2009年5月29日金曜日

Euboxic medicine

Cover pictureWho has seen a blood sugar?--Reflections on medical education
Frank Davidoff

[www.amazon.co.jp]


患者のカルテの検査値欄(box)が正しく埋まっていて、すべて正常である状態を、euboxiaと揶揄する。Euthyroid-Hyperthyroid-Hypothyroidとか、そういう語法。Euboxic medicineとはつまり、検査値をすべて正常化することが最終目的の医療。

ところが検査値が正常でも、死んでしまうものは、死んでしまう。またそもそも検査値が異常である、というのは本来病態の指標にすぎないわけで、異常な検査値を無理矢理正常化させれば病態が改善する、という因果関係は必ずしも成立しない。

たとえば、カルシウムとリン濃度の積は、末期腎不全の予後を予想する「box」として、疫学的に確立されている。カルシウムとリンが両方高いと、末梢血管の石灰化が起きるというイメージ。ところがこれを元に、Ca x Pの値を下げ55以下に下げるよう治療せよ、というeuboxic medicine的な学会のguidelineがある。だが実をいうと血管内の石灰化は単純な2次沈殿反応ではないので、このCa x Pには実をいうと病理学的な根拠はなく、数値としてこの値を下げることは、輪をかけて意味がない。

医学は意外と、こんなことが多い。原因と結果をはき違えて、指標としての数字を正常化させることに意義を感じてしまったりする。「指標を正常化させることに意味があるかどうか」というのは、実をいうと「指標が有効であるかどうか」とは、全く別次元の問題なのではあるが。



最近、一般外科も終わって、ちょっとものを読んだりする時間がある。冒頭で紹介したエッセー集のなかでも印象に残るエッセーが、表題としてとられている「Who has seen a blood sugar?」。上記のeuboxic医療について考察したものだ。その中で、医学教育の本質を実に的確に捉えていると思ったのが、医学教育を<目には見えない概念についてのmental modelを形成する過程>と定義していることにある。解剖にしたって、生理にしたって、生化学や薬学にしたって、病理学にしたって、目には見えない抽象概念について膨大な図版や記号や実体験を用いて膨大な連想の網を形作る。これこそ、医学教育の本質であり、通過儀礼を受けていないものには、いくらインターネットで調べてもなかなか近づけない境地なのである。

だが一方でその落とし穴として、連想ゲームの記号を本物と勘違いしてしまう、それこそ、euboxic医療なのであろう。

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