2009年5月29日金曜日

総力戦

Medical Schoolは総力戦である。病棟実習とは、いかに能力があるように見せかけることだが、それは、pimpingのような直接的な医学知識だけではない。ちょっとした雑談に、知性を感じさせなければならないというのは、アメリカ社会の知識階級全般にいえることだが、優等生集団たる病院社会においては、特に顕著である。

だが、科によって・指導医によっては、野球とか流行歌とか、そういうlow browな科だってある。僕自身全く興味がないので、一番困る。特に外科系。

かといって、この間は整形外科の手術の途中で突然、膝関節の力学に関するpimpingからザビエルの東方宣教に転じて、びっくりさせられたりもする。(その指導医カソリックで海軍医として横須賀にいたことがあって、そんな話から突然広がったのだが。)偶然、ザビエル来航の1549年も覚えていたし、キリシタン史については若干の知識があるので、実際に執刀しているレジデントを手伝いながらも5分ほどのミニ講義をして、ポイントアップ。膝のQ角などに関連したpimpingでちょっと苦戦していたのも、そんなこんなで歩行の物理学から逃れることができ、次の医学的話題に転じて名誉挽回。そんな感じで手術中ずっと絶え間なく指導医とやりとりしていたのだが、このバトルの横で黙々と執刀していたレジデントがあとでびっくりして「you did really well today」というほど、確かに目まぐるしかった。

現在は眼科。レジデントの回診を手伝ったあとで一緒に昼ご飯を食べていたら、結婚生活に関する雑談になって、そのレジデントがヨハネ・クリュソストモスという教父の結婚論について話し出したのだが、そのレジデントがエジプト系であることから、「おたくはコプト教ですか?」と話を進めることができた。まあここまでヒントが出れば当然図星なのだが、「ああそうなんだよ、いろいろよく知っているね」と、嬉しそうだった。そこから東方教会の話題に進んだのだが、以前知人から聞きかじった話などで話の腰を折らない程度には話題に参加できた。

ヨーロッパの知識階級では、こういう総力戦による人となりの判別はさらに熾烈であるのだが、晩夏にドイツに戻ると、今度は向こうの脳外科と共同研究をすることになっている。最近は少し時間もあるので、医学書や脳科学以外もまた少し読んで懐を広げたいような気分になってきた。

Euboxic medicine

Cover pictureWho has seen a blood sugar?--Reflections on medical education
Frank Davidoff

[www.amazon.co.jp]


患者のカルテの検査値欄(box)が正しく埋まっていて、すべて正常である状態を、euboxiaと揶揄する。Euthyroid-Hyperthyroid-Hypothyroidとか、そういう語法。Euboxic medicineとはつまり、検査値をすべて正常化することが最終目的の医療。

ところが検査値が正常でも、死んでしまうものは、死んでしまう。またそもそも検査値が異常である、というのは本来病態の指標にすぎないわけで、異常な検査値を無理矢理正常化させれば病態が改善する、という因果関係は必ずしも成立しない。

たとえば、カルシウムとリン濃度の積は、末期腎不全の予後を予想する「box」として、疫学的に確立されている。カルシウムとリンが両方高いと、末梢血管の石灰化が起きるというイメージ。ところがこれを元に、Ca x Pの値を下げ55以下に下げるよう治療せよ、というeuboxic medicine的な学会のguidelineがある。だが実をいうと血管内の石灰化は単純な2次沈殿反応ではないので、このCa x Pには実をいうと病理学的な根拠はなく、数値としてこの値を下げることは、輪をかけて意味がない。

医学は意外と、こんなことが多い。原因と結果をはき違えて、指標としての数字を正常化させることに意義を感じてしまったりする。「指標を正常化させることに意味があるかどうか」というのは、実をいうと「指標が有効であるかどうか」とは、全く別次元の問題なのではあるが。



