学校の図書館で新しい解剖学ソフトを契約したので、試用してみた。
Interactiveと銘打ってはいるものの、実際の画面はビットマップで、完全にInteractiveではない。ただ、ほとんどリアルタイムで実際の解剖のようにはがしていけるし、クリックすると説明が出てくる。まあこれは技術的には大して難しいことではないので、遠からず実現するだろう。なにより、実際の解剖とは違って、各部位がはっきりと見えるし(あるかないか疑わしいような神経を含め)、何より、臭くない。
外科実習に入る前にこれで一通り復習しようかと思う。
2007年8月27日月曜日
2007年6月23日土曜日
脳科学研究医への道(6) Breakout Session、総括
最後のセッションは15人程度のグループに分かれて、2,3人ずつの偉い先生と少人数の話し合いとなった。細かい話はいろいろあってメモもしたが、とにかく、よいmentorの重要性がしきりに強調されていた。ある研究室にいく場合は、そこの卒業生の行き先を調べ、電話のアポを取って、電話口で本音を聞きだせ。その研究室の卒業生で学問に残っている全員に対してそれをやったって、やりすぎではない、とかいっていた。
2日間にわたる、セッションを通して共通するメッセージは、以下の感じであろうか。
大学院生活が3年も続き、それが科研費の大削減と交差した。また、Georgetownでは一線で臨床と研究を組み合わせているような、dynamicな研究医がほとんどいない。それで研究医というキャリアパスに対して、大分、意識が薄れていたところで、ちょうどいいワークショップであった。鶏頭牛後とはいうが、鶏はアタマがついていたって切ったって、グルグル走り回る。やはり、ある先生に助言してもらったように、優秀な他人の勢いを借りるような自己研鑽が、しかも、僕と類似するキャリアパスに向かっている人の多いところに身を置くことが、必要なのであろう。
これから一年間、ドイツで研究員生活を送ってから、メディカルスクールに戻ることになったが、あちらは堅気のneuroscientistsの集団ではあるようだが、同時に、日本の古い大学にも感じられるような、若いdynamismを絞め殺すような空気が漂っている可能性も感じた。定期的に活気ある刺激を持つよう、策を練らねばなるまい。時々そういう活気のあるところに顔を出すようにしようか。
2日間にわたる、セッションを通して共通するメッセージは、以下の感じであろうか。
- MD/PhD課程の学生。ここまで来たのだから、途中で諦念しない限りは、君らはsurviveし、成功できるのだ。
- 私たち、毎日、楽しくて、仕事(研究室&病棟)に、行きたくて、しょうがない(ことがほとんど)。こんないい生活はない。
- 脳科学という学問の推移のうえでも、社会の神経内科に対する需要から見ても、研究医に対する社会・研究界の需要から見ても、全てにおいて、君らの神経内科・脳科学研究医としての未来は、限りなくバラ色に近い。
大学院生活が3年も続き、それが科研費の大削減と交差した。また、Georgetownでは一線で臨床と研究を組み合わせているような、dynamicな研究医がほとんどいない。それで研究医というキャリアパスに対して、大分、意識が薄れていたところで、ちょうどいいワークショップであった。鶏頭牛後とはいうが、鶏はアタマがついていたって切ったって、グルグル走り回る。やはり、ある先生に助言してもらったように、優秀な他人の勢いを借りるような自己研鑽が、しかも、僕と類似するキャリアパスに向かっている人の多いところに身を置くことが、必要なのであろう。
これから一年間、ドイツで研究員生活を送ってから、メディカルスクールに戻ることになったが、あちらは堅気のneuroscientistsの集団ではあるようだが、同時に、日本の古い大学にも感じられるような、若いdynamismを絞め殺すような空気が漂っている可能性も感じた。定期的に活気ある刺激を持つよう、策を練らねばなるまい。時々そういう活気のあるところに顔を出すようにしようか。
脳科学研究医への道(5) 家庭生活との両立
これも強調されていた。
参加者は7割方が女性のような印象であったが、特に、女性が研究医としてどう生きるか、ということを中心とした、inspirational talkがあり、とても面白かったのでメモをまとめておく。演者は、神経内科研究医のEva Feldman女史。
Seven Principles to Being a Physician:Scientist:Parent:Spouse
よい医師兼、科学者兼、親兼、伴侶であるための7つの指標
参加者は7割方が女性のような印象であったが、特に、女性が研究医としてどう生きるか、ということを中心とした、inspirational talkがあり、とても面白かったのでメモをまとめておく。演者は、神経内科研究医のEva Feldman女史。
Seven Principles to Being a Physician:Scientist:Parent:Spouse
よい医師兼、科学者兼、親兼、伴侶であるための7つの指標
- Be proactive. 学問の中でも、私生活でも、とにかく積極的にいろいろ働きかけてやってみる。
- Begin with the end in mind. 常に、自分に大切なもの、最終的に行き着きたいところを見失わない。
- Put first things first. 優先順位をはっきりさせる。
- Think win/win. かかわった人々がみな得をするような結果を考える。これ、意外とできることだ、とのこと。
