2009年1月25日日曜日

アメリカ式Philanthropyの行き詰まり?

アメリカ保守社会には旧来から、金持ちが自分の意志で喜捨をし、社会の秩序を保つ、という理想がある。社会保障・慈善は政府中心ではなく、個人中心であるべきだ、と。事実、社会体制の整備や弱者救済政策を声高に叫ぶliberalよりも、laissez faireをむねとするconservativeの方が、慈善団体への献金率は高いそうだ。だが一方では、「ルイジアナで大水害、ではみんなでvolunteerにいこう」、といったnaiveteも否めない。

事実、ビル・ゲーツを筆頭にテク成金たちはこぞって、世界保健などに「投機的なphilanthropy」をする財団を設けている。だが先日大学できいたWHO幹部によるセミナーによると、そういう個人主義的なphilanthropyは国際保健の舞台で、若干の問題を引き起こしているというのだ。というのも、本来はバランスよく保健全般を支援しなくてはならないのに、個人財団などはどうしても、AIDSとかmalariaとかの特定疾患を集中的にターゲットしてしまい、短視眼的になってしまうのだそうだ。たとえば、抗AIDS薬に巨額が投入されている横で、単なる脱水で子供が死んでいく、とか、そういうたぐいのアンバランスが生じてしまうのだそうだ。

あと、個人財団はとかく、自前のスタッフと診療所を設けたがるが、それは、併存する地元の保健インフラを弱体化させる原因となりかねないそうだ。

Alma-Ata宣言以来、プライマリーケアを中心とした保険体制と社会周縁システムの整備が重要だ、ということは、世界保健の専門家に皆共通する同意であるそうだ。だから、そうした方針に、個人主義的philanthropicな財団をいかにして組み込んでいくか、というのが今後の課題だそうだ。

「Philanthropistは下手にfeel goodな散財をするのではなく、地道に活動しているWHOなどの世界機構に紐なしの献金をすべきだ」、という気もするのだが、金を出す側としてはそうもいかない心理は、わかる気はする。



そういえば、基礎研究の世界でも、疾患限定のお金が増えている。そういう短絡的な研究で、長期的な革新が阻まれているような気もするが、そうだとしたら、ここでも、アメリカン・パラダイムが崩壊を迎えているのかもしれない。

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