最近、一般外科も終わって、ちょっとものを読んだりする時間がある。冒頭で紹介したエッセー集のなかでも印象に残るエッセーが、表題としてとられている「Who has seen a blood sugar?」。上記のeuboxic医療について考察したものだ。その中で、医学教育の本質を実に的確に捉えていると思ったのが、医学教育を<目には見えない概念についてのmental modelを形成する過程>と定義していることにある。解剖にしたって、生理にしたって、生化学や薬学にしたって、病理学にしたって、目には見えない抽象概念について膨大な図版や記号や実体験を用いて膨大な連想の網を形作る。これこそ、医学教育の本質であり、通過儀礼を受けていないものには、いくらインターネットで調べてもなかなか近づけない境地なのである。

だが一方でその落とし穴として、連想ゲームの記号を本物と勘違いしてしまう、それこそ、euboxic医療なのであろう。

2009年5月25日月曜日

Fraternity

整形外科の2週間はあっという間に過ぎてしまった。それにしても、体育会系というのか、Fraternityチックなのは、どこの国でも同じようなものかもしれない。しかも、膝などの人工関節や脊椎などの補強で、大収益事業。外来にしても病棟にしても、病院の一等地を閉めている。

まあおもしろいはおもしろいのだが、大工さんのような側面もあって、また違った医療の一種といえよう。また骨なんていうのは、相当力をかけても、ふつうは折れたりはしないのだというのがわかった。

2009年5月19日火曜日

卒業式

先週末は、上の学年の卒業式であった。不思議な気分である。

メディカルスクールに一緒に入学した同級生が卒業した2006年、卒業式に顔を出したが、さして不思議な気分であった記憶はない。その当時は博士のまっただ中で、他人の卒業式などかまっていられない、というのと、その時点ではまだ自らの卒業が全くイメージできなかった、というのが大きいのかもしれない。

しかし、今年は実に不思議な気分である。卒業式には参加しなかったが、何人か、卒業パーティーに行ってきた。でいよいよ最終学年であるという実感とともに、右も左もわからなかった1年前に比べ、病院の仕組みや将来もし仮に臨床に携わった場合のイメージなどがはっきりとつかめてきたこともあり、来年の夏あたりには医師として診療に携わる立場になりうるという実感が、沸々とわいてきた。その上、この先キャリアをどうしていこうか、ということも、またひとしきり考えなくもない。



まあ来年夏から1年間は、またドイツでの研究が決まっている。おそらく一番順当なのは、その後1年間だけ研修して免許取得、なのだろう。でも、実をいうと小児科とかだと、うまくやると2年で全研修を終了して小児科認定医、という抜け道があるのだ。ただ、2年もドイツを離れると、ドイツはいったん、完全に店じまいということになろう。いろいろと中長期的に実りのありそうなプロジェクトが仕込んであるので、悩みどころではある。1年だけの研修なら、片足を残しておける。

一方で、うまい具合にアメリカのいいところの小児科に足がかりを作ると、そこに居着くという可能性だって開けなくもない。小児科は研究が不足しているので、立場は比較的確保しやすいと考えられる。ただこの先、アメリカの研究は中長期的に凋落することが予想されるので、いくらいい病院でも、アメリカに足がかりを作ることの意味は、どれほどのものであろうか。基礎研究で世界的にいえば、免許さえ取っていれば、アメリカの認定医であろうがなかろうが、大勢に影響はない。また、仮に仮に、ドイツや日本で臨床に携わりたいとなっても、アメリカの認定医にどれほどの意味があるかは、疑問がある。



先日一瞬、MPH(公衆衛生の学位)をとったらどうだろうか、などと考えたりした。お金と時間とエネルギーさえあれば、オンラインでHopkinsとか結構いいところのMPHが取得できる。