- Seek first to understand, then to be understood. 忙しいから、ちょっと無謀な生き方をしているから、いろいろな人の助けを借りることになる。その人たちの必要とするものをもよく認知すること。
- Synergize. 複数用途をこなせるように、いろいろな活動を組み立てる。子供に教育兼実験を手伝わせる、家族旅行兼学会、など。
- Keep balance in your life. 常に、偏らないように気を払わねばならない。
脳科学研究医への道(4) キャリアの資金計画
研究医になるまでに取れる、いろいろな科研費などの話。面倒くさいから詳細は省く。
一点だけメモ。研修を終えてからポスドクを行うとしよう 1。ごく普通の科研費(R01)でもたとえば、ボスが申請すれば、通常の科研費に上乗せしたadministrative supplementとして、研究医の給料が高い分だけ、役人の一存で科研費の支給額を追加できるらしい。それだけNIHは研究医を切望しているとのこと。
ところで、参加していたNINDSのtraining担当(各種の大学への補助金、個人奨学金、若手科研費など)に、終了後、NIHのお金があたったら日本などに持ち帰ることはできるか、と質問した。調べないと分からないが、多分ダメだろう、という。そういう動き方をしたいのなら、Human Frontierのような、国際的なお金じゃないかな、と。まあそれは当然なのだが、もしもこの研究医へのパスを順当に進むのであれば、アメリカで骨を埋める、とまではゆかなくとも、独り立ちしてキャリアが安定する40前後までは、日本には戻れない、ということであろう。
1. 研究医は研修後、2年程度ポスドクを行ってから独立して自分の研究室を持つのが標準的、かつ賢明なコースであろうとのこと。フツーのPhDたちが5年とか10年とかポスドクをやっているのに惑わされないように、とのこと。
一点だけメモ。研修を終えてからポスドクを行うとしよう 1。ごく普通の科研費(R01)でもたとえば、ボスが申請すれば、通常の科研費に上乗せしたadministrative supplementとして、研究医の給料が高い分だけ、役人の一存で科研費の支給額を追加できるらしい。それだけNIHは研究医を切望しているとのこと。
ところで、参加していたNINDSのtraining担当(各種の大学への補助金、個人奨学金、若手科研費など)に、終了後、NIHのお金があたったら日本などに持ち帰ることはできるか、と質問した。調べないと分からないが、多分ダメだろう、という。そういう動き方をしたいのなら、Human Frontierのような、国際的なお金じゃないかな、と。まあそれは当然なのだが、もしもこの研究医へのパスを順当に進むのであれば、アメリカで骨を埋める、とまではゆかなくとも、独り立ちしてキャリアが安定する40前後までは、日本には戻れない、ということであろう。
1. 研究医は研修後、2年程度ポスドクを行ってから独立して自分の研究室を持つのが標準的、かつ賢明なコースであろうとのこと。フツーのPhDたちが5年とか10年とかポスドクをやっているのに惑わされないように、とのこと。
脳科学研究医への道(3) 神経内科の研究医ほどいい商売はない
前回の投稿からだいぶたってしまいました。博士審査を無事終え、一年間の予定でドイツに渡り、研究もちょうどセットアップが終わって軌道に乗ってきたところです(2007.8.8記)。ここ数日で、この講習会の記事は書き終えたいと思います。
Dr. Bruce R. Ransom(University of Washington大学神経内科教授・学科長)
曰く。Clinician scientistというのは、不治の病。Scienceとmedicineと、毎日のようにどちらが楽しいか決めかねて、一生迷い続ける道なんだ。研究室に出るとやっぱりscienceはいいし、臨床に出るとそれはそれでかけがえのない生き甲斐を与えてくれる。だから迷い続けるけれど、どう考えたって、神経内科の研究医ほどいい商売はない。
そして、君らの時代は神経内科の黄金時代。徐々に精神科の領域も脳疾患として取り扱うことができるようになり、そちらの方面にも合流して神経内科は活躍している。と同時にしかし、神経内科のclinician scientistは高齢化がはなはだしく、これから減少傾向。よって君らは、大いに歓待される立場にあるのだ。NIHでもこれは重要な課題のひとつで、たとえば科研費から落とせるclinician scientistの公定給は、PhDの給与に毛が生えた程度の現行から、臨床家なみに引き上げて、臨床と基礎をつなぐ研究者をひきつけようとする動きなどがある。
成功の秘訣
Dr. John W. Griffin(Johns Hopkins大学神経内科教授)
いわく、研究のテクニックがscienceを支配している時代は終わった。自分の時代は、ある実験手法を習得したらそれで一生、研究者として食っていけた。その時代はPhDだけで実験の腕を磨くことにすべての時間を費やせる人たちに比べ、MDのトレーニングもうけたclinician scientistは、時間的ロスから、ハンデすらあった。
でもいまはたくさんの実験手法が成熟期に達しているから、それを生物学的・病理学的な問題に対して自在に駆使するscienceが必要だ。そして、そのスタイルのサイエンスは、clinician scientistの博識と経験を必要としている...
