトとの間の距離は、かくして、狭まる。

2009年3月21日土曜日

赤髭先生

一緒にクリニックをやっていた先生。「そう、研究したいのね。まあ臨床も最近は全くお金にならないからね、その意味ではそういう誘惑からは自由になるわよね。思った通りのことをできるのはいいことだわね。」

その先生、お金のない患者さんで還付率の悪い保険に入っていて、高価な検査なんかをすると、事務に出す請求書類に「書き忘れる」のだそうだ。「だってさ、どうせい払えないんでしょ。」

この先paper pusher達がどんどん自動化を通して医者の首を締め付けてゆくと、こういう赤髭行為も不可能になるだろう。

2009年3月19日木曜日

蠕動運動

蠕動運動が腹腔鏡から見える。感動的。しかも、レジデントの信頼を得るとともに、いろいろやらせてもらう範囲も拡大する。あと、ゆっくり丁寧にやって隠していたのだが、縫合が速くて上手いということがばれてしまったらしい。それはそう、小動物の手術になれているものね。そっちの方が人間よりも、よっぽど難しいに決まっている。だって小さいし、しかも小動物はどうしても自分でひっかいてしまうので、それでもきちんと治るためには、結び目の固さや針の目の深さなど、いろいろセンスが必要なのだ。脳みたいな複雑な臓器だと、動物の健康状態によって実験結果が大きく変わってくる、ということを解さない人には、小動物の手術なんていうのは炎症だろうが何だろうが、どうでもよいのだろうけれども。

今日はしかも、マッチデー。MD/PhDの友人(先輩?)はBaltimoreの有名な大学病院にマッチしたが、本来は西海岸に行きたがっていたから、全米1,2のメディカルセンターでも、失意のことと思う。週末に飲もうということになっていたが、これは、やけ酒になるか?

それより何より、結構ちゃんとした雑誌から、とんでもなくどうしようもない論文の査読がきていて、今日が締め切り。まあ、駆け出しはこういう下働きをさせられるのは、研究にしたって臨床にしたって、変わらない。いかにして素知らぬ顔してとんでもない酷評を書くか、これも、臨床と一緒で演技の一種と考えればよかろう。まあ、英語圏の人じゃないし、そういう間違いはちょっと寛容に見逃してあげるといったって、ストーリーがまったくなっていないのはどうにも助けようもない。

2009年3月18日水曜日

面談

そろそろ、来年度の4年次away electiveの出願をしなくてはならない。(アメリカ国内のメディカルスクールに在学している場合、通常出願費100ドル程度の実費で、よその学校での1ヶ月単位の病院研修が可能だ。まあ、出願して採用されればの話ではあるが。過誤保険などは通常、出身校の保険を適応、外国からの場合は、相互利益がないだけではなく、この過誤保険もネックとなるようだ。マッチ前のオーディションとして、将来働きたい研修病院で行うことが(特に競争の激しい病院や研修課では)通常である。

そのほか、臨床キャリアプランの落としどころがだいたい見えてきたので、それも含めて、病棟で親切に面倒をみていただいた小児科の教授と面談することにした。この先生の旦那さんは実を言うと、著名な理論脳科学者でもある。



で、awayの出願は、各メディカルスクールの在学生のローテーションがあらかた固まる4月後半あたりが、山場なのだ。在学生のローテーションを確保してから、よその学生で、穴を埋める。

実際にawayをするのはいつかというと、通常、4年次の最初は自身の出身校で内科や志望科の4年次acting internship(subinternship)を1ヶ月やって経験を積み、晩夏から初秋にオーディションするというのが通常のスケジュール。面接シーズンの晩秋までにはだいたい皆、終える。僕は研究を1年間はさんで1年遅れのマッチとなるため、冬から春にかけて、そして同級生のマッチが決まったあとも、オーディションが可能である。



Audition awayを行うかどうかについては、賛否両論ある。面接ではある程度コントロールされた状況下で評価されるため、売り込みのうまい場合はオーディションなどしない方がよいような場合だってある。オーディションで1ヶ月いた場合など、ボロが出たり、あるいはたまたまチームが悪かったりして大失敗、なんていうことだってないとはいえない。

僕の場合はおそらく小児科のインターンという普段ないパターンの研修を行うことになりそうなので(小児科は通常、3年一貫教育である)、研修先も全国17カ所の24ポジションに限られる。ごく限られたポジションなので、教授からは、志望順位の高いところの中でなるべくたくさんオーディションをするように、アドバイスをいただいた。あと、君は、面接という限られた時間よりもじっくりと働きぶりをみてもらった方が有利なんじゃないかしら、と。一応、褒め言葉と受け止めておく。



さらに、今までの科での評価からは、「内気すぎる」というのと「もっと自信を持って」というのが何度も出てきたので、それらについても相談した。「自信」については、まあ、経験を積めばどんどん直るだろう、と。特に、希な鑑別もよいが、非常にコモンな鑑別と、あとは危険信号にきちんと対応するような訓練を積めば積むほど、自然に治るだろう、と。つまり、研究のような勉強の仕方だけじゃなくて、もっと実践的な対応もちゃんと経験を積むよう心がけると、楽になるのだと。確かに僕は、本を読めば人生万事解決すると思っている節があることは、否めない。

「内気」については、まあ、あまり無理はすることはないけれども、「これは自分の職業的な仮面だ」という側面を意識すると、気が楽なのではないか、と。まあ臨床の場では普段の生活ではとてもではないが口にできないようなことを訊くたり、とてもではないが他人にはできないような行為を平気で行うことになる。それらが自分の素ではないことをしっかり意識して、白衣と一緒にある人格もまとうような感じを頭のどこかで意識するといいよ、だって。

あとチーム内では、手の空いたときに進んで色々な人に話しかけて手伝うような積極性があると、周りの印象がだいぶ違うんじゃないかしら、だって。あまり黙々と働くのは、よくないようだ。

また、3年生はよっぽど忙しい場合や簡単な患者をのぞいては、すべてレジデントの監督の下であったり、レジデントが後で重要な所見は取り直したりすることになるので、臨床上の役割がだいぶredundantである。4年次のAIになると、そこらへんの責任も一段高まるので、その意味でも役割がはっきりして、自信を持って演技に臨める気も、する。

2009年3月17日火曜日

Scrubbing In

手洗いというのか、scrubbing、つまり手術の前に入念に手を消毒する。で、その手術にscrub inする際の医学生のマナーというのが、ある。

まず、手術前はなるべく直前まで、患者の移動やFoley(尿道につっこむカテーテル)などの手伝いをする。

だいたい終わった頃合いを見計らってORを出て、手洗い開始。このタイミングがまずは重要である。というのは、絶対に、レジデントやアテンディングよりも先に手洗いを終えてはならないという、暗黙の了解があるからだ。Scrubbingの時間は5分とかなんとか、いろいろ決まってはいるのだが、医学生にとっての決まりは実をいうと一つだけ。レジデントとアテンディングが終わった時に、十分な消毒は完了するのだ。

入念ならばいい、という問題でもない。レジデントとアテンディングよりもあまりに遅く入ると、いろいろなことが始まってしまい、gownなどを着せてくれるscrub nurse/techに迷惑をかけることになる。早く来てretractしろ、とか、文句もいわれかねない。だからレジデントのすぐ後について入っていくのが理想的である。

もしもアテンディングが遅れている場合などは、レジデントが洗い終わったすぐ後に、ついて入るのがよい。ここは迷わず。まごまごして、洗い終わる直前にアテンディングが入ってこようものならば、またアテンディングが終わるまで、手洗いを続けなくてはならないからだ。

特に知らないアテンディングだったりすると、ここらへんの立ち会い前の仕切りの具合で、どれだけいろいろやらせてもらえるか・教えてくれるか、それともずっとRichardsonを引っ張っているだけかが決まるような気がする。

産婦人科の先生方はみんな親切なので、この間合いを遵守すると「あら、いつまでも手洗いして、本当に清潔好きな医学生ですこと。」とか冗談を言われたりもするが、それにしてもこここで、いわゆるKYでないことが認められるわけである。ぶっきらぼうな先生の場合は、ここの間合いが悪いと、逆にそこから意地悪が始まるという。

leao sd

2 part study, bursts recover first!