表面的な理由はというと、
  1. 脳の医療で重要なのは対症療法よりは予防、脳の病気なんていうのは、いったんなってしまってからではどうにもならないものがほとんどである。肝臓とか腎臓とかのような単純な組織ではないから、ちょっと移植したり幹細胞を注射してあげれば機能が復活する、という希望は、皆無に近い。組織構造が複雑で細胞の種類も多いので、特異的に効く特効薬、というのもほとんどあり得ない。
  2. 脳科学というのは、工学系の人が多いが、実をいうと脳科学は生物学中の生物学であり、<複雑な脳細胞の「人口集団」を、精度・確度の低い実験方法で「調査」して、調査方法の問題をなるべくかいくぐりながら「統計」で無理矢理話をつける>という側面がある。その意味では、公衆衛生の学問観に学ぶべきところがあるような気がしてならない。
  3. MPHがあれば、たとえ認定医研修を終えていなくても、医学の世界で肩身が狭いようなことはないのではないか、という考え。

でも、これは一種の精神病理ともとれる。いつまでも卒業したくないモラトリアム症候群。あるいは、名前の後に学位をたくさん並べたいという、ナルシシズム。まあおそらく、大学院の学位は2つでもう十分。3つめなんてキチガイじみたことは、おそらくなかろう。

2009年5月18日月曜日

疲れ?

下着の前後はき違え。先週なんて、左右違う革靴で病院に出てしまった(幸いどちらも茶色でほとんど違わないので、気づいた人は1人だけ)。あと1ヶ月で短い夏休みだが、長い1年の疲れ、待ちきれない感じでもある。

2009年5月16日土曜日

He has no idea what he's doing...

移植臓器の採取というのは、実に不思議な現場である。

まず時間帯。日中に家族への告知などが行われるため、臓器の採取は通常、夜間~深夜にずれ込む。

そして顔ぶれ。臓器は患者ごとに優先順位により割り振られるので、基本的には臓器の当たった患者が治療を受けている病院が、臓器採取現場に出向く。通常は一献体あたり、肝臓、腎臓、と場合によって肺・心臓・膵臓・腸管などが、別々の患者に移植されるから、脳死者の出た病院には、一帯の移植センターから、複数の移植チームが集合するのだ。

そして手順。要するに、脳死者の血流を一気に冷たい細胞内溶液のような組成の環流液で置換して、一気に体をシャットダウンする。実験動物の血流を固定液で環流する手順と、ほとんど代わりがないので、最初の採取に出向いたときなどは、妙に既視感があった。対象がヒトである(ヒトであった?)という違いを除いては。あと、固定液による筋硬直が起きないので、術野だけに注目していて心臓などのモニターに注意を払わないと、何が起きたのか、にわかにはわからない。



先日の採取は、ニューヨークの有名病院から心臓を取りに来ていた。ほかの臓器チームは移植フェローや勤務医が来ているというのに、その有名病院だけ、何年目だかわからないレジデントが来た。しかも、移植なんて普通、医学生はオマケの見学retractorなのだが、そのニューヨークのチーム、なんと医学生が前立ちで心臓を摘出しようというのだ。その時点からして回りは不審な眼差しなのだし、しかもその研修医、いかにも手際が悪い。全く何をすべきかわかってはいるようだが、いかにも見ていて手慣れない。

で、回りの眼差しを感じ始めたら、そのレジデント、緊張してきたみたいでさらに手が震え出す。挙げ句の果てに、うちの移植フェローが肝臓の準備と環流の準備を全て終えても、まだなにやら心膜だかと格闘している。(心臓は解剖学的には比較的独立している。また心臓外科はスピードが特に重要なので、普通心臓をさわる人は上手で速い。だから肝臓よりも心臓の方が手こずるなんてことは、通常、あり得ない。)

で環流の準備が全て整った時点で、「待ってくれ」と言い出す。どうやら、ニューヨークの病院で、臓器受け入れ患者の準備ができていないらしい。確かに心臓は虚血時間に一番弱いので(4時間とか?)、特に飛行機で来ていたりするとそこら辺の手はずは最重要である。が、ここまできて、回りは「こいつ何者ぞ」という不審感があるし、回りの年長者に対して緊張感からか虚勢を張って、空回りをしている。

