2007年6月23日土曜日

脳科学研究医への道(6) Breakout Session、総括

最後のセッションは15人程度のグループに分かれて、2,3人ずつの偉い先生と少人数の話し合いとなった。細かい話はいろいろあってメモもしたが、とにかく、よいmentorの重要性がしきりに強調されていた。ある研究室にいく場合は、そこの卒業生の行き先を調べ、電話のアポを取って、電話口で本音を聞きだせ。その研究室の卒業生で学問に残っている全員に対してそれをやったって、やりすぎではない、とかいっていた。



2日間にわたる、セッションを通して共通するメッセージは、以下の感じであろうか。

  • MD/PhD課程の学生。ここまで来たのだから、途中で諦念しない限りは、君らはsurviveし、成功できるのだ。

  • 私たち、毎日、楽しくて、仕事(研究室&病棟)に、行きたくて、しょうがない(ことがほとんど)。こんないい生活はない。

  • 脳科学という学問の推移のうえでも、社会の神経内科に対する需要から見ても、研究医に対する社会・研究界の需要から見ても、全てにおいて、君らの神経内科・脳科学研究医としての未来は、限りなくバラ色に近い。




大学院生活が3年も続き、それが科研費の大削減と交差した。また、Georgetownでは一線で臨床と研究を組み合わせているような、dynamicな研究医がほとんどいない。それで研究医というキャリアパスに対して、大分、意識が薄れていたところで、ちょうどいいワークショップであった。鶏頭牛後とはいうが、鶏はアタマがついていたって切ったって、グルグル走り回る。やはり、ある先生に助言してもらったように、優秀な他人の勢いを借りるような自己研鑽が、しかも、僕と類似するキャリアパスに向かっている人の多いところに身を置くことが、必要なのであろう。

これから一年間、ドイツで研究員生活を送ってから、メディカルスクールに戻ることになったが、あちらは堅気のneuroscientistsの集団ではあるようだが、同時に、日本の古い大学にも感じられるような、若いdynamismを絞め殺すような空気が漂っている可能性も感じた。定期的に活気ある刺激を持つよう、策を練らねばなるまい。時々そういう活気のあるところに顔を出すようにしようか。

脳科学研究医への道(5) 家庭生活との両立

これも強調されていた。

参加者は7割方が女性のような印象であったが、特に、女性が研究医としてどう生きるか、ということを中心とした、inspirational talkがあり、とても面白かったのでメモをまとめておく。演者は、神経内科研究医のEva Feldman女史。



Seven Principles to Being a Physician:Scientist:Parent:Spouse
よい医師兼、科学者兼、親兼、伴侶であるための7つの指標

  1. Be proactive. 学問の中でも、私生活でも、とにかく積極的にいろいろ働きかけてやってみる。
  2. Begin with the end in mind. 常に、自分に大切なもの、最終的に行き着きたいところを見失わない。
  3. Put first things first. 優先順位をはっきりさせる。
  4. Think win/win. かかわった人々がみな得をするような結果を考える。これ、意外とできることだ、とのこと。
  5. Seek first to understand, then to be understood. 忙しいから、ちょっと無謀な生き方をしているから、いろいろな人の助けを借りることになる。その人たちの必要とするものをもよく認知すること。
  6. Synergize. 複数用途をこなせるように、いろいろな活動を組み立てる。子供に教育兼実験を手伝わせる、家族旅行兼学会、など。
  7. Keep balance in your life. 常に、偏らないように気を払わねばならない。

脳科学研究医への道(4) キャリアの資金計画

研究医になるまでに取れる、いろいろな科研費などの話。面倒くさいから詳細は省く。

一点だけメモ。研修を終えてからポスドクを行うとしよう 1。ごく普通の科研費(R01)でもたとえば、ボスが申請すれば、通常の科研費に上乗せしたadministrative supplementとして、研究医の給料が高い分だけ、役人の一存で科研費の支給額を追加できるらしい。それだけNIHは研究医を切望しているとのこと。

ところで、参加していたNINDSのtraining担当(各種の大学への補助金、個人奨学金、若手科研費など)に、終了後、NIHのお金があたったら日本などに持ち帰ることはできるか、と質問した。調べないと分からないが、多分ダメだろう、という。そういう動き方をしたいのなら、Human Frontierのような、国際的なお金じゃないかな、と。まあそれは当然なのだが、もしもこの研究医へのパスを順当に進むのであれば、アメリカで骨を埋める、とまではゆかなくとも、独り立ちしてキャリアが安定する40前後までは、日本には戻れない、ということであろう。