Diagnostic Laparoscopy

驚くくらい鮮明に、腹腔内が、見える。しかも健康な若い人だから、なおさら。"Fantastic Voyage(ミクロの決死戦,1966)"というのがあったが、そんなのも、顔負けだろう。時間がちょっと余ったので、「こっち肝臓ね、ほら、これ盲腸」、と案内してもらった。「ちょっと、子宮、もうちょっと持ち上げてちょうだい」

染料をちょっと使ったので、じゃあ出る前に掃除するか、ということで、ピュッピュッと生殖水を吹きかけて、チュッチュッと吸い取って。やっぱり、この先、オリンパス株とか、買いかもしれない。

Food Allergies

Why are some food allergies outgrown and not others?
Why critical age groups for different allergens? Infectious superantigens? Dietary habits?

2009年3月15日日曜日

ER時代の終焉

来る4月、シカゴの大病院救急での人間的葛藤を描いた人気ドラマ「ER」が幕を閉じる。メディカルスクールに入学した頃の同級生は、紛れもなくER世代の学生だったので、時代の流れを感じずにはいられない。そしてかくいうかつての同級生達も、内科・小児科など3年間のレジデンシーに進んだ者は今年卒業、夏から勤務医や専門フェローになる。

ERは、葛藤のドラマである。Dr. Greene、Carter、 Dr. Benton、Dr. Ross。アメリカ医療の制度的崩壊の中で、伝統的なアメリカ医学のvaluesという建前が、資本主義という大義名分に押しつぶされる。その中でも「ER」の主人公たちは、なんとか、辛うじて、真摯に、医業のcreedに恥じず生きようとする。主人公達の、建前と本音の狭間の葛藤を目の当たりにしつつ、そして場合によってはそれにあこがれをもって、僕らは、医業というギルドに入門を申し出たのだった。



しかし、ERというドラマは、誰も見る人がいなくなって久しい。僕もメディカルスクールに進んだあたりから、忙しいのと、話の要であるグリーン先生がいなくなったこともあって、見なくなった。そして脳科学の博士を修了して医学博士課程に再合流した今、一回り下にあたるクラスの同級生達は、もはや、ER世代ではない。むしろ、「House」や「Scrubs」の世代である。

「House」の主人公、Dr. Gregory Houseは、自らのintellect以外の全てのものを馬鹿にしきっている。その中で毎週毎週、難しいcaseを見事に完治してゆく。そこには、体制にあわせようという意志は、全くない。建前など、とうに捨てている。「Scrubs」はほとんど知らないのだが、難しい問題もすべてコメディータッチに笑い飛ばしてしまう。

これらのドラマは、葛藤を超越している。そこには間違いなく、違った時代の息吹が感じられるのだ。



「We hold these truths to be self evident...」というアメリカ独立宣言の文句は、実に、「建前がない・全て本音」というアメリカ建国のタテマエを象徴している。「この真実、当たり前でしょ」。しかし、建前のない社会など、現実には、あり得ない。アメリカ史の200年とは、この「建前がない」というタテマエと、建前を必要とする社会のホンネの戦いと読める。

奴隷制度、黒人差別、階級差別。アメリカという国はこれらの建前に反した本音に支えられて生きてきた。が、1960年代という歴史のcataclysmで、この本音は形式上、一掃されたのだった。このあたりから、「建前はない」というタテマエは、タテマエではなく、本気で信じられるようになる。

本音が一掃されて建前が現実のものとして受容された社会では、「アメリカンドリーム」も、現実と錯覚されてしまう。誰でも、無限に富を累積できる。誰でもクレジットカードを駆使して、ハリウッドスターのような生活を送れる。誰でも、無限のエネルギーと食料を浪費できる。誰でも、大学院にさえ行けば博士になれる。誰でも、USMLEとboardsを無事終了すれば、名医になれる。

建前と本音の葛藤を了解しない社会にこそ、「アメリカンドリーム」というネズミ講型社会モデルが、真に開花できたのだ。



アメリカ社会、そしてアメリカ型に染まった世界が崩壊の瀬戸際を漂う中、この「House」や「Scrubs」は実に、歴史的な大潮流の息吹を反映しているように思えてならない。「ER」は、「建前がない」というタテマエと「建前」というホンネの間で板挟みになる主人公たちの葛藤の物語。「House」などは、建前を捨てたときに、何が残るかを問う物語なのである。

参考: 知人のブログ。Star Warsの世代交代に、同じような構造を読んでいる。

2009年3月13日金曜日

泥酔妊婦

予定日よりもずっと前に陣痛が始まってしまった場合、新生児の予後が悪いから、早産防止薬(tocolytic)を投与する。だが、必ず効くような特効薬はなく、新しい論文が出るたびにみな右にならえするような状況に近いという。

で、ある老教授曰く、「いやね、私が始めた頃なんてアルコールでグデングデンにして早産防止ができるとみんな思っていたものだから、high risk patientの集まる大学病院の周産期病棟なんて、結構なご婦人がアルコールを飲まされて酔っぱらって、とんでもない暴言を吐いたりして、それはそれは、おもしろかった。ワッハッハ。」

2009年3月12日木曜日

I have a feeling...

朝のカンファ。

教授 「この患者さん、○○の治験にちょうどいいんじゃないかしら」
レジデント 「I have a feeling she's really not going to agree to be in any studies...」
一同 「(笑)」

難しい患者は(つまり対応の難しい患者は)、臨床の治験などに含まれる可能性はより低いに決まっている。いくら大教授がどうおっしゃっても、難しい患者は難しい患者、現実に施行するレジデントは日常に追い回されているわけで、必ずしもunbiasedな研究者ではない。ここにもまたひとつ、臨床研究の落とし穴がある気がする。

エビデンス、エビデンスと呪文のように唱えれば何でも治ると思っている節のあるレジデントも見かけたりするが、trialのエビデンスは実験科学者の目から見ると、あまりに多くの交絡因子(有形・無形ふくめ)があって、科学的ではない感がぬぐえない。そうすると、エビデンスもよいが、「臨床的なカン」みたいなのによるevidenceも、馬鹿にはならないということだろう。

2009年3月9日月曜日

Blessed one

看護婦さんの井戸端会議はたいてい、誰のシフトが有利だとか、そういう話が多い。最近流行のダイエット話も多い。

昨日は日曜~月曜当直で、日曜の夜までほとんど誰も患者さんが来なかったので、シフト談義も一区切りまで行き着いて、別のことについてもはなす余裕があったようだ。子供の命名について。何でも、Barackという名前が大流行だそうだ。

Barack a hot name for new babies
By Jennifer 8. Lee
(International Herald Tribune: November 10, 2008)

2009年3月7日土曜日

acute phase proteins in psych do

Inflammatory processes in Alzheimer's disease.
McGeer EG, McGeer PL.
Prog Neuropsychopharmacol Biol Psychiatry. 2003 Aug;27(5):741-9. Review.
PMID: 12921904 [PubMed - indexed for MEDLINE]
Neuroinflammation in Alzheimer's disease and prion disease.
Eikelenboom P, Bate C, Van Gool WA, Hoozemans JJ, Rozemuller JM, Veerhuis R, Williams A.
Glia. 2002 Nov;40(2):232-9. Review.
PMID: 12379910 [PubMed - indexed for MEDLINE]

Review of immunological and immunopathological findings in schizophrenia.
Rothermundt M, Arolt V, Bayer TA.
Brain Behav Immun. 2001 Dec;15(4):319-39. Review.
PMID: 11782102 [PubMed - indexed for MEDLINE]