しかも、時は朝の4時半。環流時間を5時半まで待ってくれ、というのだが、ほかの人たちにだって都合はある。ただでさえ朝の通常オペは中止だというのに、勝手な準備不足で1時間も何もせずに待てというのは、あまりに理不尽。しかも、ワシントンのラッシュを、全く考慮に入れていない。5時にこの病院を出たら、郊外の空港には間違いなく6時前につける。6時にてたら、どう転んでも7時半どころの騒ぎではない。交通渋滞の中で、せっかくの心臓が死んでしまうこと必死である。このラッシュ事情を、一番年長のコージネーターの移植医が説明するも、レジデント君、飲み込みが悪い。全ては自分の思い通りに行くのだという先入観がある様子。

まあとにかく、採取は無事終わった。心臓から最初に採取するのだが、そのニューヨークの心臓チームがオペを出て臓器の採取の危急な局面が終わるや、すぐに他のチームから、ボソッ、ボソッと、とんでもない悪口雑言が漏れ出したことは、いうまでもない。

2009年5月10日日曜日

This is so past my bedtime...

やっと一般外科の2ヶ月が終了。次は専門外科で、整形、眼科、脳外を回ることになっている。整形はオペ中のpimpが激しくて大変だというから、筋肉の解剖や神経を復習しないといけない。脳外は専門とも微妙に関係しているので恥ずかしい思いはしたくないし、侮れない。

とはいえ、昨日土曜日は仲間内で打ち上げバーベキュー。23:00頃になると外科を回っていた面々はだんだん眠くなってきて、ダウン。だってふつう、04:00とかに起きるんだしストレスも大変だから、みんな夜は21:00ころに寝る生活に、なっているのだ。日曜の今日は、勉強どころではない、二日酔い。まあお茶を飲みながら、ぼちぼち掃除など。

ただ日曜だというのに、明日の大教授回診に備えて、整形ローテーション学生4人で、15:00に病棟で待ち合わせということになっている。整形の入院患者すべてについて、学生の誰かがプレゼンしなければならないのだという。しかも、メモは禁止、全暗記。知りもしない患者の血液検査の結果を暗記するなんて、ちょっとクレージーだが、まあ、これも何かしらの意味で教育的なのだろう。内科でも全暗記のプレゼンを要求する指導医がいたが、それは検査の数が馬鹿にならないので、まあ整形なら、まだまだましだということに、しましょうか。

2009年5月7日木曜日

NPO since midnight

手術前の患者さんは絶食。患者さんの手術が午後に延びてしまって、「おなかすいた」と訴えることがある。

でも、外科を回っている医学生というのも、忙しく駆け回っていてずっと絶食だったりする。たとえば今日なんかは寝坊して、コーヒー一杯で病院に出て回診前の準備をして、そのまま朝の8時からずっと手術に入っていた。生体腎移植のドナー側摘出で本当は昼くらいには終わる予定だったのが、内臓脂肪が大変だったのと、以前の婦人科関連の手術の影響でadhesionがすごく、結局午後4時まで続いてしまった。

まあ、何も食べていなくても、意外と平気なものだ。

2009年5月4日月曜日

胆石

小腸移植の最後に、「ああそうだ」という感じでcholecystectomyをした。

移植外科の指導医が主にやったのだが、明らかにcholecystectomyは久しぶりと見えて、しかもこのattendingは途中でフラストレーションをためてしまうような人なので、最後はやけっぱちの乱暴。動脈をligateする前に胆嚢を肝臓からはがし始めるものだから、出血が中々止まらず、さらにフラストレーション(胆嚢は静脈がなく、proximal liverにdrainするわけ)。あまりよく見えないところにやけくそのように自動クリップをたくさん放り込む。そんなに乱暴にやって、間違えてright hepaticとか結んじゃったりしやしないか、と冷や冷やもの。ああでも、そうしたら、切り取ればいいのかな。あるいは今度は、肝移植すればいいだけか?冗談じゃない。

