2008年12月6日土曜日

Su hígado está muy enfermo...

(著注:本ブログは多分に脚色を含み、詳細は、現実の症例やできごととは対応しない。)

月末のチーム交替のどさくさで、レジデントから担当するように言われた、末期肝炎の南米労働者。栄養状態のあまりよくない所で育ったのか、小柄なのだが、体中まっ黄色で、おなかだけサンタクロース。いろいろお話をしていると、どうやら、妻子は国許に残して、出稼ぎに来ているらしい。景気も後退の折、出稼ぎ南米労働者のアル中は、とても多い模様。南米労働者なども住む地域のこの大病院は、まだ働いて3週目だが、このひとでもう3人目である。で、こっちの知人や国許の家族の電話番号が、思い出せないらしい。到底、退院できるような体でもないし。

一人、孤独に死にゆく彼にとって、破れかぶれのspanglishを話す日本人「先生」が、この世の唯一に近い会話相手ということに、なりかねない。チームの中でも、一番暇だし、ちょくちょく様子をのぞくのだが、一日中Univision(スペイン語チャンネル)を見たり、寝たりしている。

廊下でよく見かける、南米っぽい尼さんがいる。明日はこの患者さんに、chaplainコンサルトが欲しいか、聞いてみることとする。単語が足らないから、辞書を調べなくては。



少し前に骨髄の検査をやったあたりから、事態の深刻さについて理解し始めたらしい。まあ、穴の骨に14Gくらい(?つまり、コーヒーを掻き混ぜるストローもどきの太さ)のデカイ針を刺された日には、誰だって、そりゃたまらない。Kübler-Rossの段階で言うと、その検査あたりから「否認」を脱して、「もう、これは一生涯、二度と酒は口にしない」とかいっていた。まあつまり、「取引」というやつだろう。そして今朝の回診前の診察で、「新しい痛み、アルネ?」と聞いたときの答え、「El dolor está en mi corazón, doctor.(妻子に面目がたたない、ああ、今痛いのは、心ですよ、先生)」というのは、場合によっては「抑鬱」にあたるのかもしれない。しかしさすがはラテン系の人、病気で苦悶している最中でもさらっとそんなことが口から出てくるのだ。もちろん、冗談なんかじゃなく、本人は本気そのもの。



午後顔を出したら、すっとぼけた顔をして、「先生、どこが悪いんでしょうね、私の体」などと聞かれた。でも、肝臓という単語が思い浮かばない。「Liver」と英語で言って指差しても、よくわからないらしい。病院の世界にいると、体を外から指差しただけで、中の臓器や腹を切りあけたときの様子、画像検査で見る像、関連検査値など、膨大な連想ゲームなのだが、たしかに一般人に「ここ、ここ」とかいっても、あまり意味はないのかもしれない。「ちょっと待って」とナース・ステーションのネットで「hígado」と調べ、「Señor,あなた肝臓がとっても病んでいるアルネ」といったら、僕の発音を直しているのか、あるいは言葉の意味を反芻しているのか、神妙な面持ちで何回か丁寧に「hí-ga-do」と唱えたすえに、「フムフム」と得心した様子。「いや、酒っていうやつはね、1杯、2杯、すぐにバイバイなんだよね。ウム、この先、控えなければならん。」

「受容」しているんだか「受容」していないんだか。まあ「この先」が何日間であるか何週間であるかは、神のみぞ知る。でも、もちろん、「Señor、もう一生、no puede beberですよ、絶対。」

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