2009年5月19日火曜日

卒業式

先週末は、上の学年の卒業式であった。不思議な気分である。

メディカルスクールに一緒に入学した同級生が卒業した2006年、卒業式に顔を出したが、さして不思議な気分であった記憶はない。その当時は博士のまっただ中で、他人の卒業式などかまっていられない、というのと、その時点ではまだ自らの卒業が全くイメージできなかった、というのが大きいのかもしれない。

しかし、今年は実に不思議な気分である。卒業式には参加しなかったが、何人か、卒業パーティーに行ってきた。でいよいよ最終学年であるという実感とともに、右も左もわからなかった1年前に比べ、病院の仕組みや将来もし仮に臨床に携わった場合のイメージなどがはっきりとつかめてきたこともあり、来年の夏あたりには医師として診療に携わる立場になりうるという実感が、沸々とわいてきた。その上、この先キャリアをどうしていこうか、ということも、またひとしきり考えなくもない。



まあ来年夏から1年間は、またドイツでの研究が決まっている。おそらく一番順当なのは、その後1年間だけ研修して免許取得、なのだろう。でも、実をいうと小児科とかだと、うまくやると2年で全研修を終了して小児科認定医、という抜け道があるのだ。ただ、2年もドイツを離れると、ドイツはいったん、完全に店じまいということになろう。いろいろと中長期的に実りのありそうなプロジェクトが仕込んであるので、悩みどころではある。1年だけの研修なら、片足を残しておける。

一方で、うまい具合にアメリカのいいところの小児科に足がかりを作ると、そこに居着くという可能性だって開けなくもない。小児科は研究が不足しているので、立場は比較的確保しやすいと考えられる。ただこの先、アメリカの研究は中長期的に凋落することが予想されるので、いくらいい病院でも、アメリカに足がかりを作ることの意味は、どれほどのものであろうか。基礎研究で世界的にいえば、免許さえ取っていれば、アメリカの認定医であろうがなかろうが、大勢に影響はない。また、仮に仮に、ドイツや日本で臨床に携わりたいとなっても、アメリカの認定医にどれほどの意味があるかは、疑問がある。



先日一瞬、MPH(公衆衛生の学位)をとったらどうだろうか、などと考えたりした。お金と時間とエネルギーさえあれば、オンラインでHopkinsとか結構いいところのMPHが取得できる。

表面的な理由はというと、
  1. 脳の医療で重要なのは対症療法よりは予防、脳の病気なんていうのは、いったんなってしまってからではどうにもならないものがほとんどである。肝臓とか腎臓とかのような単純な組織ではないから、ちょっと移植したり幹細胞を注射してあげれば機能が復活する、という希望は、皆無に近い。組織構造が複雑で細胞の種類も多いので、特異的に効く特効薬、というのもほとんどあり得ない。
  2. 脳科学というのは、工学系の人が多いが、実をいうと脳科学は生物学中の生物学であり、<複雑な脳細胞の「人口集団」を、精度・確度の低い実験方法で「調査」して、調査方法の問題をなるべくかいくぐりながら「統計」で無理矢理話をつける>という側面がある。その意味では、公衆衛生の学問観に学ぶべきところがあるような気がしてならない。
  3. MPHがあれば、たとえ認定医研修を終えていなくても、医学の世界で肩身が狭いようなことはないのではないか、という考え。

でも、これは一種の精神病理ともとれる。いつまでも卒業したくないモラトリアム症候群。あるいは、名前の後に学位をたくさん並べたいという、ナルシシズム。まあおそらく、大学院の学位は2つでもう十分。3つめなんてキチガイじみたことは、おそらくなかろう。

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