The role of C-reactive protein in mood disorders.
De Berardis D, Campanella D, Gambi F, La Rovere R, Carano A, Conti CM, Sivestrini C, Serroni N, Piersanti D, Di Giuseppe B, Moschetta FS, Cotellessa C, Fulcheri M, Salerno RM, Ferro FM.
Int J Immunopathol Pharmacol. 2006 Oct-Dec;19(4):721-5. Review.
PMID: 17166394 [PubMed - indexed for MEDLINE]
Cytokines sing the blues: inflammation and the pathogenesis of depression.
Raison CL, Capuron L, Miller AH.
Trends Immunol. 2006 Jan;27(1):24-31. Epub 2005 Nov 28. Review.
PMID: 16316783 [PubMed - indexed for MEDLINE]
Changes in the immune system in depression and dementia: causal or co-incidental effects?
Leonard BE.
Int J Dev Neurosci. 2001 Jun;19(3):305-12. Review.
PMID: 11337199 [PubMed - indexed for MEDLINE]

お産

昨晩の当直はとても親切なレジデントで、出てくる赤ん坊を受け止めさせてもらった。男の子の名前は、もう、忘れてしまったのだが。娑婆の人には、そういう忘却は不思議かもしれないが、名前より、体重とApgarの方を覚えている。

2009年3月6日金曜日

Whiff test

膣分泌物と水酸化カリウムを混ぜて、においをかぐ。その臭いで、膣炎を診断するというやつ。ただでさえ、入浴するという良識のない人も多々いる中で、その上、臭いをかげ、と。

どうも、この科はやっぱり、適性がないらしい。

2009年3月5日木曜日

Men, Women, or Both?

産婦人科では、必ず聞かなければいけない問診事項(Do you sleep with ...)。本来は、性感染症と関連する科では、どこでも、訊くべきということになっている。正確な情報を引き出すためには、「今何時ですか?」みたいに何事もなかったようにさらりときくのがポイント。

「How many alcoholic beverages do you drink every day?」とか、「Do you use recreational drugs?」とかと同じたぐいの質問だ。

2009年3月4日水曜日

Hi, it's Dr. XXX, may I come in?

Attending達はシフト交替で周産期病棟をカバーしている。だから、自分の外来の患者だけではない。ほかのattendingの分まで、たくさんの妊婦の世話をする。初対面の妊婦だって、出産が始まったら世話をするし、緊急で必要だったら帝王切開もする。患者の名前なんて、必ずしも覚えていない。

でも患者からすれば、以前自分の出産に立ち会ったattendingとか、帝王切開したattendingとか、そういうのは忘れないものだ。患者からすれば、一生に一回のかけがえのない関係だから。

医者は覚えていなくても、患者が覚えているかもしれない。本来だったら「患者の名前は全員、完璧に覚えている」というのが理想かもしれないが、現実問題、そうはいかない。だから、事実上のサービス業としては、とても難しい窮地である。

そこであるattendingは、当直で患者の病室をまわるときは必ず、戸をトントンとたたいてから「Dr. XXXですけれど、おじゃましていいかしら?」といって入っていくのだそうだ。「あら、XXX先生、お久しぶりですわ」などと患者の方が自分を覚えているそぶりをみせたら、それなりに対応するのだそうだ。

ちょっとした工夫で、だいぶお客さん(???)の印象も違うという。

2009年3月3日火曜日

What is the indication?

学生 「Mrs. X is a 27 yo G2P1001 presenting at 37w4d for elective R C/S...」
アテンディング 「Why can't she wait, what's her indication for early C/S?」
学生 「Well, she just lost her job on Monday...」
アテンディング 「What the #@%&! ?」
学生 「Well, she just lost her job and her insurance runs out next week...」

失業で来週、健康保険を失うので、保険のあるうちに早めに帝王切開。結構yuppieな女性がこんなことになるんだから、この国の景気は、相当、悪いのだろう。それより何より、この国の市場主義健康保険は、すでに、破綻している。

どこの国も健康保険政策はきつい状況だが、アメリカは、先進世界でダントツに破綻している。というか、老人健康保険や軍人保険をのぞいては、破綻というよりは、そもそも、政策がまったくない。どの統計をみても、それは世界的に歴然。金権主義の強い共和党先生ですら、この破綻に気づきだしているが、だからといってオバマ氏がこの惨状を変革できるかは、不明。



23時間観察入院、というのも同類だ。24時間未満だと、多くの保険会社では入院扱いではなく、処置という分類になり、還付率が入院より高いとか、事前承認が不要、とか。だから、出産しそうにない妊婦は、努めて、23時間目に退院してもらうわけだ。1時間後にまた再入院するのなら、それは、それで、よいらしい。書類や部屋の清掃、静脈確保からなにから、社会全体としては大きな無駄になるわけだが、アメリカというシステムは公共の福利という概念を内包していないため、まあ、致し方ないこの蟻地獄。

2009年3月2日月曜日

検査結果の記載法

日本でどういうカルテの書き方をするかは知りませんが、質問をされたので、この(→)skeletonというのは、日本では一般的ではないのかもしれません。枠内に書いたのは、すべて、血液検査の結果です。どこもどんどん電子カルテ化する中で、このshorthandを見かける機会は減ってゆくのかもしれませんが、アメリカでは全国的に、当然のように使われる記載法なので、知って損はないかもしれません。症例発表とかでも、出てきます。ちなみに、最後の肝酵素については、病院によって違った書き方をすることがあるようです。

あと、テキストで打ち込んでいる場合は、以下の感じになります。なれていないと、数字と記号の羅列が何の意味だか、わからないかもしれません。

Na / K | Cl / bicarb | BUN / creatinine < glucose

leukocytes > hemoglobin / hematocrit < platelets

興味のある方は、アメリカの医学生が誰でも病棟で携行しているMaxwellを参考にすると、標準値などともに、動脈血ガスの書き方、reflexの記載方法など、いろいろ書いてあって便利かもしれません。

産婦人科外来

周産期病棟では、スタッフ用便所を使っていたので気づかなかったが、婦人科外来、男子便所が、ない。患者はもちろん、医者も多くは女性なので、当然といえば当然だが。

2009年2月28日土曜日

Medical Expertise

医療と関係ない知人と話していて、思ったのだが、プロとしての医学者を目指す立場というのは「全体観」をはぐくむことである気がする。

たとえば、「予防接種の添加物によって自閉症のリスクが高くなるかもしれない」という情報を考えた場合、その事象自体については誰だってネットを引けば「情報」を入手できるわけだが、その情報の評価については、もうすこし専門的な見知が要求される。たとえば、<この自閉症リスクについては非常にquestionableな結果しか出ていないこと>と、一方で、<予防接種を受けないことによる感染リスク・感染死亡リスクは疑いの余地なく確立されていること>などを、総合してとらえなければならない。

臨床一般についても、その教育の要は、こうした情報のstratificationとcontextualizationにあるような気がしてきた。そして、contextを理解した上でstratificationがしっかりしていないと、行動の優先順位はたたない。



まあ、こうした「全体観」というのはどういう職業にしても、プロとしては必要なものであろう。だが一方で、アメリカ人のyuppie層には、根強い情報信奉主義があって、何でも調べればプロになれると考えている節がある。

このたびの経済危機で、この机上の情報のもろさがはっきり露見したわけだ。情報は、その文脈がしっかりしていないと、意味をなさない。いくら経理上儲かっていても、きっと、経済全体を俯瞰する立場を持つプロにとっては、あんなバブルは不可能、というcommon senseがあったのではないかと思う。



最近全く脳関係の読み物をしていないこともあって、脳科学観は伸び悩んでいるわけだが、もう一回り上位の、<人体という文脈の中での脳という現象についての理解>はあるいみ深まってきた気もするのである。希望的観測ではあるが。

2009年2月27日金曜日

Bless me Father, but have I sinned... ?