言わんとすることはわからなくもないが、比較的かたぎの実験屋を目指す僕としては、むしろ、いろいろな実験手法を自在に駆使するためには、それぞれについて習得しなければいけないから、さらにハードルが高いのではないか?と思う。オフィスに鎮座して実験室には出ずに、実験屋のポスドクたちをこき使う、そんな偉いタイプの頭でっかちな「clinician scientist」にはなりたくない。そこからは面白いストーリーはたくさん出てくるかもしれないが、50年後も教科書に載っているような研究はできまい。
そのほかメモ
Dr. Bruce R. Ransom(University of Washington大学神経内科教授・学科長)
曰く。Clinician scientistというのは、不治の病。Scienceとmedicineと、毎日のようにどちらが楽しいか決めかねて、一生迷い続ける道なんだ。研究室に出るとやっぱりscienceはいいし、臨床に出るとそれはそれでかけがえのない生き甲斐を与えてくれる。だから迷い続けるけれど、どう考えたって、神経内科の研究医ほどいい商売はない。
そして、君らの時代は神経内科の黄金時代。徐々に精神科の領域も脳疾患として取り扱うことができるようになり、そちらの方面にも合流して神経内科は活躍している。と同時にしかし、神経内科のclinician scientistは高齢化がはなはだしく、これから減少傾向。よって君らは、大いに歓待される立場にあるのだ。NIHでもこれは重要な課題のひとつで、たとえば科研費から落とせるclinician scientistの公定給は、PhDの給与に毛が生えた程度の現行から、臨床家なみに引き上げて、臨床と基礎をつなぐ研究者をひきつけようとする動きなどがある。
成功の秘訣
- よいmentorを見つける
- よい共同研究者を見つける
- 論文・NIH科研費・財団科研費・奨学金。Write often, write well(多く書け、そして上手く書け)。
- Gentleにだが、自己アピールを欠かさない
- くだらない学部政治と距離を置け。君らはeliteなのだから、素知らぬ顔で仙人のようにしていても大丈夫なのだ。
- Have fun(Have funすることを忘れないように)
Dr. John W. Griffin(Johns Hopkins大学神経内科教授)
いわく、研究のテクニックがscienceを支配している時代は終わった。自分の時代は、ある実験手法を習得したらそれで一生、研究者として食っていけた。その時代はPhDだけで実験の腕を磨くことにすべての時間を費やせる人たちに比べ、MDのトレーニングもうけたclinician scientistは、時間的ロスから、ハンデすらあった。
でもいまはたくさんの実験手法が成熟期に達しているから、それを生物学的・病理学的な問題に対して自在に駆使するscienceが必要だ。そして、そのスタイルのサイエンスは、clinician scientistの博識と経験を必要としている...
言わんとすることはわからなくもないが、比較的かたぎの実験屋を目指す僕としては、むしろ、いろいろな実験手法を自在に駆使するためには、それぞれについて習得しなければいけないから、さらにハードルが高いのではないか?と思う。オフィスに鎮座して実験室には出ずに、実験屋のポスドクたちをこき使う、そんな偉いタイプの頭でっかちな「clinician scientist」にはなりたくない。そこからは面白いストーリーはたくさん出てくるかもしれないが、50年後も教科書に載っているような研究はできまい。
そのほかメモ
- Neurocritical care(集中治療室)などは、現在麻酔科が手を引きつつあって、神経内科が入ってきている。だから、神経内科として行えるタイプの医療は広がる一方で、ますます面白い。
- 人生設計を考えると、奥さんの収入が多ければ多いほどよい。
- 君らは赤いカーペットを歩いている。Push for what you need。必要なものはきっと、どこかから出てくる。
- Residencyを耐え抜いたら、あとは何でもできる。You can do everything, but not at the same time。
- Residencyの先を選ぶにあたっては、まずは現在そこで研修しているresidentたちとのcultural fitを見るべきだ。そして、著名だが落ち目のところよりも、昇り調子のところを選べ。大学の医師たちは現在のランキングばかりに目を取られて、そこら辺が見えていないことも多いので、アドバイスを受けるときはそこらへん要注意。
- 時は金なり
2007年6月22日金曜日
脳科学研究医への道(2) Submarine Neurologist
一年中ほとんど研究室に籠もっていて、年に一回だけ1ヶ月程度、「浮上」して病棟に姿を現す指導医(研究医)を、「潜水艦」と呼ぶらしい。
セミナーの最初の講演は、若手の神経内科研究医によるもので、「最近は潜水艦神経内科医は不可能だと思われがちだが、そんなことはない、ぼくがその好例だ」とのこと。しかも研究医の王道である、専門外来を見る専門医ではなく、一般内科の病棟を担当するという。
研究が直接臨床につながるものであれば、専門医として週1くらいで専門外来に出て、残りは研究室、という王道ももちろん良い。しかし、その先生の研究分野は必ずしも特定疾患と直接的・密接に結びついたものではないため、年に1ヶ月だけ一般神経内科の外来をして、残りは研究室で過ごすという。その1ヶ月は研究のアイディアやモチベーションにはなるが、自分は研究が楽しいし、臨床は年に1ヶ月でたくさんだ、という。
もちろん、特定疾患の専門医として特化することが王道ではあるが、それには、いくつかの弊害があるという。たとえば、人事の異動で同じ病院内のその疾患の専門家が他所に移ると、穴の空いた専門外来を引き受けるようにプレッシャーがかかりやすい、らしい。ところが一般の神経内科だとできる人も多く、比較的人事の融通かきくから、たとえば「年に1ヶ月以上は病棟に出たくない」、といった主張が通りやすいのだそうだ。