まあ確かに、小腸の血管anastomosesに気を遣ってあまりretractしなかったからfieldが今ひとつ、というのもあるのだろうけれども、それならそれで移植前に胆嚢をやればいいようなもの。こういう計画性のなさとフラストレーションによる乱暴さは、名人とはとてもいえない。そういえばこの指導医は、bedside mannerも最悪である。

まあでも、指導医が勝手にtemper tantrumを起こしている横で、じっくりと皿に取り出された胆嚢標本と胆石をいじくり回すことができたのは、良かった。確かに、堅いし、形状もNetter図譜の通りだ。割ると、何とか割れないこともないが、総じて、小動物の糞を黄緑色のmucoid油に浸したような触感。夜中に関連病院で行った小腸harvestから10時間近くほとんど立ちっぱなしだったので、最後のclosureのあたりとかあまり覚えていないが、胆石だけは、一生忘れまい。

2009年5月3日日曜日

Pimpee道の極意

だいぶ、pimpを受けるのも上手くなってきた。今日の休日回診では、指導医とのKabuki danceが我ながら上手く壺にはまったので、日記す。(アメリカでは型に嵌った所作を、Kabuki danceと呼ぶ)。



中年女性、総胆管嚢胞摘出後2年目(現在ローテーションしている移植外科は、部長先生がhepatobiliaryも時々やっている。)原因不明の1ヶ月にわたる右下腹部痛で、緩急はあるものの全体的に徐々に悪化しており、時として下痢を伴う。CTは盲腸から上行結腸に渡って、炎症反応陽性。白血球など、ちょっと高め。IBDの類については、スコープ含め陰性と診断されたばかりである。PSHはappendectomyだけ。

そこでいろいろな鑑別のdiscussionとなった。(ちなみに今日のattendingは移植外科で唯一、真人間。人がいいルイジアナのおっちゃんで、やたら外科史についてpimpするのが大好き。)

指導医
「Can a patient get appendicitis after appendectomy?」
(このleading questionの答えは当然「yes」なのだが、そう答えればいい、というものではない。指導医の意図は、appendectomy後でも場合によっては取り残しの部分中心に感染する可能性はある、という点を強調したいのだ。簡単に「yes」といってしまっては、pimpの腰を折ってしまう。)

K
「I would think that's HIGHLY unlikely.」
(↑このあたりがpimpee道の極意。正しい答えでありながら、指導医の意図を汲んでpimpの流れを阻まない。)

指導医
「Well, it does actually happen. I had a patient once... (一頻り、思い出話). OK, then what do you call inflammation of the cecum independent of the appendix?」
(↑Pimpの流れには起承転結があるのだが、思い出話だけではうまく一連の話がまとまらないので、最後に切り返し。)

K
「typhlitis」(運良くすぐ答えが口をついてでてきた)

指導医
「Good. And how would you treat?」

K
「Well, she isn't acute or immunosuppressed, we could just try her on some Flagyl.」
(↑きちんと、移植外科医なりの結びにつなげられるよう、誘導してあげなければならない。)

指導医
「OK, that's a reasonable thought. But you raise a good point, typhlitis is a serious problem in immunosuppressed... 云々」

There are only two kinds of medical students...

...those who write it down, and those who forget.

といわれて面白かったのを、メモ帳をみながら、思い出した。



このブログも、読み返すと、いろいろな体験が鮮明によみがえってくる。人生というのは、じっくり味わっているつもりでも、意外とあっさり忘却してしまうものなのだ。それを知っていたのだろう、Cro-Magnon人の洞窟壁画の昔から、ヒトは、日記/ブログを記してきた。

Peppermint Oil

薬局から送られて来るので、自動的に患者の処方薬リストを印刷すると、含まれてしまう、peppermint oil。どんな民間療法かと思ったら、単に、とても臭い病室の、におい消し。