今日は、緊急D+E(中絶)の準備手伝いで駆け回っていた。母親が死んだら当然赤ん坊も死んでしまうような在胎齢だし、医療上も絶対的に必要である。でも、カトリックの大学病院では、絶対に必要でもなかなか倫理委員会の許可がおりない。書類や道具も調っていないし、第一、普段からこれをやっている指導医がいないので、関連病院から指導医を招くことになった。とても人のいい大柄の産婦人科医が、道具を担いでやってきた。

どでかい吸引カテーテルで掃除機のように吸い出してから、残りをきれいに削り取る。残渣があると、出血や感染の元になりかねない。そして最後の残渣を「キュッ、キュッ、キュッ」と削り取る、この子宮の音を、uterine cryと呼ぶ。子宮の泣き声。

別に、僕自身、罪の意識は全くない。バラバラ状態になった16週くらいの胎児が机の上に並べられても、全く動じなかった。先週超音波をごろごろ転がしていって、病棟でみたときには、元気に泳ぎ回っていた胎児だ。そして全く動じない自分に、むしろ、動じたくらいだ。

2009年2月26日木曜日

緊急手術

赤ちゃんなかなか降りてこない。そして、心拍がどうも怪しげ。よって緊急の帝王切開となった。真夜中ちょっと過ぎに出てきて、はじめは「オギャア」がなかなか出ないので心配でもあったが、どうやら元気そうだ。

不思議なもので、母子ともに(笑顔のとれないお父さんも含め)、こんなに人の一生に近く寄り添うことなんて、他人としてはありえない体験だ。

2009年2月24日火曜日

Sausage工場

「○○はソーセージと一緒。どうやって作るかは、知らない方がいい」というのは、米語ではごく使い古された言い回しである。○○には法律、とか、いろいろなことばを当てはめてよいが、「赤ちゃん」というのは、どうだろう。

映画Alien。Ridley Scott監督は感染者の腹部からエイリアンが孵化するシーンを創造するにあたって、どう考えても、人間の出産をイメージしているとしか思えない。血や羊水が飛び散る中で、どう考えても出てくるはずのない穴から、母胎を破壊しながら赤ん坊は生まれてくる。しかも元気がよかったりすると、まさにalienのような叫び声を出す。

しかも現実は映画よりもグロテスクなのである。生きるというのは決してきれい事ではない。ヌメヌメ、ドロドロした穢い営みという側面は必ず、そこにある。それを実感する周産期病棟の毎日だ。

2009年2月23日月曜日

Pregnancy is an STD

ある他科の指導医曰く、「妊娠は、STD(*性感染症)の一種だからね。」確かに、不都合な症状から重篤な合併症まで、いろいろ厄介ではある。母親には、頭が、あがらない。

*sexually transmitted diseaseという用語を直訳すると「性行為によって伝播する疾患」ということなので、感染には限らない。だから、このジョークが成り立つのである。

2009年2月22日日曜日

死と生の狭間で

周産期病棟にいるので、普段は産婦人科のコンサルトは関係ないのだが、休日当直のクロスカバーで、ある患者さんと関わることになった。肝臓あたりの静脈に血栓ができてしまうような症候群で、妊娠3ヶ月なのにまるで6,7ヶ月くらいのおなかの膨れよう。

あさ、超音波をころころ転がしてレジデントと一緒に診察、胎児が泳ぐのを生まれて初めて目撃。周産期病棟ではもう大きすぎて、頭だけとか足だけとかしか見えない。でもこのくらいの胎児だったら、超音波画面いっぱいに泳いでいるのがわかる。上に、下に。でんぐり返し。

妊娠中絶の反対論については、以前から動機がわからずにいたが、これをみると、理解はできる。でも、お母さんの治療のために、きっと、この赤ちゃんは犠牲になるのだ。3ヶ月では、お母さんが死んだら胎児も死ぬわけで、選択の余地はまあ、なさそうだ。第一、比較的元気そうなこのお母さんも、容態の悪化は着実に進んでおり、来週まだ生きているかですら不明。

コンサルトの目的は、胎児の健康を考慮した治療計画と、進行性の貧血が膣にたまっていないかなどの評価だったのではあるが、これは「胎児の健康」などといっている余儀はない。基本的には傍観のコンサルト経過となりそうだ。

小児科もそうだが、普段喜びが大きいだけに、こういうことがあると、心に響く。

2009年2月20日金曜日

Cheerios

学齢前くらいの子供の診察。指導医と一緒に外来に出て行ったら、お腹を触診するときに、「じゃあ、朝ご飯何食べたか、調べるね... Cheeriosでしょ。」

Cheeriosは人気のシリアルなのだが、これでいくと、結構当たるらしい。「違うの?じゃあ、聴診器で調べるからね。」

小児科の診察は、子供の年齢相応に、対応するのが、肝心らしい。

略語の嵐

産婦人科は、特に、ひどいようだ。

Mrs. Smith is a 35 yo G6P4025 who is PPD#1/POD#0 s/p VAVD + LTCS with IVF di/di twins. Prior pregnancies were all NSVD with no complications, prior course was uncomplicated except for well-controlled GDM and GBS+. She presented Wednesday noon at 35 2/7 WGA with PROM, both twins were vertex per US. Abx ppx was started yesterday morning. Twin A was delivered yesterday night at 10 via VAVD, and twin B via STAT LTCS at 2 this morning 2/2 CPD/AOD and NR-FHT, complicated by PPH. Oxytocin was given and lochia is since minimal, afebrile + HR/RR/BP WNL, PP H/H = 8/24 w no Ssx and UO 500 ml/4hr via FC. Fundus U -1 finger-breath and firm.

結構複雑な患者でも、これで大体、様子がわかるというやつ。それをすらすら読めるのが、おそろしい。

2009年2月19日木曜日

レジデントの妻

他科のレジデントが妻の帝王切開。その他科レジデントがどの先生の外来に来るかをみると、実に、目の付け所がよい。当然だが。外科は結構簡単に、腕の差が、わかってしまう。

2009年2月18日水曜日

産婦人科

レジデントも、アテンディングも、みんな親切。でも、子供が生まれるというのは実に汚く苦しい営みなのだということを初めて実感。お産にしたって帝王切開にしたって、羊水と血が飛び交ってあまりきれいなものではない。

今まで回った科は、これを一生やっても、いいかもしれない、と思うことも時々あったが、産婦人科はこういう気持ちにはなれなさそう。興味深いながら、最低限医師としてMDを名乗るのに恥ずかしくない程度の+α、が目標かな。

2009年2月15日日曜日

検査室

Attending 曰く、

検査結果がなかなか戻ってこない。というので、検査室に電話するときは、
  「× I'm wondering if you have this result back yet...」
ではなく、
  「◎ I'm still waiting on the results for...」
とか
  「◎ I assume these results are back already...」
などとassertiveな感じでなければない、というのだ。

必要なものは必要、そうしないと戻ってこないのならまあしょうがないが、こうして社会の喧噪が増していくという、悪循環。ドイツの技官たちが、こいしい。お願いしたら、いったとおり以上の結果がいつもきちんと返ってくる。

新生児健診

新生児健診は、猿と一緒で、気をつけないとひっかけられる。あと、newborn nurseryは猿小屋と一緒で、一人が暴れ出すと(泣き出すと)、皆蝉時雨のように泣き出す。で、こんなのが2,3年もすると人間らしくなってきて、20-30年もすると大概は一丁前のヒトとなるわけだから、不思議なものだ。その目まぐるしい動的な個体進化に寄り添う小児科というのは、実に、奥が深い。

2009年2月14日土曜日

Presentation

小児感染症科。Attending3人だけの小さな部門だが、患者数もコンサルト数も少ないだけに丁寧に診ることができて、attendingもみんなとても教育熱心で楽しいローテーションであった。

