医療と関係ない知人と話していて、思ったのだが、プロとしての医学者を目指す立場というのは「全体観」をはぐくむことである気がする。
たとえば、「予防接種の添加物によって自閉症のリスクが高くなるかもしれない」という情報を考えた場合、その事象自体については誰だってネットを引けば「情報」を入手できるわけだが、その情報の評価については、もうすこし専門的な見知が要求される。たとえば、<この自閉症リスクについては非常にquestionableな結果しか出ていないこと>と、一方で、<予防接種を受けないことによる感染リスク・感染死亡リスクは疑いの余地なく確立されていること>などを、総合してとらえなければならない。
臨床一般についても、その教育の要は、こうした情報のstratificationとcontextualizationにあるような気がしてきた。そして、contextを理解した上でstratificationがしっかりしていないと、行動の優先順位はたたない。
まあ、こうした「全体観」というのはどういう職業にしても、プロとしては必要なものであろう。だが一方で、アメリカ人のyuppie層には、根強い情報信奉主義があって、何でも調べればプロになれると考えている節がある。
このたびの経済危機で、この机上の情報のもろさがはっきり露見したわけだ。情報は、その文脈がしっかりしていないと、意味をなさない。いくら経理上儲かっていても、きっと、経済全体を俯瞰する立場を持つプロにとっては、あんなバブルは不可能、というcommon senseがあったのではないかと思う。
最近全く脳関係の読み物をしていないこともあって、脳科学観は伸び悩んでいるわけだが、もう一回り上位の、<人体という文脈の中での脳という現象についての理解>はあるいみ深まってきた気もするのである。希望的観測ではあるが。
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