こういう研究医のあり方が今時分もまだ可能だとは知らなかったため、有意義な講演であった。
そのほか、神経内科研究医のキャリアのポイント
セミナーの最初の講演は、若手の神経内科研究医によるもので、「最近は潜水艦神経内科医は不可能だと思われがちだが、そんなことはない、ぼくがその好例だ」とのこと。しかも研究医の王道である、専門外来を見る専門医ではなく、一般内科の病棟を担当するという。
研究が直接臨床につながるものであれば、専門医として週1くらいで専門外来に出て、残りは研究室、という王道ももちろん良い。しかし、その先生の研究分野は必ずしも特定疾患と直接的・密接に結びついたものではないため、年に1ヶ月だけ一般神経内科の外来をして、残りは研究室で過ごすという。その1ヶ月は研究のアイディアやモチベーションにはなるが、自分は研究が楽しいし、臨床は年に1ヶ月でたくさんだ、という。
もちろん、特定疾患の専門医として特化することが王道ではあるが、それには、いくつかの弊害があるという。たとえば、人事の異動で同じ病院内のその疾患の専門家が他所に移ると、穴の空いた専門外来を引き受けるようにプレッシャーがかかりやすい、らしい。ところが一般の神経内科だとできる人も多く、比較的人事の融通かきくから、たとえば「年に1ヶ月以上は病棟に出たくない」、といった主張が通りやすいのだそうだ。
こういう研究医のあり方が今時分もまだ可能だとは知らなかったため、有意義な講演であった。
そのほか、神経内科研究医のキャリアのポイント
- 神経解剖は超重要
- 臨床研修が終わった頃、または終わる直前に、Woods HoleやCold Spring Harborなどの夏期集中講座で、研修中に衰えた実験の腕をまた磨き、博士の研究とは異なった実験分野についても習得する
- 医学生として、臨床研修を希望する科(神経内科)を回る際には、必ずAを取るように人一倍努力する
- 医学生として病棟を回る際には、まず、「その科に進むことを強く考えている」、という意思表示をすること。そうすると、待遇や成績評価が良くなるし、より多くのことを教えてくれる。
- 医学生として病棟を回る際には、その病棟で1週間が過ぎた時点で指導医を捕まえ、どういう点を改善したらよいか素直に訊く
- 研修病院を決定する際は、あらゆる人にアドバイスを聞く。その際には、自分の弱点を含め、包み隠さず全てを話す。
- 自分の出身校の研修には必ず出願する。そうすると、その科のローテーションの成績評価が良くなったりするし、滑り止めにもなる。どうしても出身校が嫌な場合は、出願だけしておいて最後にマッチのランクをつけなければよいだけだ。
脳科学研究医への道(1) はじめに
AUPN/ANA/NINDS
Medical Students Mentoring Workshop:
How to Combine Clinical and Research Careers in Neuroscience
1日半のセミナーに参加したので、メモを残しておきます。
このセミナーはNIHや神経内科学会などの後押しで、主にMD/PhD課程の学生を対象としており、選抜者は旅費・宿泊費無料で参加し、脳科学関連の研究医へのキャリアパスのありかたを考えてゆくというもの。毎年開催されて今回、3回目だという。参加者は全国の有名大学から集まった。開催側は有名大学の神経内科部長や、NINDSの所長、神経内科教授協会の長など、大物揃い。皆この催しに対しては相当本気らしい。
開会の挨拶で、University of Washingtonの神経内科部長で研究医のBruce Ransom氏が挨拶をしたが、そのなかで印象に残った言葉として、
というのがあった。要するに、「何がやりたいか分からないでいると、何をやっても何にもならない」といった位の意味だ。この会は、君らに神経内科・脳科学の研究医というキャリアを、一つの選択肢としてしっかり意識してもらうことが目標である、と。
その後の晩餐会では、ちょうどNINDS所長のStory Landis女史と同席したので、いろいろな話しを聞くことができた。氏は研究の一線は退いてもう大分するものの、政府の神経科学研究関連のトップ官僚として、ウルトラ・プロフェッショナルの実力が感じられた。たとえばどこで誰がどういう研究をしているか、あるいは研究費を支出している各疾患のprevalenceなどといったことに対して恐ろしい博識ぶりであった。
彼女によると、議会や患者団体からは特定疾患への支出を求められるが、scienceはそういう風に前進するものではないし、それを認めだすとなし崩し的に学問の自治が失われるため、基本科研費であるR01(個人が申請する、5年で1億円は超えない程度の科研費)においては特定疾患を大幅に優遇したりはせず、審査会の点数が一定以上にならなければ絶対に金は出さないそうだ。また、最近ぼくはNIHやアメリカの研究予算に対しては悲観的だが、それについてもすごく説得力のある反論をしており、また、あなた方研究医の卵達は将来のneuroscienceを支えるエリートなのだから、心配には及ばない、という意味のことをいっていた。
Medical Students Mentoring Workshop:
How to Combine Clinical and Research Careers in Neuroscience
1日半のセミナーに参加したので、メモを残しておきます。
このセミナーはNIHや神経内科学会などの後押しで、主にMD/PhD課程の学生を対象としており、選抜者は旅費・宿泊費無料で参加し、脳科学関連の研究医へのキャリアパスのありかたを考えてゆくというもの。毎年開催されて今回、3回目だという。参加者は全国の有名大学から集まった。開催側は有名大学の神経内科部長や、NINDSの所長、神経内科教授協会の長など、大物揃い。皆この催しに対しては相当本気らしい。
開会の挨拶で、University of Washingtonの神経内科部長で研究医のBruce Ransom氏が挨拶をしたが、そのなかで印象に残った言葉として、
If you don't know where you're going, any path will take you there...