1. 研究医は研修後、2年程度ポスドクを行ってから独立して自分の研究室を持つのが標準的、かつ賢明なコースであろうとのこと。フツーのPhDたちが5年とか10年とかポスドクをやっているのに惑わされないように、とのこと。

脳科学研究医への道(3) 神経内科の研究医ほどいい商売はない

前回の投稿からだいぶたってしまいました。博士審査を無事終え、一年間の予定でドイツに渡り、研究もちょうどセットアップが終わって軌道に乗ってきたところです(2007.8.8記)。ここ数日で、この講習会の記事は書き終えたいと思います。



Dr. Bruce R. Ransom(University of Washington大学神経内科教授・学科長)

曰く。Clinician scientistというのは、不治の病。Scienceとmedicineと、毎日のようにどちらが楽しいか決めかねて、一生迷い続ける道なんだ。研究室に出るとやっぱりscienceはいいし、臨床に出るとそれはそれでかけがえのない生き甲斐を与えてくれる。だから迷い続けるけれど、どう考えたって、神経内科の研究医ほどいい商売はない。

そして、君らの時代は神経内科の黄金時代。徐々に精神科の領域も脳疾患として取り扱うことができるようになり、そちらの方面にも合流して神経内科は活躍している。と同時にしかし、神経内科のclinician scientistは高齢化がはなはだしく、これから減少傾向。よって君らは、大いに歓待される立場にあるのだ。NIHでもこれは重要な課題のひとつで、たとえば科研費から落とせるclinician scientistの公定給は、PhDの給与に毛が生えた程度の現行から、臨床家なみに引き上げて、臨床と基礎をつなぐ研究者をひきつけようとする動きなどがある。

成功の秘訣
  • よいmentorを見つける
  • よい共同研究者を見つける
  • 論文・NIH科研費・財団科研費・奨学金。Write often, write well(多く書け、そして上手く書け)。
  • Gentleにだが、自己アピールを欠かさない
  • くだらない学部政治と距離を置け。君らはeliteなのだから、素知らぬ顔で仙人のようにしていても大丈夫なのだ。
  • Have fun(Have funすることを忘れないように)




Dr. John W. Griffin(Johns Hopkins大学神経内科教授)

いわく、研究のテクニックがscienceを支配している時代は終わった。自分の時代は、ある実験手法を習得したらそれで一生、研究者として食っていけた。その時代はPhDだけで実験の腕を磨くことにすべての時間を費やせる人たちに比べ、MDのトレーニングもうけたclinician scientistは、時間的ロスから、ハンデすらあった。

でもいまはたくさんの実験手法が成熟期に達しているから、それを生物学的・病理学的な問題に対して自在に駆使するscienceが必要だ。そして、そのスタイルのサイエンスは、clinician scientistの博識と経験を必要としている...

言わんとすることはわからなくもないが、比較的かたぎの実験屋を目指す僕としては、むしろ、いろいろな実験手法を自在に駆使するためには、それぞれについて習得しなければいけないから、さらにハードルが高いのではないか?と思う。オフィスに鎮座して実験室には出ずに、実験屋のポスドクたちをこき使う、そんな偉いタイプの頭でっかちな「clinician scientist」にはなりたくない。そこからは面白いストーリーはたくさん出てくるかもしれないが、50年後も教科書に載っているような研究はできまい。

そのほかメモ
  • Neurocritical care(集中治療室)などは、現在麻酔科が手を引きつつあって、神経内科が入ってきている。だから、神経内科として行えるタイプの医療は広がる一方で、ますます面白い。
  • 人生設計を考えると、奥さんの収入が多ければ多いほどよい。
  • 君らは赤いカーペットを歩いている。Push for what you need。必要なものはきっと、どこかから出てくる。
  • Residencyを耐え抜いたら、あとは何でもできる。You can do everything, but not at the same time。
  • Residencyの先を選ぶにあたっては、まずは現在そこで研修しているresidentたちとのcultural fitを見るべきだ。そして、著名だが落ち目のところよりも、昇り調子のところを選べ。大学の医師たちは現在のランキングばかりに目を取られて、そこら辺が見えていないことも多いので、アドバイスを受けるときはそこらへん要注意。
  • 時は金なり

2007年6月22日金曜日

脳科学研究医への道(2) Submarine Neurologist

一年中ほとんど研究室に籠もっていて、年に一回だけ1ヶ月程度、「浮上」して病棟に姿を現す指導医(研究医)を、「潜水艦」と呼ぶらしい。

セミナーの最初の講演は、若手の神経内科研究医によるもので、「最近は潜水艦神経内科医は不可能だと思われがちだが、そんなことはない、ぼくがその好例だ」とのこと。しかも研究医の王道である、専門外来を見る専門医ではなく、一般内科の病棟を担当するという。