で、最後にプレゼンテーションをしろというから、PANDASという、連鎖球菌咽頭炎(あるいは皮膚感染)後に起きる自己免疫疾患としての、痙攣みたいなの(tic)について発表した。10年くらい前にとてもはやったテーマだが、機序(と現象の信憑性すら)なかなかはっきりしないため、最近はちょっと下火の模様。

で都合のよいことに、僕自身の脳研究の生涯テーマ、神経細胞の中間ネットワークレベルでの集合活動を考える上で、とても興味深い。将来できのいい医学生が研究室に来たら、このネタで共同研究をしたいものだ。それまでに、文献を広く下読みしておかなくてはならない。第一チックみたいのが、齧歯類で本当に起きるかどうかすら、実をいうと疑わしい。人間で固有に発達した大脳による中脳以下の制御系統の疾患とみる節があるが、そうだとしたら、猿ですら、大脳によって本能を抑制することは実をいうと人間ほどにはないのだ。



まあいずれにせよ、「大脳の疾患の多くは、実をいうと感染症と絡んだ自己免疫疾患の要素があるかもしれない」というsubtextのプレゼンテーションをしたら、部長先生が最後に、「うん、神経内科も精神科も、全部、実をいうと感染症だ、っておはなしね。おもしろいおもしろい。」と、的確に楽しんでもらえたようで、何より。

(もしも内分泌を回っていたら、きっと、精神疾患はすべて内分泌疾患だ、という話をしていたかもしれない。その意味では、ややintellectual prostitutionの面もあるが、まあ、こんな法螺の一つも吹けなければ、実験をさぼって医学の勉強をしている甲斐がない、というものだ。)

まあ、嘘ばかりではない。実をいうとアルツハイマーだって、スピロヘータの感染巣が核になってプラークが形成される、という、昔からfloating aroundしているお話もあるし、そのほかだって。しかも、神経内科系・精神科系の慢性疾患の罹患率は長期的な上下や地域的なばらつきが激しいが、それは社会や気候の変化・製薬会社の陰謀にだけ、帰着できるものとは限らない。たとえば予防摂取率の上下によって自己免疫疾患系神経症の罹患率が変化している、なんていう疫学結果がもしも出せたとしたら、疫学だけだってノーベル賞級である。

で小児科だからがんばって、カラフルなパワーポイントの雛形をつかったのだが、ある先生に言われたことは、「君はまじめな学生だから、無理してクレヨンとかそういう馬鹿みたいなことをしなくても、いいんじゃない?みんなそういう風にしているのは分かるし、きっと君は君でそういう風に頑張ってみたんだろうけれど、まあ子供だましならそれもしょうがないけれどね、学者は学者なりに胸を張って中身の勝負をすべきだと思うよ。」

おっしゃるとおり。

2009年2月11日水曜日

Pus doc

現在、小児感染症科をまわっているのだが、昨日回診の時、指導医曰く、「pus doc(ウミ先生)をやっていると、こういうの困るんだよね、と。」鼻水一つでコンサルトを出してくるような無責任な人のこと。

しかして、このpus doc。

Poop doc、ウンコ先生(消化器科)と似たような話だろう。そうしたら泌尿器とか腎臓はpiss doc(ションベン先生)なのだろうか?

2009年2月10日火曜日

In the beginning, there was an egg and a sperm...

指導医曰く、
「カルテのノートには二種類ある。トルストイと、電信と。」

複雑な床例でよくわからないときには、それこそトルストイのように事細かな長編ノートを書かなければならない。でも通常の床例では、いかに簡潔に、言葉を省きながら重要事項を伝えるかが肝心。

「医学生は大抵、どんな患者でもトルストイになりがちなんだよね。」

でも、場合によっては本当に、創世記ではないが、卵と精子から始めるべきことだってある。たとえば、人工授精の子供で網膜芽細胞腫(retinoblastoma)が多いとかいうような話は有名だが、これから人工授精の子供がどんどん大きくなって行くにつれ、いろいろな成人型の腫瘍が問題になってくると考えられる。(「卵の採取の際に母胎が受けるホルモン療法が、欄に悪影響を与える」、という話に今のところはなっているようだ)

だから真の意味で医学者たろうと思ったら、ときとしてトルストイになることも、必要なのである。

2009年2月9日月曜日

PANDAs

Maybe autism, parkinson, alzheimer too.
(anything with geographic/developmental tropism)
ms anybody?

Don't forget Borrellia story...
What about hypomania, dysthymia, etc.

How many lives did #you# save today?

半ばやけっぱちにも聞こえるが、内科の外部病院のattendingいわく。

ビジネススクールにいった同級生とかと会ってね、毎週末ゴルフをしていて、優雅なナイトライフを送っていて、そんなライフスタイルとかが羨ましくなったら、一言訊くといいんだよ、
「俺は今日、3人の命を救った。お前は何人、救ったのかね?」

まあ、business school卒をうらやむ時代は、終わったのかもしれないが。

2009年2月8日日曜日

Mosaisism

Do not need constant recombination for variability in neuronal genome
Like t21 phenotypes

2009年2月7日土曜日

元気な赤ちゃん

「胎動が激しくて、胎児が母親をとても盛んに蹴って困る」、という場合のはっきり同定できる鑑別の上の方に、「胎内での禁断症状」があるそうだ。お母さんがドラッグをしていて、しばらくせずにいると、母親より先に胎児が禁断症状を引き起こす...

恐ろしい国(街?)だ...

tics again

can tic and impulse disorders exist in species with no inhibition of premonitory urges?

2009年2月5日木曜日

rubella autism

like pandas?

2人目以降

最近大学病院では胎内CMVの赤ちゃんが立て続けに何人もNICU(新生児集中治療室)にかかっているらしい。現在小児感染症コンサルトの回診に参加しているのだが、4年生がそのCMV新生児の一人をプレゼンしていたら、指導医が、「この子何人目?」と聞いた。「G2P2(2回妊娠、2回出産)、2人目です」というと、指導医は、「そうなのよ、大抵CMVは2人目以降、つまり上の子がどこから持って帰ってきて、それが母親の一次感染源になったりするんですよ」と。

こういうのは教科書を見てもなかなか書いていないが、有機体としての病気の、一面である。だから、病気の研究をするのであれば臨床経験は欠かせない。幸い、脳の病気は基本的には基礎研究・生理学の手には負えないものばかりだから、その点、あまり心配はないような気はするのだが。



そういえばNICU。小児感染症チームに配属になって初めて立ち入ったが、熱帯雨林とか東南アジアのように、蒸し暑くしてある。そのなかにジャングルのように機械が並んでいる。大きな機械、小さな赤ちゃん。外来では健康な新生児をたくさんみることができたが、小この子たちは様子が違う。より、有袋類などの早生動物の赤ちゃんに近い。まあ、発生学上、当然といえば当然だが。

早生児や奇形児、そのほか、どこまで積極的に治療するか、というのは、実に難しい選択である。「見捨てろ」という人もいないし、「何でもよいから管だらけの針刺し状態にして心臓だけは鼓動を続けるように維持せよ」という人もいない。でも、その両極端の間のグレーが、とてつもなく、広いのだ。

2009年2月3日火曜日

中耳炎

外部病院の回診。時々地域の退職した小児科医たちが、回診に参加する。である日、中耳炎が話題になった。「この時期子供が救急に行くと、たいてい中耳炎ということで抗生物質をもらって帰ってくるんだよね」と。特に小児科や小児救急ではなく、一般救急医が子供もみるような病院に、多いらしい。「子供の感覚がない人は、何か抗生物質を出しておかないと、不安なんだろうね。」「まあ、抗生物質さえ出しておけば、救急から追い払って大丈夫だと、勘違いしている節もあるし。」

泣き声

外来を終えて、今日からまた、大学病院に復帰。

朝病棟を歩いていると、かぼそいけれども空気を切り裂く、薬缶の笛のような鳴き声がしてきて、瞬時に、3週間前に盲腸炎できていた女の子を思い出した。そして、入院チームのsign-out(チーム患者の一覧)をみると、見事、その子がいるではないか。