というのがあった。要するに、「何がやりたいか分からないでいると、何をやっても何にもならない」といった位の意味だ。この会は、君らに神経内科・脳科学の研究医というキャリアを、一つの選択肢としてしっかり意識してもらうことが目標である、と。
その後の晩餐会では、ちょうどNINDS所長のStory Landis女史と同席したので、いろいろな話しを聞くことができた。氏は研究の一線は退いてもう大分するものの、政府の神経科学研究関連のトップ官僚として、ウルトラ・プロフェッショナルの実力が感じられた。たとえばどこで誰がどういう研究をしているか、あるいは研究費を支出している各疾患のprevalenceなどといったことに対して恐ろしい博識ぶりであった。
彼女によると、議会や患者団体からは特定疾患への支出を求められるが、scienceはそういう風に前進するものではないし、それを認めだすとなし崩し的に学問の自治が失われるため、基本科研費であるR01(個人が申請する、5年で1億円は超えない程度の科研費)においては特定疾患を大幅に優遇したりはせず、審査会の点数が一定以上にならなければ絶対に金は出さないそうだ。また、最近ぼくはNIHやアメリカの研究予算に対しては悲観的だが、それについてもすごく説得力のある反論をしており、また、あなた方研究医の卵達は将来のneuroscienceを支えるエリートなのだから、心配には及ばない、という意味のことをいっていた。
2007年5月9日水曜日
Ich bin noch kein Doktor
http://www.ifn-magdeburg.de/en/organization/events/index.jsp
日本の医学部で学部生でも「先生」とよぶのの一種と考えるべきか、当方での学歴詐称はありません。ま、み・こ・み、ということにしておこう。
Time: | Monday, May 14, 2007 |
Conference room: | 625 |
Host: | Frank Ohl |
Speaker: | Dr. Kentaroh Takagaki School of Medicine, Georgetown University Washington D.C. |
Title: | Crossmodal Propagation of Sensory-Evoked and Spontaneous Activity in the Rat Neocortex |
Link: | http://www.georgetown.edu/users/kt62 |
日本の医学部で学部生でも「先生」とよぶのの一種と考えるべきか、当方での学歴詐称はありません。ま、み・こ・み、ということにしておこう。
2007年4月21日土曜日
追、USMLE Step1 廃止
2008年入学クラスから新制度導入を検討しているとのこと。つまり、今年の秋に入学するクラスが最終Step 1受験学年となり、2009年が最終のStep 1実施になるかと予想されますが、移行措置などについては情報がありません。
この新制度は、MD/PhD課程の学生にとっては大変不利。3~5年間休学して博士を取得して医学部に復帰した3年生の終わりに、3~5年以上前にならった基礎科目も含む試験を受験しなければならない... その点数でレジデンシーの先が決まる。
この新制度は、MD/PhD課程の学生にとっては大変不利。3~5年間休学して博士を取得して医学部に復帰した3年生の終わりに、3~5年以上前にならった基礎科目も含む試験を受験しなければならない... その点数でレジデンシーの先が決まる。
2007年4月18日水曜日
USMLE Step1 廃止
本日、カリキュラム担当のDeanと面会して、来年以降のPhD課程からMD課程への移行について相談した。そこで衝撃の事実、「君には関係ないけれどね、...