2009年5月2日土曜日

Splatterの一日

一昨日は、朝6時に病院に行って、翌日の午後2時に帰るまで、3回、スプラッターの被害に遭ってしまった。

1回目はJackson-Pratt(術後の切開創から滲出液などを吸引する、drainの一種)の抜去時。インターンから抜くようにいわれた際、「飛び散らないようにしっかりガーゼで押さえるのを、忘れないようにね」と注意されていたのを、もう何度もやっているものだからハイハイと聞き流して油断していた。Scrubsと白衣に血潮が飛んで(血というよりはserosanguinousなのだが、その方が意外と色は鮮やか)、朝っぱらから着替え。あとで、インターンに会って報告したら「だからいわんこっちゃない」とばかりに笑われた。まあ、二度と同じ間違いは繰り返さないだろう。

2回目は臓器採取のドナー。大動脈カテーテル挿入の際に、派手に飛んだのに当たってしまった。心臓チーム2人肝臓チーム3人の計5人目、患者の一番足下の方に立っていたのだが、小腸を横に押さえていたので顔がちょっと中央の方に出ていて、運悪くそこまで飛んだ。マスクから首筋までスプラッタ、ガウンの正面は結構派手に染まった。しかも採取先の病院のORは安っぽいガウンしかおいておらず、しかもオペ看護婦が不慣れで首筋を緩くしめられたもので、首筋は直接当たってしまった。まあとりあえず、オペ看護婦にアルコール綿で拭いてもらって、続行。この病院はオペに全面face shield入りのマスクがおいていなかったので、もしももう少し派手に飛んでいたら、マスクを超えて鼻や眼鏡にも飛ぶところだった。

まあ臓器提供のドナーというのはいろいろ検査を受けていて、HIVとかウイルス肝炎はないし、別にこちらも傷口はないので全く心配ないのだが、それにしてもこういうときに、伊達めがねをしていてよかった、と思うのだ。術後着替えていたら、首筋からscrubsの中を、胸まで滴っていたようだ。疲労のあまり(当直中の未明であった)あまり気にはならなかったが、今から思うとあまり気持ちの良いようなものではない。まあ、丁寧に拭き取った。きっと、ラットのスプラッタに当たりすぎていて、感覚が麻痺しているのだろう。あと、解剖実習の時にはマスクとかちゃんとしないから、飛散した肉片が口に入ったこともあった。あれはさすがに気持ち悪かった。

3回目は採取した臓器の移植。朝の7時で、24時間仮眠だけで走り回っているのでもうフラフラ。よけたのに、完全にはよけきれなかった。門脈の再吻合の際にガウンの正面に当たってしまった。まあこれは、大学病院のちゃんとしたガウンで装備していたし、あたったのは胸より下のガウンだけだったので、たいしたことはない。でも、HIV患者だから、怖いといえば怖い。門脈というのは静脈のくせに、結構、血が入っていたりする。

He's in to bump his transplant status...

臓器移植が通常の高度医療の一環に組み込まれている現在、移植臓器不足はとても深刻で、多くの患者が臓器待ちの状態で死亡している。

移植臓器は、生体移植をのぞいては、全国ネットワークを通して提供されている。ドナーがお亡くなりになると、全国ネットワークの登録リストで、優先順位・待ち時間に応じて各臓器が割り振られ、臓器が当たった患者の移植チームが、車や飛行機などに乗って、死亡病院に出向いて臓器を回収する。(全国は何エリアかに分けられており、ワシントンDCの場合は通常、東海岸の中部に限られる)

そこで、移植リストの優先順位を高めようと、いろいろな画策が行われるわけだ。

たとえば、現行の小児肝臓移植リスト基準では、事実上、輸血を受けると、一番高いグレードに格上げされる。そこで、移植リスト対策の輸血入院が、全国で行われているのだそうだ。フェローによると、次の移植基準委員会できっとこのloopholeは改正されるだろうとの話だが、人間は必死になると、いろいろな抜け道を思いつくものだ。