その子、どうも普通の盲腸炎ではなかったらしい。僕がいたときにはperfはしていたものの一応内視鏡手術も無事終えて、収束に向かっていた。でも、回診で触診させてくれない。聴診器を乗せただけで、例のか細い笛のような鳴き声を発して、看護婦さん・お母さんといっしょに、困っていた。何も聞こえやしない。僕は僕なりにprogress noteも書かなきゃならないし、ナースステーションからシールなんかをとってきてそれで釣ろうと努力などもしたが、腹部は触らせてくれない。触診しようにも、腹筋をリラックスしてくれないと、どうにもならない。

内視鏡手術はたいてい、様子が落ち着いたらすぐ退院。熱などもないのだが様子がおかしいから、退院を引きずらせる方向で何日かプレゼンしたり努力したのだが、チーム交替で外病院の外来にいってしまってからは、結局どうなったのかは知らなかった。でも、声だけは、覚えている。

いったん出て、また戻ってきたらしい。

2009年2月2日月曜日

あの人、使えない

人を見て色々と学ぶことは多い。看護婦さんとか、ソシアルワーカーとか、「あの人使えないのよね」みたいなことを、ぽろっと漏らしたりすることが、時々ある。確かに過労でいると、使えない人が職場にいるのは困るのだろう。でも、これはもしかしたら、口外してはいけないことなのではないか、という気がする。

もちろん、上司にはそのことを陰に陽に伝えねばならない。でも、外にはそれを見せないのが、プロなのだろう。

2009年2月1日日曜日

社会の礎

外部病院での外来実習中、Grand Roundsで、Every Child Matters教育財団の方が講演をしていた。今回の景気刺激策だが、銀行の尻ぬぐいもよいが、将来の人材たる子供に投資してはどうか、というのだ。何でもアメリカは世界人口の5%なのに、世界の囚人の25%はアメリカの牢獄にいるらしい。そしてその囚人には多くの場合、子供がいるのだという。
  • 健康保険 無保険の子供... 800万人
  • 虐待を受けている子供... 300万人
  • 親が牢獄に入っている子供... 200万人
  • 貧困水準以下の子供... 1300万人

こうして、犯罪層・貧困層は再生産されてゆくのだ、この悪循環を断ち切らないと、社会はどうしようもない、とその活動家はいう。もう、どうしようもないのかもしれない。社会の基盤がなっていないとはこのことだ。この国は、やはり、終わっているのかもしれない。

2009年1月30日金曜日

Is healthy kidney "training" protective?

diuretic or tea in water, delta conc to reg intake

Emetic reflex

retrograde propulsion is extrinsic... ?
on/off difficult, same problem but more than olf phys

OSCE

今日はUSMLE Step 2CSの模試みたいなのをやった。USMLEは国家試験のようなものだが、その一部に、模擬患者(Standardized Patient)を診察する。1日がかりの大試験が含まれているのだ。

クラスメートは皆、2回目で余裕という感じであった。10人のグループで、一人ずつ、学校のOSCE教室にある10個のの模擬診療室に分かれ、10人の役者をそれぞれビデオされながら診察する。

僕らが1,2年をやった頃(4年前)はなかった企画なので、僕はちょっとあたふたしてしまった。で、いろいろルールがあるのだが(pelvic, rectal, breastは禁止、やる意志だけ告げる、など)、そんなことを考えるだけで頭がいっぱいで、本当に模試があってよかったと思う。まあ、どこまでちゃんとやればいいかなど、次回はルールをもう少し予習した上で望んだ方がよかろうと思う。

2009年1月28日水曜日

小児科preliminary year

研究が本命。でも、医師免許はいろいろな事情からあった方がよい。アメリカだと大学4年卒業してメディカルスクールさらに4年(研究医課程だと7,8年)だが、学位MDは別として、医師免許を取得するためには、さらに最低限1年間の研修が必要となる。つまりアメリカの医科大学院は、実質大学卒業後5年間の課程、ということになる。

研究などほかの方面に進む予定で免許だけ取りたい、という場合は通常、内科のpreliminary yearという一年間限りの研修(インターン)をやる。(一般内科医として認定を受けるためにはさらに2年、専門内科医として認定を受けるためにはその上さらに3年くらい研修が必要である)。まあ、外科のpreliminary yearや、いろいろな科をまわるtransitionalと呼ばれる一年もあるにはあるのだが。

で最近、小児科が楽しくてしょうがないし、他人とコミュニケーションをとるのが苦手な僕としては、内科より小児科の方が絶対に向いているような気がしてならない。また、科学的にも、小児科の方がおもしろい。というのは、何十年もの残渣がつもって起きる内科系の慢性病なんていうのは、一般的にいうと、そう簡単に実験系に落とし込むことはできない。癌みたいな大人と子供と両方起きる疾患だって、小児癌の方が総じて純粋な形で露見する。あと誤解を恐れずにはっきり言ってしまうと、大人までなかなか生き残れないような奇病だって、小児科なら世話をすることがある。そして、罪深い大人の騙し合いにも発展しかねない内科診療とは違い、少なくとも子供には、罪は、ない。

だから、もしも科学者として生き残れなかったら、小児科だろうと思う。でなければ、老人科ないしは腫瘍内科。死にゆく人も総じて、原罪のみの原初の形に回帰する。



ちょっと調べたら、数は少ないが、小児科のpreliminary yearというのも、あるらしい。すると、小児科に暮らしながら免許が取得でき、先々臨床(小児科)に戻ろうということになっても都合がよい。ただし、全米でポジションの総数は20足らず。研究が盛んなような病院(大学)に限っていうと、片手に収まってしまう。

だから今日はうちの大学の小児科の研修部長に話を聞きに行った。で、今までの成績とか履歴を見せたら、たしかにポジションの数は少ないが、そのポジションを目指す人も少ないわけで、このままいけば十分可能性があるような回答だった。だから、これからは「what do you want to go into?」と聞かれたら、迷わず、「peds preliminary year」と答えることとしよう。珍しいコースなので話のネタにもなるし、すかさず研究医課程の特待生であることをさりげなくintroduceするきっかけでもある(10中8,9、MD/PhD課程の学生だとわかると、指導医でも研修医でも、皆リスペクトというか丁寧さが変わる)。あと、小児科は総じて病院の中では下にみられがちだが、内心どこかでは皆、尊敬している気もする。

だけれども、免許だけ取得して、何年か研究をした後にまた小児科の研修に戻ろうとすると、それはそれで大変らしい。小児科というのは基本的には、2年目からの研修というのがなく、3年一環の教育が主流なのだ。また研修中の人の流動も少ない科なのだそうだ。そのうえ、臨床にギャップがあることは、好まれないという。ギャップなく、というと研修の1年目からやり直す、という手もありそうだが、そうすると政府からの研修補助金が余計な1年分は出ないため、金銭的に受け入れてくれる病院は少なかろう、と研修部長はいう。

ただ研修を完了して認定医でなくても、政府機関や国際機関で働く場合は、免許の有無だけで全然待遇が違うそうだ。そういう可能性については、全く考えていなかったので、とても参考になった。

まあ、とても親切な方でいろいろ教えていただいたので、とても充実したmeetingであった。

2009年1月26日月曜日

下背部痛

中学生の下背部痛。内科外来の一ヶ月、暈関連施設にいたこともあって3人に1人は下背部痛だったので、内心、「よ・ゆ・う~!」

で、まあ心血管はないだろうし、髄膜炎や泌尿器も症状があわないし、ankylosing spondylitisとかそういう類のもちょっと幼すぎるし家族歴もない。モトクロスをするというからせいぜいが何かの具合でごく軽度のspondylolysthesisとかのmuskuloskeletalが有力、変わり種としては足の方もちょっとチクチクというし肥満体型だからせいぜい小児糖尿病の神経痛?、くらいの鑑別のつもりで必要なH&Pで裏付けを取って、内心「あとはばっちり、はんこだけ押してください」のつもりでS、O、A/Pとプレゼンしたら、白血病などのneoplasmも鑑別の上位に入れなきゃいけないのだそうだ。まあ、lethargyはないなどいった典型的な症状は型どおり聞いてはあったのだが、あまりまじめには考えていなかった。あと、虐待を受けている様子があるかどうか。

で指導医と一緒に戻って、よくよく聞き出すと、下背部だけではなく腰の骨も痛いらしい。歩いてもらうと若干claudicationがあるように見えなくもない。これも、甘く見てちゃんと所見をとっていなかった。小児の下背部痛は稀なので、結構気を遣うのだ、と教えてもらった。

問題ないといいのだが、A/PにはもちろんCBCなどを加えることになった。なるほど、同じ下背部痛でも、小児科だとこうも違ったflavorになるのだ。よいteaching caseであった。

2009年1月25日日曜日

アメリカ式Philanthropyの行き詰まり?