2010年入学者?だかから、USMLE(アメリカの医師国家試験)の仕組みが変わるという。今までは、3段階に分かれていた。
= Step 1(基礎)... medical school 2年卒業時
= Step 2(臨床知識・臨床技能)... medical school4年次
= Step 3(臨床知識)... 研修医1年目
Step 1を廃止して、Step 2と統合するという(基礎学科の知識を、Step 2の質問に織り込む)。さらに、この新Step 2はmedical schoolの3年次に受けるように変わるという。4年だと、研修医先の病院にマッチで出願する際、Step 2の点数がぎりぎりになるということや、Step 2の実技試験導入で学生の負担も大分増加したことなども関連しているのだろうか。
USMLEのホームページを見ても書いていないようなので、まだ内定段階かもしれませんが。
2010年入学者?だかから、USMLE(アメリカの医師国家試験)の仕組みが変わるという。今までは、3段階に分かれていた。
= Step 1(基礎)... medical school 2年卒業時
= Step 2(臨床知識・臨床技能)... medical school4年次
= Step 3(臨床知識)... 研修医1年目
Step 1を廃止して、Step 2と統合するという(基礎学科の知識を、Step 2の質問に織り込む)。さらに、この新Step 2はmedical schoolの3年次に受けるように変わるという。4年だと、研修医先の病院にマッチで出願する際、Step 2の点数がぎりぎりになるということや、Step 2の実技試験導入で学生の負担も大分増加したことなども関連しているのだろうか。
USMLEのホームページを見ても書いていないようなので、まだ内定段階かもしれませんが。
2007年4月15日日曜日
手技学習ビデオwebcast
仕事でNew England Journalのwebsiteをのぞいたら、こんなものが。まだ8種類だけではあるが、手技の手引きビデオである。残念ながら、雑誌購読者(あるいは契約している大学構内)でないと見られないらしい。
しばらく見入る。来年の夏からは、こういうことをやっているのだろうか。
しばらく見入る。来年の夏からは、こういうことをやっているのだろうか。
2007年4月7日土曜日
φιλοσοφία
今日は日本人の飲み会。ワシントンDCにいると、実にいろいろな人に出会える。
今日特に感化されたのは、国際機関で国際開発の仕事をしている方。どうやら、国際開発の意義や正当性について、哲学書をよみながら思索を深めようと挑戦している様子。知り合いの若手哲学研究者も同席しており、その方と話していた様子をうかがうに、気の長くなるような答えのない問いを、いろいろ考えている様子。哲学の研究者が考えるのは当たり前だといえば当たり前だが、やはり、知的に充実した生活を送るにあたっては人間に普遍的なものだということか。しかも、この6月か7月には、PhD(博士)を取得出来そうな目算である。恥ずかしながらPhilosophiæ Doctor、つまりDoctor of Philosophy...???。
脳科学についてもやや問われて、酔っていたので意味ある返答が出来たかは不明だが、何かしら話した記憶はおぼろげながらある。とにかく、また専門以外の読書をしたくなってきた(先に今書いている論文を片付けろというのはそのとおりだが)。やはり少し視野を広げたいものだ、広げるべきだろう。少し目先を追いかけすぎかもしれぬ。難しいところだが。
今日特に感化されたのは、国際機関で国際開発の仕事をしている方。どうやら、国際開発の意義や正当性について、哲学書をよみながら思索を深めようと挑戦している様子。知り合いの若手哲学研究者も同席しており、その方と話していた様子をうかがうに、気の長くなるような答えのない問いを、いろいろ考えている様子。哲学の研究者が考えるのは当たり前だといえば当たり前だが、やはり、知的に充実した生活を送るにあたっては人間に普遍的なものだということか。しかも、この6月か7月には、PhD(博士)を取得出来そうな目算である。恥ずかしながらPhilosophiæ Doctor、つまりDoctor of Philosophy...???。
脳科学についてもやや問われて、酔っていたので意味ある返答が出来たかは不明だが、何かしら話した記憶はおぼろげながらある。とにかく、また専門以外の読書をしたくなってきた(先に今書いている論文を片付けろというのはそのとおりだが)。やはり少し視野を広げたいものだ、広げるべきだろう。少し目先を追いかけすぎかもしれぬ。難しいところだが。
2007年4月6日金曜日
ニンニクチャーハン
私は不幸にして、ニンニクが大好きだ。ニンニクたっぷりのチャーハンなど、手間がかからないし、根拠もなく身体によい気もするので、最高である。今日はとくに豪勢にニンニクを使用した。
ところで。
病院に出るにあたって身だしなみは整えられても、ニンニク臭が体中から滲み出すのは止められない。料理した手や口腔もさることながら、頭部の毛穴がニンニク畑に。病院に出るときは、究極のサービス業に従事するものとして、ニンニクは自粛すべきだ。
失敗、失敗。
ところで。
病院に出るにあたって身だしなみは整えられても、ニンニク臭が体中から滲み出すのは止められない。料理した手や口腔もさることながら、頭部の毛穴がニンニク畑に。病院に出るときは、究極のサービス業に従事するものとして、ニンニクは自粛すべきだ。
失敗、失敗。
2007年4月5日木曜日
Jury duty
今日は1日、裁判所に出頭して陪審員の義務を果たしてきた。実際の裁判の陪審員には選ばれなかったので、ほとんど待合室で座っていたのみであるが。おかげで、副業は捗った。
ところで、同じ陪審員待合室で、全国ニュースの有名キャスターも普通に呼び出しまちで控えていた。首都にいると、時々こういう面白いことがある。
ところで、同じ陪審員待合室で、全国ニュースの有名キャスターも普通に呼び出しまちで控えていた。首都にいると、時々こういう面白いことがある。
2007年3月31日土曜日
駒なめて いざ見にゆかむ
駒なめて いざ見にゆかむ ふるさとは
雪とのみこそ 花は散るらめ
今週末から2週間、 首都 ワシントン連邦区は 桜祭り。 人に誘われて早速、 花見をしてきました。 日の光に当たって外の空気を吸い、 人と話すのは、 気晴らしにとても良いし、 大好きな散歩も、 だいぶ出来ました。 今年は、 何度かお花見が出来ることになりそうです。
Washington DCの桜の中心は、Tidal Basinと呼ばれる、Potomac川から引き込まれたため池。南側にはJefferson記念館(右側、丸いローマ風建築)、北側にはWashington記念碑(左側、オベリスク)。首都計画に隠された象徴主義的男女については、ここでは触れまい、Da Vinci Codeの続編にでも任せておこう。Tidal Basinには上野の不忍池のような足漕ぎボートもある
Washington記念碑と桜。遠く日本からワシントンの桜を観光に来る物好きな方もいるようだが、ワシントンの桜は二つの理由により、日本の桜に劣る。1. 桜のすぐ隣に、より背の高い樹が植えてあって、桜が見劣りする。2. 桜も、いろいろな種類を混ぜて植えてあるので不揃いである
Washington記念碑の周囲のNational Mall(芝生の公園)では、今日は凧揚げ大会も行われていた
Bush大統領もヘリコプターでお花見か?
