2009年1月13日火曜日

欺瞞

病院の空気のどこが嫌か、といろいろ考えたのだが、一つには医者が尊大というか、take themselves too seriouslyしている度合いが平均して高いということ。確かに患者の病気はseriousだったりするのだが、それと向き合っているのは、まずは医者ではなくて患者なのである。

子供の病気と向き合う親御さんをみていると、真に病気と向き合う、ということのなんたるかが、特によくわかる気がする。それにひきかえ、医者は所詮は他人だし、深入りすれば深入りするほど、きっと自分がすり減っていく。特に「10分間診療」の時代には、そんなの、罷り通らないのかもしれないが、たとえ理想的な医療体制だったとしても、患者は一人ではないので、真正面からの体当たりは、本質的に、許されない。そこに人間として、心の溝というか、一種の欺瞞というかが生じる。でも、ここらへん、よくわからない。



さらにいえば、ある程度は尊大な面もなければ務まらない、というのもまさに正論かもしれない。いくら心の溝とか何とかいったって最終的には、人の裸をつつき回したり、とてもセンシチブな質問を何食わぬ顔して訊いたり、これは必要不可欠なのである。外科とかではさらに、治療目的の傷害に及ぶから、さらにこの傾向はひどいのかもしれない。

あるいは例えば今日なんか、糖尿の子とかもいるというのに病棟の朝食の配膳が何時間も遅れて、指導医が怒り心頭で電話していた。まあその指導医の怒りは、実をいうと芝居の面が強いし、この一件に関してはそうしないと事が運ばないという、アメリカの崩壊した医療・社会体制にも、問題があるのかもしれない。つまり、給食室の配膳係が、自分の仕事に誇りと責任を、持たない・持てない。いずれにせよ、看護婦さんがいくら電話しても、こないものはこない。指導医が電話をしたら、10分で、来た。このたぐいの話は、よく、ある。

だから、医者というのはある意味で尊大であることが、仕事の一環である気も、やっぱり、する。そこら辺、つくづく、よくわからない。

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