アメリカ保守社会には旧来から、金持ちが自分の意志で喜捨をし、社会の秩序を保つ、という理想がある。社会保障・慈善は政府中心ではなく、個人中心であるべきだ、と。事実、社会体制の整備や弱者救済政策を声高に叫ぶliberalよりも、laissez faireをむねとするconservativeの方が、慈善団体への献金率は高いそうだ。だが一方では、「ルイジアナで大水害、ではみんなでvolunteerにいこう」、といったnaiveteも否めない。

事実、ビル・ゲーツを筆頭にテク成金たちはこぞって、世界保健などに「投機的なphilanthropy」をする財団を設けている。だが先日大学できいたWHO幹部によるセミナーによると、そういう個人主義的なphilanthropyは国際保健の舞台で、若干の問題を引き起こしているというのだ。というのも、本来はバランスよく保健全般を支援しなくてはならないのに、個人財団などはどうしても、AIDSとかmalariaとかの特定疾患を集中的にターゲットしてしまい、短視眼的になってしまうのだそうだ。たとえば、抗AIDS薬に巨額が投入されている横で、単なる脱水で子供が死んでいく、とか、そういうたぐいのアンバランスが生じてしまうのだそうだ。

あと、個人財団はとかく、自前のスタッフと診療所を設けたがるが、それは、併存する地元の保健インフラを弱体化させる原因となりかねないそうだ。

Alma-Ata宣言以来、プライマリーケアを中心とした保険体制と社会周縁システムの整備が重要だ、ということは、世界保健の専門家に皆共通する同意であるそうだ。だから、そうした方針に、個人主義的philanthropicな財団をいかにして組み込んでいくか、というのが今後の課題だそうだ。

「Philanthropistは下手にfeel goodな散財をするのではなく、地道に活動しているWHOなどの世界機構に紐なしの献金をすべきだ」、という気もするのだが、金を出す側としてはそうもいかない心理は、わかる気はする。



そういえば、基礎研究の世界でも、疾患限定のお金が増えている。そういう短絡的な研究で、長期的な革新が阻まれているような気もするが、そうだとしたら、ここでも、アメリカン・パラダイムが崩壊を迎えているのかもしれない。

号泣

病院実習での号泣は、はじめて。もともと涙腺の緩い方ではあるし、いろいろな面でストレスの発散を押さえられない性格でもあるので、特にこれから春先に外科の3ヶ月に突入すると、便所のお世話になることも増えてしまうかもしれない。



その子は、原因不明の嘔吐と失神が3年以上にわたって続いていて、何人もの専門家を回ってまだこれといって診断がついていない。まあ、そこまでいうと大抵の人の鑑別の1位は、精神関連のなにかとなる。でも家庭も普通に円満であったり、嘔吐が睡眠中にも起きることなどから、考えにくい。座って雑談していても、普通に闊達で元気な中学生だから、どう頭をひねっても精神疾患の画にはまらない。児童精神科のコンサルトも、そういう。で、一応、自律神経失調というわかったようなわからないような診断がついてはいるのだが。

その子が、workupの一環で胃カメラを飲んで、胃に大量の胆汁逆流が見えた。消化器ではあわてて画像検査をしよう、とバリウム用にNG tube(Magensonde)を入れた。吐いてしまって、ふつうにはとても、飲めないからである。

胃カメラはsedation下で行ったのだが、そのsedationからさめたとき、入院して初めて、その子は泣いた。「いやだ、いやだ、もう退院する~。この鼻のチューブもいらないからさ~!」中学生だから、それまでは、結構まじめに検査の内容などを説明したりしていて、お母さんと一緒にまじめに聞き入ったり、質問をして、とてもしっかりした感じの子だったのが、NGチューブひとつで、たちまち、ただの子供に変容。お母さんと一緒に一生懸命なだめたのだが、途中でどうしょうもなくて、失礼して、便所で号泣。

そもそも、miserableなのはその子であって、僕ではない。だから筋は通っていないのだが、当直あけの疲労・ストレスと、無力感と、経験ゼロなのに学位のためにこの子を朝から晩までつつき回している罪悪感と、そしてその子をそれまで「interesting case」としてしかみていなかった罪悪感。興味深いかどうかは、その子の知ったことではない。実をいうと単に、miserableな子供にすぎないのだ。



それだけの理由ではないが、もしも臨床をするとしたら、小児科がいいような気がする。医師としてもそうだろう。別に喫煙で肺ガンになったとか、飲み過ぎで肝臓が石のよう、とか、食べ過ぎで体中の血管が脂ぎって石灰化、などという大人の疾患は、いけないとは知りつつも、同情しにくい。その点、子供には罪がないし、治療の善し悪しによる、先々の人生への影響も絶大だ。研究の上でも、一般小児科ほどいろいろな変わった医学的不可思議に出会える場は、なかろう。子供の体はダイナミックに形成される過程にあるため、臓器ごとの意外なつながりからくる症候群も多いし、謎も多い。すでにpigeonholeされた患者しか診ない専門医よりも、ある意味、おもしろいかもしれない。

だから「What do you want to go into?」というおきまりの質問が次きたときには、気をつけていないと、「pediatric hospitalist」と口を滑らせてしまうかもしれない。

まあ、免許取得のために一般内科(つまり大人)のインターンを1年する、その後は基礎研究に没頭、という大枠のプランには変更はないが、小児科の1年間のpreliminary programというのも、ごく少数だがあるようなので、考えないこともない。

2009年1月24日土曜日

Febrile seizure

Timing and temperature/chemokine sensitivity profile differences in modelo
(systems underpinning of various knowns)
myelination state

mechanism => recurrence risk

2009年1月22日木曜日

小児科ガイドライン

米国小児科学会「明るい未来」ガイドライン
小児科検診では予防接種以外にも、副流煙、チャイルドシートの使用、母・家族の状態と精神保健などについても、気を遣わなくてはいけない。

あと、幼児期の湿疹などに関するパンフレット。親はたとえ副流煙などに子供がさらされていたりしても、意外とこういう些細なことが心配になるものらしい。

2009年1月21日水曜日

La Clinica

オバマ就任式は、幸い、大事なく終了。水を買い込んで備えた割には、拍子抜けだが、まあ、万が一に備えるというのはそんなものなのであろう。

小児科外来のローテーション。近郊の素敵な病院の一般外来に配属になった、その名もLa Clinica。いって最初に聞かれたのが、スペイン語の熟達度。「Do you speak Spanish?」ではなく、「How much Spanish do you speak?」。最初に渡されたのが、生後3日目と2週目の診察の際にもちいる主要フレーズのカンニング表。

でも、クリニックは午前中だけで、昼のカンファレンスが終わると帰れるので、勉強のしだめと、少しは研究の雑用もすませられそうだ。ラッキ~

2009年1月19日月曜日

高等な秘書

先日当直で、small bowel follow-throughがなかなかスケジュールできない患者さんを、放射線科に連れて行った。この検査はバリウムを飲んで、それを胃から大腸の入り口までフォローするというもの、普通4,5時間かかる。