Washington記念碑
Jefferson記念碑
キーワード: ワシントン記念碑、ジェファーソン記念碑、タイダルベースン、タイダルベーシン、ポトマック川
2007年3月25日日曜日
Hoya Saxa!
Georgetownのバスケットボールは1985年の、Patrick Ewingが学生で活躍していた以来の準決勝戦進出である。コーチは奇しくも、当時のコーチJohn Thompson Jr.の息子、John Thompson三世である。しかも、名門North Carolina(Michael Jordanの出身校)を相手に、延長戦での逆転勝利。
遅い夕食を食べようとGeorgetownの町に出たら、酔った学部生たちが飲み屋街からキャンパスの方に向かってぞろぞろと帰っていた。Hoya Saxa!というGeorgetownの応援コールをみんなで叫んでいる。パトカー、騎乗警官も総出で、交通を止めて学生を通している。もちろんあちらこちらにテレビの中継車や、カメラマンが。議会もそろそろEaster休暇で、首都の記者たちは暇なのであろうか。
遅い夕食を食べようとGeorgetownの町に出たら、酔った学部生たちが飲み屋街からキャンパスの方に向かってぞろぞろと帰っていた。Hoya Saxa!というGeorgetownの応援コールをみんなで叫んでいる。パトカー、騎乗警官も総出で、交通を止めて学生を通している。もちろんあちらこちらにテレビの中継車や、カメラマンが。議会もそろそろEaster休暇で、首都の記者たちは暇なのであろうか。
2007年3月22日木曜日
Let's downplay the diagnosis
(著注:本ブログは多分に脚色を含み、現実の症例やできごととは必ずしも対応しない)
精神科の診断はもともと、主観的な要素が多いのかもしれない。日本だって、保険の適用の関係で診断名に幅が生じるというのはよくきく。
医師(親族に対して):
保険会社のこともあるし、はっきりと診断がつくまではdepressive disorder NOS (not otherwise specified; 抑鬱障害、その他)とか、より重篤な診断はやめておいて、念のためにadjustive disorder(適応障害)程度にしておきますね
DSMは不勉強だが、とくに社会的なきっかけもなく自傷行為をおこなっていたら、ちょっと範疇外になる気がする。だが、病名が重大になればなるほど、将来保険会社にはじかれる可能性が高くなる。あるいは、保険料を高くされる。民間保険会社中心の保険制度では、金儲けが主眼な訳で、当然そういうことになるだろう。そういえば最近、遺伝子検査の結果を保険会社が知ってはいけないようにする法案が、連邦議会に出されているらしい。
精神科の診断はもともと、主観的な要素が多いのかもしれない。日本だって、保険の適用の関係で診断名に幅が生じるというのはよくきく。
医師(親族に対して):
保険会社のこともあるし、はっきりと診断がつくまではdepressive disorder NOS (not otherwise specified; 抑鬱障害、その他)とか、より重篤な診断はやめておいて、念のためにadjustive disorder(適応障害)程度にしておきますね
DSMは不勉強だが、とくに社会的なきっかけもなく自傷行為をおこなっていたら、ちょっと範疇外になる気がする。だが、病名が重大になればなるほど、将来保険会社にはじかれる可能性が高くなる。あるいは、保険料を高くされる。民間保険会社中心の保険制度では、金儲けが主眼な訳で、当然そういうことになるだろう。そういえば最近、遺伝子検査の結果を保険会社が知ってはいけないようにする法案が、連邦議会に出されているらしい。
2007年2月28日水曜日
現代の歪み
社会の歪みは子供に端的に現れる。親のせい、といって済ませてしまっては簡単すぎる気がする。別段過去の親たちが今の親たちと比べ、とりたてて偉かった訳ではなく、ただ、彼ら彼女らは、より正常な世界の常識の中で生きてきただけのではないか。
ローマなどの歴史でも、爛熟期を過ぎて腐敗しだすあたりから、子供からおかしくなっていったのだろうか。
ローマなどの歴史でも、爛熟期を過ぎて腐敗しだすあたりから、子供からおかしくなっていったのだろうか。
2007年2月21日水曜日
You're the expert
現在、週一で、小児精神科の見学を課せられている。卒業後はおそらく神経内科(または、人嫌いが長じたら病理)の研修をすることになると思うが、今から決め込むのも何だし、本来は一般内科・家庭医の見学をするという趣旨なのだが、同じ見学ならばこういうのも良かろう(かつ、面倒も少ない?)、ということでarrangeした。
精神科に特有な現象なのだろうか、患者の思いこみをvalidateすることが重要らしい。アメリカの褒め捲り文化による面もあるだろう。ポイントはどうやら、おおよそ正しいと思われることをいったら、大袈裟にうなずく。違うことをいったら、直接は否定せずに、正しいと思われることを説明して患者自身に正しいことをいわせ、そこで大袈裟にうなずく。