研究が直接臨床につながるものであれば、専門医として週1くらいで専門外来に出て、残りは研究室、という王道ももちろん良い。しかし、その先生の研究分野は必ずしも特定疾患と直接的・密接に結びついたものではないため、年に1ヶ月だけ一般神経内科の外来をして、残りは研究室で過ごすという。その1ヶ月は研究のアイディアやモチベーションにはなるが、自分は研究が楽しいし、臨床は年に1ヶ月でたくさんだ、という。

もちろん、特定疾患の専門医として特化することが王道ではあるが、それには、いくつかの弊害があるという。たとえば、人事の異動で同じ病院内のその疾患の専門家が他所に移ると、穴の空いた専門外来を引き受けるようにプレッシャーがかかりやすい、らしい。ところが一般の神経内科だとできる人も多く、比較的人事の融通かきくから、たとえば「年に1ヶ月以上は病棟に出たくない」、といった主張が通りやすいのだそうだ。

こういう研究医のあり方が今時分もまだ可能だとは知らなかったため、有意義な講演であった。



そのほか、神経内科研究医のキャリアのポイント

  • 神経解剖は超重要

  • 臨床研修が終わった頃、または終わる直前に、Woods HoleやCold Spring Harborなどの夏期集中講座で、研修中に衰えた実験の腕をまた磨き、博士の研究とは異なった実験分野についても習得する

  • 医学生として、臨床研修を希望する科(神経内科)を回る際には、必ずAを取るように人一倍努力する

  • 医学生として病棟を回る際には、まず、「その科に進むことを強く考えている」、という意思表示をすること。そうすると、待遇や成績評価が良くなるし、より多くのことを教えてくれる。

  • 医学生として病棟を回る際には、その病棟で1週間が過ぎた時点で指導医を捕まえ、どういう点を改善したらよいか素直に訊く

  • 研修病院を決定する際は、あらゆる人にアドバイスを聞く。その際には、自分の弱点を含め、包み隠さず全てを話す。

  • 自分の出身校の研修には必ず出願する。そうすると、その科のローテーションの成績評価が良くなったりするし、滑り止めにもなる。どうしても出身校が嫌な場合は、出願だけしておいて最後にマッチのランクをつけなければよいだけだ。

脳科学研究医への道(1) はじめに

AUPN/ANA/NINDS
Medical Students Mentoring Workshop:
How to Combine Clinical and Research Careers in Neuroscience


1日半のセミナーに参加したので、メモを残しておきます。

このセミナーはNIHや神経内科学会などの後押しで、主にMD/PhD課程の学生を対象としており、選抜者は旅費・宿泊費無料で参加し、脳科学関連の研究医へのキャリアパスのありかたを考えてゆくというもの。毎年開催されて今回、3回目だという。参加者は全国の有名大学から集まった。開催側は有名大学の神経内科部長や、NINDSの所長、神経内科教授協会の長など、大物揃い。皆この催しに対しては相当本気らしい。



開会の挨拶で、University of Washingtonの神経内科部長で研究医のBruce Ransom氏が挨拶をしたが、そのなかで印象に残った言葉として、
If you don't know where you're going, any path will take you there...

というのがあった。要するに、「何がやりたいか分からないでいると、何をやっても何にもならない」といった位の意味だ。この会は、君らに神経内科・脳科学の研究医というキャリアを、一つの選択肢としてしっかり意識してもらうことが目標である、と。



その後の晩餐会では、ちょうどNINDS所長のStory Landis女史と同席したので、いろいろな話しを聞くことができた。氏は研究の一線は退いてもう大分するものの、政府の神経科学研究関連のトップ官僚として、ウルトラ・プロフェッショナルの実力が感じられた。たとえばどこで誰がどういう研究をしているか、あるいは研究費を支出している各疾患のprevalenceなどといったことに対して恐ろしい博識ぶりであった。

彼女によると、議会や患者団体からは特定疾患への支出を求められるが、scienceはそういう風に前進するものではないし、それを認めだすとなし崩し的に学問の自治が失われるため、基本科研費であるR01(個人が申請する、5年で1億円は超えない程度の科研費)においては特定疾患を大幅に優遇したりはせず、審査会の点数が一定以上にならなければ絶対に金は出さないそうだ。また、最近ぼくはNIHやアメリカの研究予算に対しては悲観的だが、それについてもすごく説得力のある反論をしており、また、あなた方研究医の卵達は将来のneuroscienceを支えるエリートなのだから、心配には及ばない、という意味のことをいっていた。