で就任式の嵐の前の静けさで、小児の新患もなく静かだし(危急でない手術やEEGなどといった検査入院がない上、ワシントンDC一円の救急車はみな病院近くに待機なので、小さな病院からのむずかしい症例の搬送もストップしている)、だからずっと放射線科でうろうろ、患者さんとおしゃべりしたり、検査の過程を見たり、読影室で夜勤のレジデントと雑談したり、教えてもらったりしていた。

レジデントと会話するとたいてい、最初に、何科に進む予定かを聞かれる。夜勤の放射線科のレジデントに、内科か、神経内科か、まあどちらにしてもpreliminary yearのインターンをする予定だ、といったら、「僕も内科はちょっとやったけれども、放射線科にしたら」だって。放射線科だと、一晩当直して、次々と臨床判断を下してゆく。内科だと、実をいうと検査結果を追っかけたりコンサルトを追っかけたりと、秘書のような仕事がほとんどだというのだ。まあ特に、アメリカの内科は手技をほとんどしないし、何でもコンサルトに丸投げする体質があるようだから、特に空しいという面もあるのかもしれないが、まあ確かに、いうとおりではある。

でも、免許のために1年だけpreliminary internをやるのであれば、内科くらいしか、選択肢がないのだ。

2009年1月18日日曜日

Nihil enim est simul inventum et perfectum

いろいろなアイディアが交錯はしているのだが。なかなか、考える時間(余裕?)がなくて、まとまらない。

就任式

火曜は町中、車止めになる。電車も特別ダイアで、上りだけの駅、下りだけの駅などを設けるらしい。自動車も今週は徐々に、日ごとに悪化していったと、車通勤の人はいう。新聞には、サバイバル・ガイドが。

来週は外来のクリニックだが、水曜から出ればよいので、4連休。水も買ったし、今日は堅めのパンとソーセージか何かを買い込むこととする。極寒なので、本当だったらホッカイロみたいのがあれば安心なのだが、まあ、電気&ガスが両方止まるような騒ぎは、まあないだろう。あいにく小児科病棟で、3つくらい同時に風邪を拾ってしまった感じなので、寒いのはなんとか避けられるとよい。

2009年1月17日土曜日

TLC

Tender Loving Care
日本語で言うムンテラと通ずるところがあるかもしれない?

2009年1月13日火曜日

欺瞞

病院の空気のどこが嫌か、といろいろ考えたのだが、一つには医者が尊大というか、take themselves too seriouslyしている度合いが平均して高いということ。確かに患者の病気はseriousだったりするのだが、それと向き合っているのは、まずは医者ではなくて患者なのである。

子供の病気と向き合う親御さんをみていると、真に病気と向き合う、ということのなんたるかが、特によくわかる気がする。それにひきかえ、医者は所詮は他人だし、深入りすれば深入りするほど、きっと自分がすり減っていく。特に「10分間診療」の時代には、そんなの、罷り通らないのかもしれないが、たとえ理想的な医療体制だったとしても、患者は一人ではないので、真正面からの体当たりは、本質的に、許されない。そこに人間として、心の溝というか、一種の欺瞞というかが生じる。でも、ここらへん、よくわからない。



さらにいえば、ある程度は尊大な面もなければ務まらない、というのもまさに正論かもしれない。いくら心の溝とか何とかいったって最終的には、人の裸をつつき回したり、とてもセンシチブな質問を何食わぬ顔して訊いたり、これは必要不可欠なのである。外科とかではさらに、治療目的の傷害に及ぶから、さらにこの傾向はひどいのかもしれない。

あるいは例えば今日なんか、糖尿の子とかもいるというのに病棟の朝食の配膳が何時間も遅れて、指導医が怒り心頭で電話していた。まあその指導医の怒りは、実をいうと芝居の面が強いし、この一件に関してはそうしないと事が運ばないという、アメリカの崩壊した医療・社会体制にも、問題があるのかもしれない。つまり、給食室の配膳係が、自分の仕事に誇りと責任を、持たない・持てない。いずれにせよ、看護婦さんがいくら電話しても、こないものはこない。指導医が電話をしたら、10分で、来た。このたぐいの話は、よく、ある。

だから、医者というのはある意味で尊大であることが、仕事の一環である気も、やっぱり、する。そこら辺、つくづく、よくわからない。

2009年1月10日土曜日

風邪気味

明日は休日の当直だというのに、風邪のひきはじめの模様。まあこんな時期に小児科を回るのがそもそもいけないのだが、まあ見事に嵌ってしまった。実をいうといけないのだが、インフルエンザの予防接種も受け損ねている。

研究の方の締め切りがあるのだがそれは無視して今日はだから思い切って休んでしまった。

あと再来週あたまのオバマ就任式に向けて、水や日持ちのする食料を買い込む。いざというときには一週間や二週間は家から出なくても生き延びることができるように。人口60万人のワシントンDC特別区に、600万人の人が押し寄せるのだというから、どんな混乱が起きても不思議はない。自動車も燃料を満タンにしておいたが、きっと何か起きたら軽登山リュックの方が役に立つであろう。

It's what's between the ears that matters most...

「聴診器なんて、結構安くたって、大丈夫なんだよね。」
中国製の安いのでも、チューブを切って短くすると、よく聞こえるという。
「普通の聴診器はね、このチューブが長いでしょ。患者が怖くて、近づきたくないってことなんだろうね。」
まあ確かに、精密機器かと聞かれると、疑問ではある。

2009年1月8日木曜日

Granola Mother

子供のことでhypochondria気味になる母親のことを、granola motherというそうだ(Granolaというのは雑穀系のシリアルみたいので、健康的なおやつとされる)。病院食は有機野菜ではないし、予防接種だって何が入っているかわかりゃしない。

2009年1月6日火曜日

初日当直

月曜日小児科に出頭して、急に、そのまま当直になってしまった。まあ家が近いのでさっとものを取りに帰ることはできたのですが。

でも最終的には運がよかった、というのは、引き継ぎの患者を受け持たずに新患だけで済んだので、担当している患者の一部始終をチームで僕が一番詳しく知っている、という立場になったからだ。一緒に回っている3年生は家族持ちとかなので、急な当直が大変だからと僕が引き受けたわけだが、彼らは既に入院している患者の分厚い過去の入院記録と格闘していて、しかもチームの上の人は皆すでにその患者さんを知っているという、きつい立場だった。よって、急な当直も、悪い話ではなかった。あと、一緒にやっていたインターンがとても優しくて、未明に、担当になった新患の症状についてポイントを教えてくれたので、朝の回診も実になめらかにうまくいった。

あと、この前に内科を回っていて、本当によかったと思う。というのも、SOAPプレゼンや診察のポイントをそれなりに仕込まれているから。今まで外科などを回っていて内科がまだの同級生は、回診時なれずに、プレゼンなどあたふたしていてかわいそうだった。たとえばRSV肺炎疑いの子で、きちんとpulmonaryの所見がとれていなかったり。

外科を回ると、また別のことを教えてもらえるのだろう。たとえば噂では、聴診器に手を触れずにCTABとかRRRとかがわかる、秘伝の診断法を伝授してもらえるらしい。

2009年1月5日月曜日

あけましておめでとうございます

本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。



今年の抱負としては、要領を少しよくして生活の無駄を切り詰めることにより、病院と同時に研究をしていても体にそこまで無理がこないようにすることです。夏場まではずっと病院ですが、それ以降は、比較的暇なメディカルスクール4年なので、久しぶりに腰を据えて実験をする時間もとれそうで、それが楽しみ。



一昨日の晩アメリカに帰国したのが、未明に目が覚めてしまった。あと5時間後には、小児科に出頭しなくてはならないのに。今週一週間、正念場となりそうだ。Caffeine錠剤でも買い込まないと、派手に居眠りをしてしまいそう。