精神科に特有な現象なのだろうか、患者の思いこみをvalidateすることが重要らしい。アメリカの褒め捲り文化による面もあるだろう。ポイントはどうやら、おおよそ正しいと思われることをいったら、大袈裟にうなずく。違うことをいったら、直接は否定せずに、正しいと思われることを説明して患者自身に正しいことをいわせ、そこで大袈裟にうなずく。
2007年2月19日月曜日
ヒト幹細胞に関する疑問
今月の翻訳を終えた。IVF(人工授精)に関して。疑問が一つ。
Stem cellの多くはIVFの廃棄胚から取られるが、IVF治療を受けるからには母体の高齢など、何らかの生物学的な障壁を抱える胚達である。これを治療などに用いようというのだ。つまり、遺伝的あるいは後成的に「望ましくない」細胞を、ヒトに導入する?この問題に関しては、提起されるのを聞いたことがないが、考えておいた方が良さそうだ。
(著注、念のため。優生学的趣味は微塵もない。むしろそれに対抗するのが人類の選んだ道だということは、重々承知である。ここでは人間に関してではなく生物的organismとしてのHomo sapiensに関して分析していると考えてください)
Stem cellの多くはIVFの廃棄胚から取られるが、IVF治療を受けるからには母体の高齢など、何らかの生物学的な障壁を抱える胚達である。これを治療などに用いようというのだ。つまり、遺伝的あるいは後成的に「望ましくない」細胞を、ヒトに導入する?この問題に関しては、提起されるのを聞いたことがないが、考えておいた方が良さそうだ。
(著注、念のため。優生学的趣味は微塵もない。むしろそれに対抗するのが人類の選んだ道だということは、重々承知である。ここでは人間に関してではなく生物的organismとしてのHomo sapiensに関して分析していると考えてください)
2007年2月18日日曜日
はじめに
本blogは、米国Washington DCのGeorgetown大学でMD/PhD課程に通う、高垣堅太郎の、医学生としての活動の記録です。
2002年に入学してから、2年間は学科の講義を中心に学びました。そちらについては、医学書院の週間医学界新聞に掲載された連載をご覧ください。
MD/PhD課程の一環として、2004年からmedical schoolを休学し、現在に至るまで、脳神経科学の博士課程に在学いたしております。
2008年夏より本格的にmedical schoolに復帰して病院での研修を再開いたしますが、それまでにも、少しずつではありますが病院での見学などを課されているので、当面はその様子について書き留めようと思います。機会があればここに残したメモをもとに、きちんとした連載のようなものを再開しようかと思います。
病院に戻るときっと忙しくなるので、忙しくても続くよう、blogの方針としてはきちんとした文章をしたためるのではなく、雑感を手短にメモするにとどめる予定です。しかしせっかくなので、本人以外にも通じるとよいとは考えます。意味不明な箇所があれば投稿によってご指摘ください。時間のあるときに、可能な限り、修正しようと思います。
2002年に入学してから、2年間は学科の講義を中心に学びました。そちらについては、医学書院の週間医学界新聞に掲載された連載をご覧ください。
- 第1回 アメリカの医学教育課程
- 第2回 メディカルスクールの入学審査(前編)
- 第3回 メディカルスクールの入学審査(後編)
- 第4回 プロフェッショナリズム教育
- 第5回 医学生の日常生活
- 第6回 ローン地獄をめぐって
- 第7回 授業の様子
- 第8回 物質依存と医学生
- 第9回 解剖実習とアメリカ人の身体観
- 第10回 メンター制度と米国メディカルスクール留学について
MD/PhD課程の一環として、2004年からmedical schoolを休学し、現在に至るまで、脳神経科学の博士課程に在学いたしております。
2008年夏より本格的にmedical schoolに復帰して病院での研修を再開いたしますが、それまでにも、少しずつではありますが病院での見学などを課されているので、当面はその様子について書き留めようと思います。機会があればここに残したメモをもとに、きちんとした連載のようなものを再開しようかと思います。
病院に戻るときっと忙しくなるので、忙しくても続くよう、blogの方針としてはきちんとした文章をしたためるのではなく、雑感を手短にメモするにとどめる予定です。しかしせっかくなので、本人以外にも通じるとよいとは考えます。意味不明な箇所があれば投稿によってご指摘ください。時間のあるときに、可能な限り、修正しようと思います。
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